2021年7月12日月曜日

どこの国にもまねのできぬ教育

  私の感覚ではとても足元にも及ばぬすごい学校があった。ラバウルで終戦だった父親から海軍兵学校の凄さはよく聞いていたけれども、具体的なことはよくわからなかった。鈴木貫太郎という第27代兵学校校長の時に、一線を画する大改革を行った。大正7年から9年の短い間だったが、1鉄拳制裁禁止。2歴史及び哲学教育強化。3試験成績公表禁止(出世競争意識の防止)。戦争映画でも海軍兵学校の様子がよく見られたが、鉄拳制裁は海軍の特許みたいなものであったと思っていた。厳しい時代の中でゆとり教育を先取りした勇気と深い思慮に感激する。また当時の報道写真家の真継不二夫という人の写真集「海軍兵学校」の中で兵学校生徒の印象をこう強調している。「私が強く印象付けられたのは、生徒の顔の端正なことである。これほど揃って、整った容姿を持つ生徒が他の学校にいるであろうか。単に眉目秀麗で済まされない、研ぎ澄まされた精神の厳しい美しさである。鍛えたものだけが持つ美だと言ってもよい。無垢で、清純で、玲瓏である」。学生に対してこれだけの麗辞があるだろうか。また芸術家の美を探る美しい心も見える。海軍兵学校では5省というのを自己啓発の資料として応用している。1至誠に悖る(もとる)なかりしか。2言行に恥ずるなかりしか。3気力に欠くるなかりしか。4努力に憾(うら)みなかりしか。5無精に亘るなかりしか。これは現在でも継承されている。残念ながら今の日本ではこのような学校はできないだろうから、もう一度「江田島」を復活していただいて素晴らしい日本の心を持った学生を生み出してほしい。そして見てみたい。研ぎ澄まされた精神の持ち主の青年を。

 前出の鈴木貫太郎さんは終戦時の総理としてGHQによって絞首刑にされた。要職についていた者は意味もなく殺されてしまったのだ。以前に書いた東条英機のところで、ユダヤ人2万から3万人をビザなしで満州国に入れた。そこで野口中将に指示したと書いて野口中将が満州守備隊でロシアの兵隊と闘ったと書いたけれども、守備隊として戦ったのは根本中将で根本中将はのちにアリュウシャンの島を転々としてロシア軍とたたかった。日本が敗戦を決めた後からロシア軍が攻めてきたので、武器を捨て投降すっることなくロシア兵を追い返した。根本中将は武器をロシア軍に渡すことなくロシア兵の北海道上陸を阻止した。根本中将は戦後中国共産党と蒋介石の闘いで、蒋介石に中国大陸から脱出する時に大変お世話になったということで蒋介石の軍に味方して戦功をおさめた。根本中将は2万何千人かの満州に住む日本人を一人残さず日本に帰した。「武器を捨てて投降せよ」という軍令部に従わなかったわけだ。従っていたら日本人は大変な悲惨な目にあっていただろう。

 戦争だから勝った方が好きなことを言うだろうけれど、「アジアを白人至上主義から解放しよう」という日本のスローガン通りに戦後はなった。インドネシアには終戦後2000~3000人の日本兵が残りオランダからの独立戦争に参加した。フィリピンはアメリカからビルマはイギリスから、ベトナムはフランスから、ラオスもフランスから独立した。東南アジアに利権を持っていた連合国は植民地を失ったことで悔しくてならなかった。その腹いせになったのが東京裁判なのだ。私はそのように理解している。日本はアジアを解放した。何百万人という日本人の命を燃やしてアジアを解放したのだ。どうにもならないほどの劣勢でありながらも最後にはやり遂げたのである。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...