2022年12月26日月曜日

何を書いてもいいのかな

 私には若い人たちのように、これから希望に満ちた洋々とした未来があるわけでないのだから、思い切って、世間一般の善良な市民を傷つけたりしなければ、好きなことを言わせてもらった方が良いということに決めた。もっと以前からそのようにやっている気がするけれど、この際開き直って書き込んでいこうと思っている。しかし私が書いていることは私の創作ではない。スタンフォードのフーバー研究所に、山と積まれた日本の戦後政治の赤裸々な一次資料を、西鋭夫教授が私たちに分かりやすくひも解いてくださったものを、皆さんにそのままお伝えしているというわけだ。

 日本にも機密文書というのがあって最長30年は紐を解いてはならないというのがあるらしいけれど、その時期が来ても「まだご生存中だから」という理由で日本では開封させてくれないらしい。米国はその点はっきりとしていてよいと言っているけれど、ケネディ暗殺の真相については「ウルトラシークレット」とか言って黒塗りのままだという。

 皆さんお体に気を付けて、また来年お会いしましょう。

2022年12月14日水曜日

沖縄のこと

  昭和52年に締結されたサンフランシスコ条約の中に、沖縄と小笠原諸島が日本の領土として入っていない。北方4島も入っていない。だからと言って沖縄を犠牲にして日本が独立したわけではないし、先の戦争も沖縄を盾に日本を守ろうとしたわけではない。沖縄の人たちは、日本本土を守るために自分たちが犠牲になったなどと大きな誤解と思い込みを持っている人が多いと聞くけれど、焼け野原になった東京や大阪の写真を見ればわかることだし、米国の原爆は広島と長崎に落とされたではないか。米国はソ連と戦争するのが怖かったし、地政学上沖縄を日本に返すなど全く思っていなかった。憲法第9条を作ったのはマッカーサーだし、それでは国が国として持たないということを米国は分かっていたので、講和条約を締結の時に合わせて、日米安保条約を米国側の提案で結ぶことになった。だからこの時の文面について日本人で立ち会って人はいないはずだ。講和条約に吉田茂が署名をして、その足で近くにある陸軍の兵隊のクラブに行って安保条約の署名をしたのだ。講和の時も安保の時も吉田茂の署名である。

 これは何を意味しているのだろうか。講和条約も安保条約も日本政府高官が立ち会って日米の合作でできたものではない。国民に無断で吉田茂が署名してしまったのだ。マッカーサーの秘書みたいなことをしていた吉田茂は講和条約を結んだ後に安保条約を結び、その足でマッカーサーに会いに行っている。自分を総理にしてくれたマッカーサーにお礼をしに行ったのだ。それはそれでいいけれど、吉田茂は独立を早めに勝ち取るためにとんでもない置き土産を日本国民に押し付けていったものだ。それは憲法第9条である。9条があるおかげで日本は米国の植民地そのままになってしまった。最初の安保条約には日本の国内にどれだけ多くの米軍基地の設置を認めているのか、まったく日本は米国の言いなりである。日本の国防予算の半分ぐらいは武器などの殆ど米国への予算だ。基地などの日米地協定の中身をよく見れば、沖縄県民だけではなく本土に住んでいる人たちも許せないものが多い。一体日本の政治家はそして外務官僚は、日本国民のために命を懸けて仕事をしているのか疑わしい。一度安保条約と地位協定を見てほしい。いかに国民は政治家や官僚に馬鹿にされているのかわかる。

2022年12月9日金曜日

日本人の文化

  日本人には日本人の文化がある。日本人は日本人の文化をかたくなに守らなければならない。私たちのDNAはユーラシア大陸で育ってきた人たちと全く違うのだ。また一信教国家が育んできた人類の文化とは全く違うから、ユーラシア大陸の人々とは育った環境が違う。だから人生観も違うのは当たり前のことだと思うけれど、海外ではどうだこうだと、あたかも日本人が文明から取り残されて行くみたいにマスコミがはやし立てる。多少外国のことを知っているような人が、それに輪をかけて宇宙人みたいなことを言う。自分たちの文化を卑下するような人物が現れてきて、それが先を行く文化人のような非国民に似た言動をすると、軽すぎる日本人がそれに同調する。それは社会に対する公徳よりも、個人を大切にする利己的な社会性だ。それがうまく社会に浸透して幅を利かせるようになってきた。日本人にはユーラシアの人たちと違う「美徳」というものを、たぶん縄文の時代より大切にしてきたのではないか。日本人ほど世界に冠たる美徳の持ち主はいない。

 こんな話がある。明治の開花のころ日本に旅行に来た外国人が東北の方に行ってみたいと言って、余分になるであろう金銭を旅館の帳場に預けたが、その帳場の人がひょいと後ろを向いて無造作に預かった金銭を背中の引き出しに入れたのを見て心配になった。しかし3~4日の遠出であったが、帰ってみると無造作に置かれてあった紙入れが、そのままの姿であった。外国の人の日本での旅の経験ではこんな話もある。旅館を出て何日か経ってふと財布がなくなっていることに気づき、旅館に帰ってから旅館の主人にその話をすると「届いてますよ」という話でびっくりしたそうだ。旅先で乗った車引きの車夫が、お客の宿泊している旅館を探し当て届けてくれたそうだ。

