2020年7月23日木曜日

お泊り会

 朝から小雨がぱらつくような空模様である。そのうち雨がやんで少し日差しも見えるようになってきた。「子供たちの熱気」でお天道様も遠慮がちのような気がする。結局外でやる出し物はすべてできたし寝るまでにすべての予定をクリアした。保育者も子供たちもたった一日の中の短い時間だったけれど十分に堪能できた。
 飯盒でご飯を炊き燃える日をじっと見つめながら、子供たちの頭の中はどんなことを思いめぐらしているのだろうか。しばらく一緒に火を眺めていると、突然子供が立ち上がり外水道のところへ行って水を出し、今度はその水をしげしげと眺めている。私にはわからないが子どもの頭の中で何かを発見したようだ。
 子どもたちのやることなすことにいちいち答えを求めなくてもよい。その事象を大切にしてあげることだ。

 朝のお迎えのころにはまた雨が振り出してきた。お泊り会が無事に終了したこともあって、保育者の中には安どの空気が漂っていた。お迎えに来た保護者の皆さんにはなかなかスムースにいかない様子をお見せしてしまったが、一つの大きな行事が終わってコロナに負けないでやり通したことが何よりもうれしい。

 政府はGOTOキャンペーンをごり押しというか国民の半数以上がコロナ感染の拡大している時期に何を血迷ったことを言っているのかという反応である。安倍内閣の末期的症状の様である。後手後手の政策にあきれてしまって、だれもが政府の政策に疑問を投げかけている。そのうえ、外国人観光客を徐々に呼び込もうなどとのたうち回っている。まずはコロナ感染の縮小だろうが。国があれば経済の復興はどうにでもなる。それは「生きよう!」とする人間の意思の表れだ。コロナ感染はそうはいかない。悪魔の手が姿を現さないで忍び込んでくる。なぜ東京はいつまでも感染拡大をしているのか。日本の首都がそのようなことでは他国から人々をお呼びするなんて詐欺行為ではないか。
 安倍総理のお友達政府も終焉の時が来たのだ。とはいえ次の人はだれがなる?。有望株だった鳥取の人は一時は気骨を見せていたが、今では阿部に近い人を取り込もうとして男芸者に成り下がってしまっている。よく見てみるとあとこちに忖度しているではないか。

2020年7月16日木曜日

コロナをやっつけろ!

 幼稚園も初等学部も通常通り行っているから、まったく問題はないけれど、幼稚園では年長さんの「お泊り会」を準備している。何をやっても賛否両論があるのだろうけれど、特に今回はコロナで政府によって2カ月も登校禁止になった。幼稚園は休園にはしなかったし初等学部もICTによる遠隔学習を行った。そんな余韻が脳裏をかすめていくのか「お泊り会」には何人かが否定的である。それは仕方がないと私は思っている。それは個人の見解だから私がコメントをすべきではないし、その人の一番良い方法で決断されたら良いと思っている。幼稚園は子どもたちの成長を促す拠り所として存在しているのだから、子ども側に立って行事は進めていく。幼稚園は何もしなくても何ともないが、何のために幼稚園があるのかと自問自答していると何ともやるせない。
 
 何よりも「命が大事だ」というような当たり前の殺し文句は聞き飽きた。家庭でもコロナを殺人鬼のように大げさに表現していると、それが子どもに感情移入という形で子供は警戒心が強くなるだろう。その反面何でもかんでも神経質になって冒険ができなくなる。なんでも程よくお願いしたいものだ。
 テレビで小学校の子どもや幼稚園の子どもがマスクをして、フェイスシ-ルドを付けたりしているのを見たことがあるけれど、そんな窮屈なことをして子どもたちは楽しいはずもない。おもちゃとして与えるならそれもよいだろうがすぐ飽きる。子どもたちが自由にのびのびとして普段のとおりに生活ができるように、創造的に考え教員は裏方に徹するべきであろう。
 
