2021年10月25日月曜日

初等学部と幼稚園の運動会

  一昨日初等学部で来年度入職希望する職員面接が行われた。午前と午後に行われたがその間の正午には、学校のカリキュラムについて疑問を持っている保護者からの質問に答えるという時間があった。土曜日にもかかわらず、もっとも休みの日でないと時間が取れないということもあって、就職希望の人と学校の内容とお話しした。どちらも学校の内容をお話ししたので、まったく違った内容のお話ではなかったので、気持ちが途切れれることがなかった。この面接は保護者が設定してくれたことなので、保護者も中に入ってお話してくれたので大助かりであった。また保護者の話は歯切れが良くて、聞きやすかった。話の途中で草刈りの始末に来てくれた保護者もいて、それに保護者のお子様もいて、学校内はとても賑やかな雰囲気で楽しく過ごした時間であった。全く驚くほどのバイタリティと活気を持った保護者で、さぞ日常における生活も楽しいことだろうと思う。しぼみゆくわが身と違って血液が躍っているようだった。とてもありがたく感謝している。

 昨日は一週間延びた運動会が第二幼稚園であった。子どもたちの顔はどの子も光って輝いていて眩しかった。それに天気はと言えば、仰ぎ見ると雲一点もなしの澄み切った快晴で、天はあくまでも髙くといった感じ。絶好の日和の中で運動会が行われた。

 競技の中で年長はだいぶ勝ち負けにこだわる様子が見えてきたが、全員がというわけではない。タイヤ取りなどの力のいる競技では、歯を食いしばって力を出す様子があって、その真剣な顔にこちらも引き込まれて行ってしまう。リレーはやはり一番でないといやみたいで、2位とか3位などと呼ばれてもいい顔もしないし、騒ぎもしない。気持ちがはっきりしていて発達がよくわかる。年中さんのグループ競技は、心を一つになんて言ったって、訓練しているわけではないので、一つになんて絶対ならないと思う。グループのみんなの力の配分なんて到底計り知れないから、あっち行ったりこっち行ったりで、なかなかスムースにというわけにはいかない。それでも悪びれずにこにこしてるのが本当にかわいらしい。

2021年10月20日水曜日

日本ではとんでもないことが起きている

  コロナで日本中が困っているときに、違反を繰り返す政治家たち。以前1600人もの留学生が姿を消したということを書いた。なぜそんなにも多くの留学生を集めることができたのかということも不思議だ。大学の名前が挙がっているのにマスコミは報道しない。追跡調査もしたかどうかもわからない。文部科学省が騒がないのはおかしいし、野党がおとなしくしているのもおかしい。その大部分の留学生と言われているのはベトナム人だ。正確にいうと出稼ぎ労働者である。日本の法律では認められていない。だから留学生としているのだ。こんなことは普通一般の人にできる芸当ではない。政官学財の癒着の構造である。まず入国は法務省だろう。ビザの発給は外務省。受け入れ先の大学は文部科学省で、就労に関するものは厚生労働省だ。こんなことができるのは自民党だけで、しかもかなりの大物でなければできない。菅総理が最初に行った外遊先はベトナムである。ここでベトナム政府とディール(取引)があったのではないかと疑われても仕方がない。

 この問題を15年以上も追いかけているジャーナリストのお話として、信頼をもって書いている。しかしなぜベトナムなのか。その謎を解くカギは米国務省が発表したレポートにある。それは毎年発表されている報告書で日本ではほとんど知られていないことですが、世界の人身売買問題について扱っているレポートで、ここ10年以上日本はずっと指摘を受け続けている。現地で甘い言葉を囁き、多額の手数料を取り立て借金漬けにするブローカー。日本での働き口を紹介する目的でピンハネする日本側の業者。外国人を移民として入国させ、徹底的に搾取する。まるで現代の奴隷貿易の様な日本の闇社会が描かれている。

 特に日本の受け入れ業者は、ブローカーから紹介料として5万から25万円のキックバック。日本にきている人数で換算しても、最低でも100億円以上の稼ぎ。そんな大口顧客こそがベトナムであった。

 菅政権が誕生する前に、ベトナムと太いパイプを作り受け入れを増大させたのが二階前幹事長である。親中派で知られる二階氏だが幹事長になって初めての外遊の際、観光業界関係者や北海道知事など、1000人以上もの仲間を連れてベトナムを訪問している。そして現代の奴隷貿易とも言われているディールをベトナム政府との間でまとめ上げた。その深い貢献から、ベトナム人を受け入れ企業などに斡旋する管理団体で「特別顧問」にも就任。

