2021年7月28日水曜日

オリンピック

  オリンピックの開催とコロナパンデミックの蔓延とは直接リンクしないだろうと思うが、これだけ大騒ぎになっているのに、わざわざオリンピックを開催しなくてもいいだろうと思う。もっと普通の日に開催したほうが観客もアスリートももっと素晴らしい環境でできただろうと思うのである。毎日のように金メダルを取っていて、それなりにアスリートの努力には敬意を表したいけれど、多くの観客のいる中で、熱狂的な歓声の中で競技が行われたらアスリートにとっては至福であろう。

 しかし日本の政治家は貧弱である。IOCの人たちの傍若無人な態度にへきへきしている。日本の総理大臣より偉いのか。あの貧弱な開会式では日本の良さが全く出ていないし、天皇陛下を挟んで右に総理左にバッハ会長という並び方には、恐れ入った。総理やバッハ会長は日本の陛下と同列ではない。演説の下手なバッハの話など誰も聞いてはいない。演説の下手なのは菅総理と似ているところがあるかもしれないが、菅総理の方がバッハより人が良さそうだ。

 一日250万円もするようなホテルでIOCの役員は宿泊しているそうだ。東京都だけで出費するのではなく、これは国民の税金である。たかりのバッハと言われているそうだ。それでもオリンピックを誘致したかったのか。オリンピックにかかわる費用については、事細かくとは言わないが、国民に分かるように説明する必要があるだろう。デンマークだかノルウエーでオリンピックを誘致しようとしたら、国王の晩さん会に招待してくれとIOCに頼まれたらしく、即座に身分が違うと断ったそうだ。日本人にもそのくらいの気概と誇りが欲しいものだ。

 始まってしまったオリンピックだから、家のテレビにかじりついて精一杯の応援をしよう。お子様にはくどいこと言わないで、素直な気持ちで感動を伝えてあげよう。

2021年7月20日火曜日

病院通い

  コロナの一回目のワクチン注射が終わった。痛くも何ともなかった。注射のあと少したってから痛くなるとか話を聞いたけれど、体が鈍感なのかなんともない。ただ糖尿病の疑いがあって3カ月に1回病院へ行って検査を受けてきているが、糖尿病は大人の半数がその疑いがあると聞いているから、みんながそうなのだと思うと、自分だけがうまくはいかないだろうと思えばだいぶ気が楽になる。以前の協同病院は薄暗い通路を歩いていかなければならないので、病院についたところで気分が悪くなるような陰鬱なところであったけれども、現在は明るくて病院に行くとなってもあまり抵抗感はない。というのも私はこの病院に二度ほど救急車で運ばれたことがある。入院もしたことがあるから何とも他人とは思えない病院である。だからと言って誰とも親しくはない。ただCTを撮った時に保護者にお会いしたことがある。機械を操作する技師である。

 15年ほど前から階段の上り下りが疲れるようになってしまった。心臓はドキドキで、呼吸は困難な状況になる。きっと心臓か肺が悪いのではないかと薄々感じていたけれども、思い切って医者に相談をした。呼吸器内科というところらしい。CTを撮って医者が見たところでは肺が固まっていく病気だそうだ。肺が小さくなっていくということだ。「肺は片方が無くなっても、もう一方で頑張れば何とかうまくいくのではないですか」と言ってみたら、どうも両方が固まっていっているみたいだ。なんだか一人前になったような気がする。

 というようなことがあって、最近では毎日の予定表に病院とか検査という項目が目立つようになってきた。人間はくたびれてきてもそう簡単にくたばるということはない。まだやることが少しある。生きていて一番つらいことは希望が無くなるということだ。希望を創り出さなければならない。

覇権国家中国は必ずやってくる

  国のために。それは愛する人のために命を懸けるということだろう。偉そうなことを言っても、敵と対峙したときになすすべがない。武器を手にしてもそれを利用することができないのだ。海外に行くと、けん銃やライフル、機関銃などお金を出せば撃たせてくれる場所が街の真ん中にあったりする。でも行ったことがない。もしそんな練習をしたとしても、いざという時に練習したときのように、人間を相手に引き金を引くことができるだろうか。自分がやらなければ多くの人が死ぬとなれば、意を決してやるかもしれない。同胞が殺されていくのを見て見ぬふりはできないだろう。自衛隊に任せればいいなどと悠長なことは言ってはいられない。瞬時の判断が必要になってくる。中国が日本本土爆撃などということはないだろうと思っているけれども、沖縄や台湾に嫌がらせはするだろう。その時にも自分と遠いところでやっていることだからと言って見ぬ振りはできないだろう。

