2018年7月27日金曜日

原点に戻ろう!Ⅱ

それでどうするのか。認定こども園は私が県の係官と納得した話し合いとだいぶ違うようだ。それもそのはずで、県は認定こども園の認定を急ぐあまり見切り発車してしまったのだ。幼稚園型認定こども園は現在の幼稚園のやり方を踏襲するということを確認したうえで申請をしたにもかかわらず、その後に国の方で子供子育て会議ができて、そこで決められたことを後追いの形で現場が移行していくという大変まれなやり方になってしまった。何を焦ってそうなったのかを考えてみると、行政の待機児童問題のただ一点だけである。

保育行政の中で、幼児期をどうしようかなどと真剣に考えているのは文科省の幼稚園課のみで、政治家を含めてそれ以外には真剣に取り合わない。だから現在幼稚園教諭や保育士に手厚い補助が出ているようだけれども、これは一過性の問題でこの制度ができて5年もすればまた過去に戻ってしまう。そのときにあたふたとしないようにこれから準備をしなければならないだろう。

原点に戻ろうということは、わたくしたちが幼児教育に熱く燃えて寝食を忘れて語り合った時を思い出し、新鮮な気持ちで子供たちの目を見て保育をしていこうということだ。幼稚園教育要領はとても立派なものである。これを理解し現場で共有できる教師のスキルアップを願いあおば台独自の保育をやっていこうとするものだ。だから認定こども園を返上して幼稚園をやっていこうと決心した。

2018年7月24日火曜日

原点に戻ろう!!

幼稚園教育要領は、『健康』『環境』『人間関係』『言葉』『表現』の五つの領域に分かれ、この領域を碁盤の目のように上手に編み込んでいく。これをどのように日常の生活に浸透させたらよいのか、保育者が最も苦心する保育力の問題である。まだある。これだけではない。これらを編み込んだ先には何を保育者は狙っているのかという大命題がある。「真摯な態度で学びに向かう力が必ず身についてくるのか」ということである。それだけではない。『人間性は』それでよいのかという自問自答がある。

この幼稚園教育要領が認定こども園に無視されている。いつか私はボウルビーの三歳児神話という話をしたことがある。『幼児教育の精神衛生』という本の中に「母性的養育の喪失は例外なく身体的、知能的、社会的に遅滞し、肉体的精神的不健康の徴候を示す」というのがある。ボウルビー博士の発表後に幼児期の発達が将来に多くの影響を及ぼすという医者からのメッセージが世界中に広まった。日本の平井信義先生が書いた「精神衛生」は幼児教育専門家や発達理解を学ぶ教育者の副読本にもなった。

しかしそれは事実とは異なり「神話に過ぎない」として葬り去ろうとしたのが当時の日本の厚生省で、そこから「三歳児神話」として定着した話だ。ボウルビーという人は、第二次大戦後の荒廃とした焦土にいかにして子供たちが生活をしていくのかということを、WHOから依頼されて欧州を起点として調査した英国人だ。しかし幼児教育者はだれもがこれは事実として神話だと思っている人はいない。現場で発達理解を学んでいる教育者はなおさらのことである。

だから言いたいのであるが、生後3か月になると母親は働いて保育所に預けることができるのが今の法律である。それを盾にとって、母親を家庭から追いやって社会に出すような政策はどうしても容認できない。母体にも影響するであろうし、保育所に預ければ自治体によって異なるけれども0歳児については最低19万円の保育料を保証しなければならない。ならばその分を家庭に還付したらどうなのか。そのほうが子供も家庭も幸せである。

急に保育の現場に補助金をばらまき、いかにも幼児教育に理解を示しているようだけれども、それは事実と違う。手厚い補助だと言っているけれども、やっと普通の生活費が支給されるようになったというのが我々の本音である。今までは保育者の犠牲と保護者の理解と協力によって何とか運営してきただけの話だ。幼児教育には子どもには投票権もないしあまり政治家の票に結びつかないから、政治家の関心もいまいち鈍い。まだまだ書きたいけれど、読む人も私も疲れてきたようだ。

2018年7月23日月曜日

初等中等学部の給食

久しぶりに給食を作った。というのも賄いのおばちゃんが何かの都合で1週間北海道へ行ってしまったから、残ったおばちゃんたちと一緒に焼きそばを作ることになった。これは誰にでもできるし、初等学部には大きな鉄板があって、お好み焼きやら焼きそばなどアウトドアで作る食べ物は殆どできる。焼き物は校長が主体となってへらを使ってやってくれている。この暑いのに汗をびっしょりかいて黙々とへらを動かしているので、教師が授業の合間にかわるがわる来て手伝ってくれているが、校長は微動だにしないでいる。どうも鉄板焼きが好きらしい。