 東京の感染者がひどすぎる。毎日記録を更新しているのになんともしようがないのはどういうわけか。万策尽きたような政治家の物言いである。GOTO政策というのを知っていますか。国内旅行に関してクーポンをあげようというもの。それで消費の喚起を狙っているのだろうけれど、東京から出ていく者がコロナをまき散らしたらどうするのか。どこかの店でクラスターが発生したらどうするのか。政府のもいいに信頼性が持てない。これからは自分の頭で考えて結果については誰のせいにしてはならない。そのように生きていかなくてはならない。

2020年7月7日火曜日

お久しぶり

 入園式後からしばらく保護者の皆さんとお会いすることができなかった。今日は久しぶりの役員会で皆さんにお会いすることができた。みんなはつらつとしていて元気そうでよかった。まあ幼稚園の保護者だからみんな若いし、病気でもなければはつらつとしているものだ。今後の幼稚園行事などについてお話をすることになるのではないかと思っているが、三密がはびこっている間は思い切って事を運べない。マスク着用や、人との距離をとることなどを政府の言いなりにしていたら幼稚園ではやることが無くなってしまう。
 子どもを育てる中で子供と接する行為の中に心理学の中でアタッチメントというのがある、これは母子密着を表す言葉だ。こうやって子は育っていくということ。物理的に行う場合と子供の心に寄り添う場合に使われる言葉だが、これは子を育んでいくには最大最良の行為だ。コロナが命にかかわる問題だと言われれば誰もがそれ以上の話はできないが、その信ぴょう性と根拠を教えてほしい。

 感染者の数字が毎日報道されている。感染者は病院に入院した場合にどのような処置をされているのか、軽症者と言われた人はその後の生活はどうなっているのか。またどのようにしなければならないのか。知りたいことが定かでない。ワクチンもないのに重症者は入院先でどのように暮らしているのか。
 私たちはいつごろになったら通常の幼稚園生活が送れるようになるのか。「どうぞやってください」と言われてもお墨付きがないと不安だ。完全に開放できる号令はいったい誰がするのだろうか。命にかかわる問題だからと言われればなかなか一歩を踏み出せないでいる。「命にかかわる」は足止めさせるには完ぺきな言葉だ。

 中国の習国家主席を来賓としてお呼びするとかしないとか、自民党では外交部会に一任されたらしいが二階幹事長は腹の虫がおさまらないらしい。言いぐさがいい。先人が築いてきた関係をここで足蹴にするとは何事だと言っている。香港の住民が中国の政治によって蹂躙されていくのを私たちはリアルタイムで見ている。許せるはずがないのに、政治家はメンツを重んじてばかりでは民衆の賛同を得ることはできないだろう。
 しかも東シナ海や尖閣列島の現状を考えればもっと慎重になってほしいものだ。戦後領土の拡張を平気で行っているのは中国だけだ。いつ日本に飛び火してくるかわからないのにその時の日本の姿勢をよく考えてもらいたい。まず日本の領海で日本の漁船を追い回すのは即時やめてもらうことができるのか。

2020年7月3日金曜日

危機管理意識が希薄

 謎の気球が話題になっている。仙台上空に現れた気球は正体不明でどのような形状のものかも、下についていたアンテナらしきものもなんだかわからないままで終わってしまった。太平洋側で消息不明になったという情報であるが、それを多くの国民が目撃しているにもかかわらずなんだかわからないという結論で終わってしまっている。安全管理というのは台風情報や地震情報だけではあるまい。これがどこかの国の仕業だとしたら重大な問題だろう。日本でも第二次世界大戦の時に、アメリカ本土へめがけて風船爆弾を飛ばしたそうだ。どのくらいの量だったかは定かではないけれど、あまり効果はなかったそうだ。しかし細菌爆弾だったら悲惨な結果になっていただろう。