 なぜこんなことを言っているのかというと、いくら立派な理想を掲げていても、私たちの子どもが他国からの危害にあったりしたら闘わなければならないだろうし、米国や国連などを当てにしていたら日本はどこかの属国になってしまうからだ。彼らが出てきて問題を解決したことがあるだろうか。世界の政治は軍事力の強い国の言いなりなのは、歴史の示すとおりである。日本が今まで平和ボケでいられたのは、アメリカの軍事力の傘の下にいたからであるということは、国民全員が思っていることであろう。中国の軍事力が増強する中で、アメリカ一国で日本を守ることは不可能である。当然のように日本は自力で守るようにということになってくる。習近平政権は内部崩壊するだろうというのが一般的な見方であるけれど、それはいつなのか。たぶんそれが近づいてきたら尖閣や台湾に手を出してくるかもしれない。平和主義だとか、戦争は絶対だめだなどと当たり前なことを言っている人には先見の明はない。誰だって戦争に行って死ぬのは嫌だ。だがしかし闘わなくてはならない時があるだろう。愛する者のために。

2021年7月15日木曜日

侵略をほのめかす北京

  教育で大切なのは「人として生き方に誇りを持つ」ということを身につけることだろう。大人たちはそうではなく、まず生活できることを身につけることだという。「衣食を足りて礼節を知る」というではないか。それも大切であるけれども「人はパンのみではあらず」ともいう。喜劇王のチャップリンの映画に「バレーリーナ」というのがあった。足をけがして踊れなくなってしまった若い女性が悲嘆にくれて「もう生きられない」とチャップリンに泣いて訴えるというシーンである。そしてチャップリンは「ただ生きていくならばパンの一枚もあればこと足りることだ」「ただ『希望』を失ってはすべてを失ってしまう」と言って女性を励ます。何日か経過した後若い女性の足のケガも完治して、女性はチャップリンのところへお礼に伺うのだが、その女性はサーカスの一団の若い花形の男性と結婚してしまうという、なんだか日本の寅さんの映画の様でもある。歴史を知るということは自分を知るということだから、多くの書物を読んで自分自身を深く探ってほしい。

 瀬島隆三という人を知っている人も多いと思うけれども、この人は満州の関東軍参謀をしていた人だが、ロシア軍が満州へなだれ込んできたときに、いち早く武装解除をし、ロシアに従順の意を示した人だ。そして日本人捕虜が60万とも70万ともいわれることになったが、実はこの人、戦後ロシアから帰還して伊藤忠商事に入って会長までした人であるけれど、この人、実はソ連のスパイであったというのが通説である。誰でも知っていることであろうと思っていたけれども、なぜこれだけの人を国会で尋問しなかったのだろうか。身内からこのような人が出て昭和天皇も悔しがっていたという話は聞いた。きっと彼が日本へ帰還することに合わせてソ連政府と密約があって、瀬島隆三の戦時中の問題には触れないという約束があったのかもしれない。そうだとしたら政府がいかに国民をなめ切っているかである。

 尖閣列島に出没する中国の海警という、日本でいうところの巡視船だ。この船は日本の船と違って重装備している。日本の出方を探っているのだ。軽いジャブを出しながら強いストレートパンチを狙っているのだ。南シナ海に中国の基地ができてしまったら、日本の船はシンガポール回りができなくなる。インドネシアのロンボク海峡を通っていくことになるが、ひどく遠回りになる。その分CO²の排出量も多くなる。何よりも日本の貿易の生命線であって中国が勝手に線引きができないはずなのに、軍事力を付けた中国は勝手気ままなことをしている。戦争をしないで話し合いで、国連に仲裁に入ってもらえばよい、などと目の前の危機を覆い隠す政治家や評論家が多いことにうんざりする。自民党の二階や野党の親中の人たちが中国へ行って「尖閣は日本の領土だから付近の住民に不安を与えないでくれ」と言ってきたらよい。また日本海にはイカのとれる大きな素晴らしい漁場があるけれど、中国の船がいっぱい来て無法にイカを取っていく。これ実は中国ではなく北朝鮮や韓国の船であることが判明している。中国の旗を掲げていれば安心という、彼らになめ切られている情けない日本だ。これで子供たちに誇りが持てるか。