 その顔触れは、特別顧問・二階俊博 会長・武部勤(元自民党幹事長) 顧問・河村建夫(自民党衆議院議員)  顧問・林幹雄(自民党幹事長代理) 片山さつき(自民党)・外国人労働者特別委員会トップ  この組織こそ、アメリカのレポートで「人身売買」との指摘を受けた「外国人労働者の受け入れ窓口」の一例である。

 ここに出てくるのは自民党ばかりで今は選挙中だから表には出せないけれど、自民党という政治団体が悪いのではなくここに書かれている人間が悪いのだ。自民党は内部を浄化しないといつの火か国民に嫌われる。自民党というのが悪の代名詞になってしまう。この国は自民党でなければだめだけれど、いつか内部爆発を起こして野党も自民党も再編して、まともな人間だけに政治をやってもらうしかない。これから生きていく子供たちが可哀そうではないか。こんなことを外国のレポートに書かれるなんて彼らこそ国賊であり国辱だ。

2021年10月18日月曜日

子どもはよく動く

  子どもの様子をじっと見ていると様々な発見がある。まず子どもってなぜよく駆け足をするのか。どんなに身近な距離でも駆け足をする。ゆっくり歩いても十分なのに、駆け足で距離を詰める。一人だけではない。何人かいてもみんなで同調したかのように駆け足をする。遊びというのはその辺にごろごろしていて、探し出すということはない。子犬がじゃれあったりしている様子によく似ている。意味もなく私の背中を突っついてみたりしてきゃきゃっと笑っていたりする。何が楽しいのかわからないが、腹を抱えて笑ったりしている。つまりエネルギッシュなのはよくわかる。内在されているエネルギーを常に放出先を考えているようだ。これもまた科学する力を蓄えているのだろう。そんな子どもたちだから、コロナは子どもにはとても残酷な仕打ちだ。

 あおば台では運動会があった。第二は残念ながら延期となってしまった。あおば台は初等学部を含めてとても楽しい運動会をやる。子どもたちが楽しくやるから観客もそれに引き込まれてしまうのだろう。幼稚園の子どもたちの真剣な顔と笑顔がとても素晴らしいし、初等学部は人数が少ないから、保護者も子どもたちも出っぱなしという感じがする。いずれにしても保護者とともに楽しむというのがいい。何よりも素晴らしいのは子どもたちだ。

2021年10月15日金曜日

雨は降らないで

  明日はあおば台の運動会である。雨は降らないでと願いながら、万国旗などを、お手伝いに来ている保護者と一緒になって用意をしている。運動会の練習などやっている覚えがない。雨が降ってきたり午前保育の時には何もできない。そんなときにはみんな部屋の中でやっているようだけど、運動会の練習を部屋の中ではかなりの無理があるのではないか。運動会の練習を意味もなくやるのには反対だな。練習然としてやるのでは幼児期の保育にはそぐわない。だから鼓笛など見世物はやってはいけない。自然さがないからだ。保育というのは自然さが大切だから、とってつけたようなのはだめだ。まだコロナの影響で席の割り振りをお父さんたちが来てやっていただいている。当日は駐車場係までやっていただくことになっていて、子どもたちの運動会の見学に支障がないようにお願いしたい。

 今日は初等学部の学校説明会があっていってきた。子どもたちも一役買ってくれて、保護者の前に出てきて学校の魅力などを話してくれた。素晴らしい子どもたちだ。思わず大拍手をしてしまった。あの子たちがプロパガンダをやってくれたら、この学校もじきに満杯になるだろう。東大の名誉教授の保護者も説明会に加わり、来年度から年に何回かのレクチャーもしてくれることになった。哲学が専攻だ。段々面白くなってきたね。

2021年10月13日水曜日

病院へ行ってきた

  かつての土浦協同病院と違って、建物はきれいだし、どの場所へ行っても暗いところはない。清潔感が溢れている。採血する場所も大体12か所ぐらいあって、それほど待つことはなくできる。以前の採血室というのは、薄暗い通路を渡ってその通路に長椅子が置いてあって、そこで年寄りたちがおしゃべりをしている。病院だからだれも大声を出すというのがなく、だれもがひそひそ話の様であって、薄気味悪い。相変わらず年寄りが多いけれど、どこの病院でもこのような有様だろう。違うところがあるとすれば、小児科と産婦人科とあえて言うなら若い女性に人気のある整形手術をするところだろう。年寄りが多いところだから名前を呼ばれても自分が呼ばれているということに気が付かない。自分が渡された番号札をじっと見ている。それも逆さに見ているから、なかなか自分の番が来ない。隣のおばさんに「ほらあんただよ」と言われておもむろに手をあげたりして採血場所に駆け寄る。もここまで来たら慌てなくとも何とかなるのに。しかしその姿が私の近未来の姿だと思うと、少しばかりいとおしくなって手を貸してあげようかと思ったりする。