 それにしても我が国の防衛意識は全く心細いものだ。なんだかんだと言っても何かがあると北朝鮮がという言い方をするけれど、それは全く違うと思う。ミサイルの発射実験をして日本の上空をミサイルが通過したなどの怪しからん話があった時にも、あまりたいしたことではないような官房長官談話であった。そんなことではあるまい。独立国家の上空を他国の兵器が飛んで行ったということは戦争行為である。日本は何もできなかった。戦争状態であるぐらいのコメントを出せば相手国も驚くはずである。
 平和ボケも度が過ぎる。尖閣列島は日本古来の島であることは歴史上も確認されていると言われているが、そこに中国の海警の艦船が乗り込んできて日本の漁船を追い回している。その動画もしっかりと撮ってあるがなぜか政府は公表しない。なぜなのか政府部内には中国シンパが多いのか。中国は好戦的である。そんな国が近くにあるので日本は日本に手出しをしたらそれ相応の対価が必要であることを相手に認識させなければならない。日米安保で米国は日本を守ってはくれない。アメリカを頼りにしているととんでもないことになる。日本が本気になって怒ればどんな国でもちょっかいを出してくる国はない。第二次世界大戦の時の日本人の精神を世界の人たちはよく知っているからだ。日本を攻めてくるのは近い将来には中国しかいない。

2020年7月2日木曜日

これから先のこと

 現実を踏まえ、将来はどうなるのだろうかということをだれもが真剣に考えていなければならないことだろう。自分でもよく考えてみると将来の予測を真剣に考えたことってあるのだろうかと思い返すと定かではない。案外こんなことを考えたり思い起こすこと自体が老人症なのかもしれない。
 昨日鼻水が止まらないので耳鼻科へ行ってきた。朝だけなのだけれども、まるで滝のように流れる時もある。これは大変なことだと急いで耳鼻科へ急行したわけだけれども、先生いわく「加齢によるものだと思うよ。僕もよくある」。という診断であった。どうもいまいち納得がいかないので「先生。その加齢によるという言い方はやめていただいてほかにありますか?」と伺ったところ「年取ると誰にでも出てくる兆候だよ」と言う。どこか変わったところが感じられないまま耳鼻科を後にした。

 あおば台幼稚園では人工の滝があって毎日水を流している。今日みたいに暑い日は水の落ちるところに寝そべってしばらくじっとしている子がいる。気持ちがいいだろうなと見ていると、今度は落ちた水の流れ行くところをおしゃべりをしながら歩いていく。楽しい幼児期の遊びだ。コロナでみんな委縮しているので、幼稚園も神経ピリピリしている。大人がもう少しおおらかにならないと、子どもはおおらかになれないし集中力も散漫になってしまう。
 公立のある学校で距離を取りながらフェイスシールドをしながら授業をしたり食事をしたりしているのをテレビで放映していた。その様子を子どもたちにインタビューしていて、子どもたちは一様に「安全でいい」とか食事の時も楽しいと答えていた。こんなことが楽しいはずがない。いい子ぶる子供は魅力がない。安全の根拠があやふやだ。日本の国のジャーナリストもいやらしい。

 北朝鮮に拉致されたまま帰ってこない「めぐみさんの父親」の滋さんが亡くなられた。日本国民としてこれほど無力さを感じたことはないだろう。みんな拉致問題に関して北朝鮮を許せないとか、親の心情を考えると何ともやるせないなどと、同情的だし何とかしたい思いが伝わってくる。北朝鮮を軍艦で囲んで交渉しなければ打開しないことは言うまでもない。昔の日本だったらやるだろうし、その前に強い国だったからこのような問題は起こらなかった。国連に頼っても何ららちが明かないどころか、国連が交渉したことなど聞いたこともない。
 ノルウエイの国民も拉致されたが早速北朝鮮に返還を求め、それができなかったら軍艦を回すということを言ったらすぐに解決できたそうだ。きれいごとでは問題の解決にはならない。そんなことは百も承知だが、政府は努力すると言って何の手も打てないでいる。これが国民を守る国家か。


生命力

  どろんこの中で体を横たえてけらけらと笑っている。何がおかしいのか、何が楽しいのかなんだかわからないけれど、腹を抱えて笑っている子もいる。泥の中からむっくりと起き上がって、子ども同士は顔を見合わせて笑っている。肩を震わせて笑っているから、きっと何か楽しいことを見つけたのかもしれ...