おかわり委員会と言うのがあって、みんなが好きなものを上級生が先におかわりをして食べてしまうから、みんなが平等に食べられるようにという趣旨のもとに小学3年生が主体で委員会が構成されている。しかしよく見てみると、最初の盛り付けだけはみんな平等であるけれど、次のおかわりになるとがぜん中学生男子が早く、小学生低学年はおいてけぼりである。低学年の子供たちと一緒に食べていたので、子どもたちに『おかわりできなくなっちゃうよ』というとにこにこしていてそれには答えてくれない。案の定子どもたちが一杯目が終わるころには中学生は3杯目などというのがいて、到底2杯目が食べられない。それでも子どもたちは不服を言わないで満足しているようである。

ここの子どもたちの発想は鋭角的ではない。最初のころは鋭角的に鋭くぶつかって来た子もいたけれど、見ていても見ぬ振りして子どもたちが自ら気付いてくれるまで待っていた。幼稚園の子どもたちと共に暮らしてきたせいか『待つ』と言うことが容易に出来るようになった。1カ月ぐらい過ぎるころには彼の言葉も柔らかくなって好感のもてる少年になっていった。基本的に優しい両親に育てられているから、自らの違和感を発見し自らを正す力も備わっている。いくら突っ張っても柔軟に吸い取ってあげるから、周りの子とすぐに同化できる。

たまに子どもたちと一緒に何かをするというか、この世界に入っていくことがよいと感じる。私もここで校長をしていた時があるから子どもたちとはすぐに親しみ深く話ができる。途中からこの学校に来た子どもたちが生き生きとしているのはここの学校のシステムは勿論のこと、子どもたちの寛容さがそうさせている。教師も『待てる』寛容さを持っている。若いのにすごいことだ。

昨日の幼稚園の話だけれど、政府がやっている『子ども子育て』について、あのやり方で本当に子どもたちが幸せになるのかというと疑問だらけである。昨日も書いたけれども女性の社会進出などと今から始まることではなく、女性は子育てということですでに一人の子供を育てるのに月75万円の社会貢献をしている。それを忘れていることは女性を軽んじていることではないか。なのに家庭で育児をする女性には手当は無料で、幼稚園や保育所に預ける家庭には保育料が無償になるというのは容認できない。むしろ家庭で育児をしている母親に手厚くするべきだ。子どもにとってこれほど素晴らしい保育はない。

保育者がどれほど偉そうなことを言っても『母』に勝てるわけがないのだから。子どもたちの将来を考えれば日本のためにもその方がよい。家庭の経済的事情でやむを得ず働きに出なければならないという人が多ければ、まったく豊かではない日本の証左ではないか。それを無理やり国民総生産という見かけの豊かさを追って自己満足に浸る政治家はどうかしている。家庭から乳幼児を持つ母親を追い出してそれで日本の国が豊かになることは絶対ない。乳幼児を持つ母親が幸せを感じる様でなければ真の豊かさは訪れることはないのだ。

2018年7月21日土曜日

幼稚園のことを書こう

5年ぐらい前に認定こども園というのが新設された。実際に始まったのが27年が初年度だったから3年前になる。できるころには何度も県の係官から説明を受け一応は納得したつもりであったが、できあがってから国の「子供子育て会議」に預けられ、当初説明を受けた時とは全く方向が違ってしまっている。認定こども園は「幼保型」「幼稚園型」「保育園型」「地方裁量型」の四つに分けられていた。当然これらはそれぞれに役割があって目的が明確であった。私の園(土浦)も幼稚園型の認定こども園として出発した。

そもそもこのようなことになった背景には、少子化が進みこのままでは幼稚園の存続が危ぶまれたからにほかなかった。しかしこれは地方の幼稚園の話で、都会ではまったくそのような危機はなかった。認定こども園にする前には、国はよく幼稚園のことを考えてくれているなどと喜んでいたが、徐々にその真意が明らかになってきたのでがっかりすることが多々ある。第一に幼稚園型認定こども園というのは、幼稚園主導であるから今まで通りの運営方針で幼稚園として賄っていくことができるというのが大前提であったが実際はそうではなく、保育所の管轄である市の介入がある。

私のところでは2号認定(両親が働いている)は10人しか許可をとっていないが、そのために保育所としての縛りを受けることになる。これでは本来の幼稚園としての業務が縮小されてしまう。それはなぜかというと、認定こども園の就業時間は子どもを11時間預からなければならないというのがある。これには園則を変えなければならないが私はいまだに園則を変えていない。幼児教育というが幼児を出しものにして大人社会の仕組みを円滑にしようとしているだけで、子供たちにはいい迷惑である。

その理由を書こう。第一に子供たちはだれのために何のために生きてているのか。第二に子供達には大人の介入できない子供の世界があって誰しもが冒してはならないものである。第三にこの地球上の自然や人間同士のコミュニティなどは、すべて子供たちからの借り物ではないか。第五に政府は国民総生産を上げるために女性を社会に出し所得を得るように勧めているが、これは子育てに関して言えば誤った考え方で親子引き離し政策である。政府は80パーセントの女性を仕事に就かせたいと考えているらしい。これが幸せの政策だとしたらお笑い種である。