 「代表的日本人」は内村鑑三が、知り合いの外国人に英語で書いて贈ったものだ。翻訳者がいるのでちょっと調べてみた。英文で書いて日本の文化を海外に紹介した本の代表的なものに、新渡戸稲蔵の「武士道」や岡倉天心の「茶の本」がある。15年ぐらい前になると思うけれどもどちらも友人の勧めで読んだことがある。


2021年10月12日火曜日

心が躍るような気持ち

  年少さんの運動会ごっこ。まっすぐに走れないで斜めに走っている。コーンのところを回るようにラインカーで印をつけてあるけれども、そこのところへ来るとエンドレスで回っている子もいるし、コーンは通り越して直接ゴールへ急ぐ子もいる。どんな形でも一生懸命がいい。みんなで集まろうと園庭に並び始めると、何人かの子がまっすぐクラスの方に駆け出して行ったので、そのあとを保育者が追っていく。そして聞いてみる「みんなどうしたの?」子どもが応える「おなかがすいたのでお弁当でも食べようかなと思って」だって。それが真顔で言っているというのが面白いではないか。そんなことを堂々と言えるのは心に何のわだかまりがないからで、とてもいい状況ではないか。そんな子どもたちを見て、胸いっぱいの幸せ感に包まれた。

 昨日初等学部で役員会があった。たまたま時間が空いたので、途中からであったけれど、私も同席させていただいた。たぶん話の内容は2学期の行事について話し合われたのではないかと推測している。耳が悪いものだから、率先して話の中に入っていけないのがもどかしいけれど、保護者の真摯な態度に頭が下がる。まったくありがたい。その帰りに低学年の女子たちが学校のロータリーのところで無邪気に遊んでいる姿を見て、世の大人たちが絶対に守らなければならない子どもたちの姿ではないかと、神妙に感じた瞬間である。大人社会の政治家も経済人たちも、今ある姿はこうした子どもたちからの借り物である。言ってみれば子どもたちからの借金で成り立っているのだ。だから子どもたちを大切にしない政府や経済では、長続きするはずがない。

 内村鑑三が書いた「代表的日本人」を読んだ。最初に出てくる西郷隆盛の話だけれど、彼は聖人に近いというか、天が遣わした聖人なのではないかと思う。彼に「敬天愛人」を言わせしめたのも聖人の業である。彼の姿はどう見ても太人だし豪傑であるけれども、情に脆く、人の心にきめ細かく対応できる何とも大きな人だ。私など何回生き返っても西郷隆盛のような人物には到底なれない。日本人にこのような人がいたというだけで誇りだ。心は広く、人に対する愛情は深く底なしである。今度はもう少し落ち着いて西郷隆盛を書いてみよう。

2021年10月11日月曜日

おかしなことばかり

  日本の教育に足らないのが「論理的思考」「創造的思考」「批判的思考」であると言われている。いずれも非認知能力に位置しているものである。認知能力も非認知能力も高い水準で持っている人もいるにはいるだろうが、いちいちそんなことを考えて学習したりしていると何も頭の中に入らないのではないか。フーバー研究所の西教授は「そんなこと考えなくていい。ゲームがしたければゲームをすればよい。マークシートに追われている受験生よりよほどよい」と言っている。確かに社会というのは学校の成績で何とかできるほど甘くはないし、もっともっと間口の広いものだ。東大出て官僚になり腹黒い政治家に使われて、知らず内に自分も腹黒い仲間になって、黒い金を多少持っていたって何になるか。何のために勉強してきたのか、これで一生が終わりだなんて少し悲しくはないか。楽しく生きて、幸せになることが学校の役目であるのだろうが、大手の学習塾に踊らされて、学校のランク付けに加担するような売国の思想はもうよそう。周りにいる人が幸せにならなければ何にもならないではないか。

 幼稚園では、運動会があるので園庭を駆け回る子供たちをよく目にする。そこで少し気になることを発見した。思い切り駆けるということを怖がる子がいる。コロナで外で元気よく遊ぶことができなかったのだろうか。生きるということは、体力をつけたり、危険物にとっさに身をよけるとか、仲間と元気に会話して楽しむというのも入っている。危険なコロナに防御することだけではない。保護者にしてみれば大変なこともあるだろうけれど、貧弱な子にだけはしたくないものだ。コロナもあと少しの我慢だろうから、保護者の皆さんも頑張ってあと少し!。