2021年7月12日月曜日

どこの国にもまねのできぬ教育

  私の感覚ではとても足元にも及ばぬすごい学校があった。ラバウルで終戦だった父親から海軍兵学校の凄さはよく聞いていたけれども、具体的なことはよくわからなかった。鈴木貫太郎という第27代兵学校校長の時に、一線を画する大改革を行った。大正7年から9年の短い間だったが、1鉄拳制裁禁止。2歴史及び哲学教育強化。3試験成績公表禁止(出世競争意識の防止)。戦争映画でも海軍兵学校の様子がよく見られたが、鉄拳制裁は海軍の特許みたいなものであったと思っていた。厳しい時代の中でゆとり教育を先取りした勇気と深い思慮に感激する。また当時の報道写真家の真継不二夫という人の写真集「海軍兵学校」の中で兵学校生徒の印象をこう強調している。「私が強く印象付けられたのは、生徒の顔の端正なことである。これほど揃って、整った容姿を持つ生徒が他の学校にいるであろうか。単に眉目秀麗で済まされない、研ぎ澄まされた精神の厳しい美しさである。鍛えたものだけが持つ美だと言ってもよい。無垢で、清純で、玲瓏である」。学生に対してこれだけの麗辞があるだろうか。また芸術家の美を探る美しい心も見える。海軍兵学校では5省というのを自己啓発の資料として応用している。1至誠に悖る(もとる)なかりしか。2言行に恥ずるなかりしか。3気力に欠くるなかりしか。4努力に憾(うら)みなかりしか。5無精に亘るなかりしか。これは現在でも継承されている。残念ながら今の日本ではこのような学校はできないだろうから、もう一度「江田島」を復活していただいて素晴らしい日本の心を持った学生を生み出してほしい。そして見てみたい。研ぎ澄まされた精神の持ち主の青年を。

 前出の鈴木貫太郎さんは終戦時の総理としてGHQによって絞首刑にされた。要職についていた者は意味もなく殺されてしまったのだ。以前に書いた東条英機のところで、ユダヤ人2万から3万人をビザなしで満州国に入れた。そこで野口中将に指示したと書いて野口中将が満州守備隊でロシアの兵隊と闘ったと書いたけれども、守備隊として戦ったのは根本中将で根本中将はのちにアリュウシャンの島を転々としてロシア軍とたたかった。日本が敗戦を決めた後からロシア軍が攻めてきたので、武器を捨て投降すっることなくロシア兵を追い返した。根本中将は武器をロシア軍に渡すことなくロシア兵の北海道上陸を阻止した。根本中将は戦後中国共産党と蒋介石の闘いで、蒋介石に中国大陸から脱出する時に大変お世話になったということで蒋介石の軍に味方して戦功をおさめた。根本中将は2万何千人かの満州に住む日本人を一人残さず日本に帰した。「武器を捨てて投降せよ」という軍令部に従わなかったわけだ。従っていたら日本人は大変な悲惨な目にあっていただろう。

 戦争だから勝った方が好きなことを言うだろうけれど、「アジアを白人至上主義から解放しよう」という日本のスローガン通りに戦後はなった。インドネシアには終戦後2000~3000人の日本兵が残りオランダからの独立戦争に参加した。フィリピンはアメリカからビルマはイギリスから、ベトナムはフランスから、ラオスもフランスから独立した。東南アジアに利権を持っていた連合国は植民地を失ったことで悔しくてならなかった。その腹いせになったのが東京裁判なのだ。私はそのように理解している。日本はアジアを解放した。何百万人という日本人の命を燃やしてアジアを解放したのだ。どうにもならないほどの劣勢でありながらも最後にはやり遂げたのである。

2021年7月3日土曜日

お泊り会が終了

  午後から園長会があって、子どもたちのお泊り会の準備だとかご飯の支度には参加できなかったのが残念。来年からはお泊り会を一週間遅らせてやることにする。もともとは夏休み前に行って、お泊り会が終わるとそのまま夏休みに入るといったやり方であったけれども、子どもたちのお泊り会後の姿を見たいということで夏休み前にやることになった。お泊り会後の子どもの姿として研修会で発表したりした。それ以前とその後の子どもたちの発達について、あおば台が得意になって発表した時をよく覚えている。子どもの発達の探究者になって研修会で良く発表していた時の話だ。

 お泊り会の導入の時は私が子どもたちに話をしたのだが、その時には「お泊り会はちょっと嫌だな」と思っている数はあおば台で5人ぐらいで第二では15人ぐらいいた。なぜ嫌なのかを聞いてみるとお母さんと離れるのが嫌だというのが圧倒的に多く、逆にお母さんが可哀そうだというのもいた。本当は自分が可哀そうなのだろうけれど。第二では、あまりの多さにやるかやらないかは後から決めることにして、みんながやりたいという気持ちまで待とうということにした。それから二日後には「みんながやりたいというので来てください」という呼び出しがあった。今日の朝の子どもたちの清々しい顔を見てみたら、顔に自信が溢れていて力強く感じた。自分たちで係を決め、ご飯を炊く係から翌朝の朝食までをどのように決めるかを話し合う。小さい心の中で精いっぱい考えて発表していたのだろうけれど、それぞれに自信をつけた時間となったであろう。

 何よりもみんなで計画したキャンプファイヤーや花火なども、あの悪天候の中で全部できたということが素晴らしい。その進行係になっていた保育者の判断に敬意を表したい。全部できたということは、それだけ子どもたちに豊かな時間を提供できたということだ。ありがたいことだ。保育者はほとんど眠れなかっただろうから、車の運転に気を付けてお帰り頂いてゆっくり寝てほしい。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...