女性の社会進出の話をよくするが、女性の家庭内での貢献度は男性が会社でもらってくる給料に換算すればはるかに高収入である。なぜなら子供一人を家庭で育てている女性の月給は75万円に相当するといわれている。それが二人の子供だったらどうなるのか。しかも女性は産みの苦しみから解放されて0歳の子供を育てているときには、2時間おきぐらいに子供に起こされて寝る時がない。子供が静かになったかと思って自分が寝ようと思った時には、今度はそばで寝ている子供に寝返りか何かで踏みつけてしまうのではないかと熟睡する時がない。

 そうした努力があって子供が少しずつ成長していく。そして母親となった女性は何の見返りも求めず子供と共にニコニコと暮らしていこうとする。そんな小さな幸せをふいにあたかも災害のように、外へ出て働けというのではいつになっても幸せになれない国ニッポンになってしまうのではないか。外へ出て働くとか働かないとかいうのはその家庭に任せて政府が介入することではないだろう。

来年10月以降に幼稚園・認定こども園・保育所の3歳から5歳までの幼児は無償化になることがほぼ決定した。それに合わせて預かり保育も無償化しようという動きがある。私は無償化には全面的に賛成するが、モラルハザードの問題も一緒に解決しなくてはならないと思う。例えば必要以上に預かりを願ったり、子供を置き去りにしてしまう危険性があるからだ。私のところの現在の体制では預かり全面的に開放するというのは困難である。徐々に子供の内面を大切にしていく幼稚園が少なくなっていきそうな気がする。

子どもにとって必要な環境と教育というのが幼稚園教育要領に書かれているが、これすらも無視されて、待機児童解消のためにものすごい勢いで子供たちが流されて行ってしまう。誰かが立ち止まって流されていく子供たちを救ってやらなければならない。そのために私たちの幼稚園は懸命になって幼児教育を学んできたし、発達心理についても大学の教授のそばで学んできた。このまま流されたのでは私たちを育んでくれた多くの人たちに申し訳が立たないではないか。生きている証としての理念が大切だと私は信じている。これからが幼稚園経営の正念場になるのではないかと思っている。

2018年7月4日水曜日

書くべきことは山ほどあった

小学校1年の卒園児の集まりが両園ともにあった。いつもは5月中に行われていたけれども、今年はなぜか6月の最後の土曜日になってしまった。丸まる1か月も伸びたからその間学校にも慣れたのか学校での嫌なことはあまり聞かれなかったが、登校班で意地悪されるなどの嫌がらせが後を絶たなかった。『授業は楽しいか』との質問に『選択授業がめちゃ楽しい』と答えた子がいたので『どんな選択をしているのか』と尋ねたところ『ステンドグラス』と即座に答えていた。初等学部の子だったので担任の教師にさっそく話をしてみたところ、最初はうまくステンドグラスといえなくて『デザイン』と言っていたらしい。

同じ日の土曜日と日曜日にかけてイイアスつくばで私学フェアーが行われていた。私も1年生の集いが終了次第会場に駆け付けたが、見学者はたくさんいたけれども小学校を対象としている青葉台にはあまり観客は集まっていないようだった。ほとんどが高校受験のようであったがそれにもめげず翌日も会場へ行ってみた。するとわが校のブースには点々と訪問者が椅子に座っていて、そこには学校説明をしている教師が真剣に取り組んでいる。思わず目頭が熱くなってしまった。小さなブースの中で懸命に学校紹介をしている姿に感動した。他の裕福な学校と違いわが校は殆どが手作りのサンプルである。何とかこの子たちを幸せにしてあげたいと思わずにはいられなかった。

もう一つ感動したものがある。ワールド杯サッカーである。一次リーグを突破して決勝トーナメントに残ったが、一次リーグの最後の試合でパス回しをして勝ち残ったというのがなんとも後味の悪いことであった。私も最後は攻め抜いて決勝トーナメントに残るという結果が一番良いと思うが、逆に残れなかったらと考えると西野監督の采配がベストだったのかと思う。それにしても誰もがあっさりと負けてしまうのではないかと弱気になっていたのに、ブルーのユニホームがコートの中を縦横に踊り2-0で勝っていた時には、日本に新しい風が吹くと今度は誰しもが勝てると確信したのではないか。結果は負けたけれども感動的であった。感動をありがとう。

もう一つある。米国との貿易摩擦である。日本以外の国は米国の関税に対して報復措置鵜をとると表明しているのに日本は様子を見るといった消極姿勢である。次いで今度はイランの核問題に触れ、イランからの原油の輸入をストップして呉れとトランプに言われたが、これについても様子見である。まったく日本は米国の属国である。北朝鮮問題も何も進んではいない。結局なんでも米国頼みだから、今の政権は売国奴である。日本は独自のアイデンテティがあってしかるべきで、米国の言いなりになるのはやめてほしい。

韓国政治との確執

書き続けていたブログが消えてしまってからというものはあまり書く気にもなれなくて随分休んでしまった。書かなくてはならないことも沢山あったけれども、どうも先に筆が進まない。第二幼稚園ではバザーがあったり、初等中等学部では『あおば祭り』があったりして記すべきことがあった。ここに書かない...