 まったく近い話では、東日本大震災で福島原発で活躍してくれた多くの人々の美談がある。これを美談だと言ったら当事者たちには叱られるかもしれないけれど、まず原発の当時の責任者であった吉田所長。彼はがんを患っていてのちに食道ガンでなくなるけれど、当時のドキュメントを編集したものを見ると、彼の責任感の強さと部下を思う気持ちと孤独さに耐える人間力とに感服せざるを得ない。自衛隊の活躍もすごかった。この時の隊長はイラク戦争で派遣された人だ。事故後の跡片付けだけではなく原発の建屋に入っていくにはどれだけの勇気がいるだろうか。途中で水素爆発が起こり逃げ場のない隊員たち。何を思ったのだろうか。東京消防庁のレスキュウ部隊もそうだ。とにかく炉心を冷却しなければならないということで、日本で一番長い「キリン」という放水車を運用しているのが東京消防庁で、上司から「いってくれ」と頼まれて、誰もが使命感に燃えた。女房のおなかの赤ちゃんのことが心配だったという団員も「行ってきて」という看護師の女房に背中を押され活躍した人もいる。このように個人が入る余地がないのが日本の社会だ。働き方改革もよいけれど、人として生きるに価値のある美徳を失ってはだめだ。

2022年12月8日木曜日

餅つき

  お父さんやお母さんのお手伝いをいただきながら、毎年恒例の餅つき大会が無事に終了した。第二幼稚園は一昨日に行ったが朝から怪しい雲行きで、それに冷たい小雨のようなものが吹き付けてくる。そんな中で保護者は愚痴も言わずに黙々と所定の位置について、自分の仕事をこなしていく。私の指先は凍ってしまってポケットから外に出すのが嫌だった。子どもたちは大人が沢山来ているのでとても大喜びではしゃぎまわっている。いよいよ「いただきま~す」の時間になって、年少のクラスへ行って「おいしいですか」とか「可愛いね~」と手を広げて言ったら、なぜかそれが受けて子どもたちはひっくり返って笑っている。楽しい時間をいつまでもどうぞ。

 あおば台は今日が餅つきの日で、昨日も今日もとても清々しい天気に恵まれて、とても空気がおいしい気がする。お手伝いのお父さんもお母さんも手際よく動いてくださり、第二の保護者同様に頭の下がる思いである。子どものためとはいえよく動いてくださるので、保育者たちの良いお手本になるのではないかと思っている。餅つきの場合前日からのお手伝いとなるので、保護者と保育者が一体となって仕上げないとうまくはいかないので、まったく感謝に絶えないというところです。

 所で保育者の働き方改革の中に「行事の見直し」というのが盛んに言われている。「盛んにいわれる」ということは保育者にとってそれが大きな負担となっているということの証左なのかと理解しているが、同時に「行事は子どもの発達を促す」ことも事実である。保育者の個を労るという気持ちも大切なことだが、私たちには課せられた使命があることも肝に銘じておかなければならない。それは精神論でいうのではなく、生きている糧としてその人が人として輝くからである。

 今日は日米開戦の日である。米国は日本の宣戦布告が数時間送れたということで、今もって「だまし討ち」だの「卑怯だ」と、のたまわっているけれど、宣戦布告などは米国がベトナムへ侵攻したときやアフガンに入った時、イラクを攻め入った時に行われたのか。1941年12月8日の、日本の当時の野村大使とのやり取りの中で、米国が仕込んだことではないか。その前に米国は日本の暗号文をすべてと言っていいほど解読していたではないか。日本は侍の時代から、合戦をするときに己の姓名を相手に分かるように大声で知らしめてから刀を抜く、という言い伝えがある。もう日本に対して「卑怯者呼ばわり」はやめた方が良い。米国自身の恥部をさらけ出すことになるから。

2022年12月5日月曜日

元気が一番

  外では子供たちが大声をあげて駆け回っている。何故大きな声を張り上げているのかわからないけれど、こちらから察する当たり「鬼ごっこ」で逃げ回っていて、捕まえられるスリルで感嘆しているようだ。大きな声をあげられる子どもたちは屈託がないし、ストレスもないから頭の中は柔軟に対応できる準備ができている。部屋の中にいる子どもたちはどうなのだろうか。クラスを回って子どもたちの様子を見に行くと、なんと素足のままでいるので思わず「冷たくないの」「靴下をはいて上履きをはいた方が、上から何か落ちてきたら痛くて泣いちゃうよ」と話してもニコニコしていて「大丈夫だよ」と言っている。

 満3歳児というのがいる。年少のクラスに入って、何の遜色もなく堂々とクラスの中に溶け込んでいる。年少さんのクラスで 保育参観があって保護者と子どもが分かれるときにある子が泣き出してしまったことがあって、その時に泣いている子の頭をなでていたのが満3歳児であった。そんな微笑ましい姿があった。

 最近幼稚園の事故が目立って多くなってテレビでのニュースを賑わせている。3歳児の子を逆さづりにしたとか、カッターナイフで脅かしたとか、まったく尋常な話ではない。園長はそれらを隠ぺいするために、他の職員に口外しないことを誓約させたとある。そのような保育者がいるということが残念でならなかったろう。今の時代保育者の数が少ないと言っても彼女たちをそのままにしておくわけにはいかないだろう。まったく嫌なニュースだ。私立だけれども存続は難しくなるだろうな。市長は園長を告訴すると言っている。幼稚園や保育所というのは、毎日の出来事を事細かく記録していたら、きっと楽しくて面白い記事が出来上がると思うのだけど。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...