生きていることについてあれやこれやと考えるのは、それなりの年齢になってきたということだ。議論として書いているわけではないから、言い放しになるけれど、一番身近にある学校教育のことを自分なりに考えてみると、戦後のGHQに日本の魂まで奪われてしまったというのが悔しい。日本の軍隊に苦しめられてきた米国が敵討ちのような東京裁判を起こし、国際法によらず勝手な解釈によってA級戦犯などを決め、7人の人を死刑にした。死刑にされた人の中には軍人も文人もいた。
日本の憲法や教育基本法などは日本人の手によって作られたものではないということはGHQの内部文書によっても明らかになっているにもかかわらず、政治家はそれを正そうとしない。唯一米国まで言って談判したのは石原慎太郎だけだ。石原慎太郎は東京都の知事時代に「都心に外国の基地があるのはおかしいではないか」と言って横田基地の撤去または廃止をするように米国へ渡ったけれど、だれ一人としてそれに参画するものがいなかった。日米合同委員会というのがあって、これは国会に報告義務がなくて国会の上にあるようなものだ。私は何度も言っているけれど、日本は米国の植民地であって米国に米軍の駐留費をどのくらい支払っているのかを明らかにしないではないか。日本はちょっと脅かせばお金を出してくれるというのが国際的な暗黙の了解事項である。命がけで日本を創り上げてくれた先人に対して、今の日本は見るに忍びないではないか。
日本の政治家ならず経済人までも日本人とした誇りを失ってしまっているのではないか。日本人としての誇りというのは、歴史の上に培ってきた「美徳」であったり「信念」である。芸術的素養そうだ。それらは金もうけにはならないけれど、日本人としての価値が高い。そういうものを大切にしていく人間を多く生み出さなくてはならない。何のために勉強するのか。「金持ちになりたい?」馬鹿なことを言うな!。みんな輝きを失った路傍の石の様で、貧弱な青年みたいではないか。
戦後GHQが燃やしてしまった焚書が7000冊以上ある。それを少しずつ復刻しているらしいので、かつての本を読み、戦前の人たちは何を考えどのように生きようとしていたのかを学ばなくてはならない。とにかく米国に頼らなくても米国は日本を手放そうなんて考えることはない。日本は植民地として金づるになるから、日本は独立するのに専守防衛などと言わずに、日本に攻めてきたらそれなりの覚悟が必要になるということを危険な国に理解させることだ。このままでは世界の笑いものになるのを座して待つのみではないか。日本人として生きる価値はどこにあるのか。聞いてみたい。