2021年10月2日土曜日

保育者はよく働く

  今日は入園考査である。間がなくもっとゆっくりやってもいいのにと思うけれども、コロナ対策で休みが多く、子どもたちの秋の行事が目前に迫っているので、どうしても日にちが取れないので詰まってしまったということだが、保育者はよく働く。外に出してあるベンチのペンキを塗ったり、外に出ているヤギ小屋の屋根を直したりしている。私と言えば外になっている柿をとって皮を向いてもらって食べている。今年は柿が良くなって毎日とって皮を向いて子どもたちに食べさせている。専門の保育者がついている。それがもう10日ぐらい続いているから、いかに今年はよく実がなったか想像以上だ。いつもカラスに狙われて教師と競争で柿をとっていたけれども、どうやら今年は教師側に軍配が上がりそうだ。それでもまだたわわに実っている。カラスは近くの電線のところで泣き叫んでいる。

 1840年ごろに始まった阿片戦争は、英国がインドから持ってきた阿片を清国にばらまいて利益を上げていたものを、清国が禁止したのをきっかけとなって戦争に発展したものであるが、いかに白人がアジアにきて勝手気ままにふるまっていたか。政治基盤も人民の掌握もできてない清国だから簡単に英国に負けてしまって、香港周辺のの港を自由貿易港にされてしまった。それからの英国は香港に銀行を作ったり東アジアへ進出の一大拠点としたが、日本は安政の大獄やら、尊王攘夷だとかで国内は揺れに揺れていたが、他国の軍隊が入ってきたりすることはなかった。先に長崎のグラバー邸など英国の商社が情報活動を行っており、日本の現状は理解していたようだ。

 

2021年10月1日金曜日

幼稚園の募集開始された

  あおば台幼稚園はメジャーではない。保育の現場については故久保田浩先生に倣い、発達理解や幼児心理などの理論武装には筑波大の故杉原一昭先生に倣った。とりわけ久保田先生を取り囲む現場の保育者には大変お世話になった。かつて「三歳児では遅すぎる」という井深大先生の本が爆発的に大流行したときがあった。これを早期知的教育と曲解した(実はまったくそのようなことではなかった)保護者が、幼児教育に早期知的教育を求めだして、日本国中早期知的教育一色に染まって手の施しように困った時があった。脳科学者やら発達心理学の権威が出てきて、この熱を抑えるのに大変苦労をされていた。私は早期知的教育は有害であるというような見解を持っていてその理論武装もしていた。しかし当時としてはまったく取り残されてしまって、募集時期には本当に寂しい思いをした。そんなときに励ましてくれたのが同じ幼稚園の保育者であった。これが一番強い味方であった。それに久保田先生を取り巻く保育者集団である。それ以後はあまり募集時期の新入園児の数にはこだわらなくなった。あおば台の保育メソッドが不要になったら私たちも不要になることだから、その時は潔く保育者をやめる。

 今回のパンデミックを、米国のトランプ支持者は「プランデミック」と呼んでいる。これは計画されたものだという意味だ。出所は中国の武漢かもしれないがこれをプロデュースしたのはアメリカの巨大製薬会社である。ということは全く嘘ではなく本当のこととして出回っている。その後ろにいるのがロックフェラー財団の錬金術だという。日本の野口英世もロックフェラー財団の医学研究所の部長だった経歴を持っている。まだ耳に新しいことにタミフルという薬があったが、この時は得体のしれない風邪が流行してこの薬が一躍有名になったが、この薬は臨床試験もまだ終わっていないのに出てきたという話だ。それはアメリカのFDAというところで新薬を承認するのだが、そのFDAはビックファーマという巨大製薬会社の寄付で成り立っている。これは不正だろう。そんな不正のところから日本はタミフルを買わされて5000万円分を捨てた。だから今回のコロナパンデミックにしてもプランデミックと言われる所以であるのだ。

 日本とアメリカはともにウィン・ウィンの関係ではない。日本は常にロストである。ではどうすればよいのか。日本が米国に支払っている「思いやり予算」当時は60億円。これは竹下登総理の時だからそれからいくらか貨幣価値も変わっているだろうが、今ではなんと5800億円である。また戦闘機などを買えば、その維持管理費や部品の消耗などメンテナスに莫大な金がかかる。ならば国内生産をすればいいじゃないかと思うけれども、日本には作らせてはくれない。日本を完全に独立させないために、日米で取り決めがあるのかもしれない。もう戦後75年にもなるのに米国は日本への利権を決して手放そうとしない。

 日本のかじ取りをして,国民が安定した生活ができるようにと自民党が選ばれて国政を担っているのに、自分の腹を肥やすようなことばかりしている国会議員がいることにはまったく我慢がならない。そのような国会議員を選んでいる地元の日本人も恥を知らなければならない。日本の国土を守り、日本人を守る国会議員になってほしい。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...