2021年2月16日火曜日

両園ともに発表会が終了した

  年長さんはある程度やってくれるだろうなと思って送り出すことができるけれど、年中の場合はどこにどんなものが潜んでいるかがわからないので、始まるまでは不安と期待でいっぱいである。うまく舞台に上がれるかとか、舞台に上がったところで自分のセリフが言えるのだろうかなどと、いらぬ心配があるけれど、見事にそんなつまらない心配を吹っ飛ばしてくれた。舞台に上がるだけでもかなりの葛藤があると思っているのだが、案外子どもたちの中では払拭されているということが分かった。とはいえ毎年同じことで心配している。

 年長さんは、劇をやる仲間が決定し劇の内容を理解すると覚えるのは早い。劇の脚本の良し悪しでうまく流れるかどうかが決まるので、教師の力量に左右されることは大である。といってもプロの脚本家ではないので、教師も手探りの状態でうまく流れて子どもたちに満足を与えられるかどうかが心配のしどころである。幼児期の劇遊びは難しいと言われている。だから劇をとる発表会は意外と珍しい。それは発達の中で客観して物事を見つめる能力がまだ備わっていないからだ。それは正しいと思うが、私が目指しているのは、そのようなプロの目線ではなく、劇遊びの中で対人との関わりを通して、相手の考え方を少しでも感じ取れればいいと思っている。劇の指導はそれが中心となっている。だから振り付けなどの指導は殆どない。

 オリンピック大会長の人選が難航しているようだ。マスコミが徹底して煽っていて森会長を下したが、そのあとは考えていない。橋本聖子五輪大臣の名前が取りざたされているけれど、橋本さんは森総理だったか幹事長の時の子飼いだったのではないか。その人が森会長の後継者などなれるはずがないじゃないか。橋本さんもその辺のところは承知しているから固辞するのは見えている。JOCの委員長がなったらいいのではないか。マスコミは火をふったけても収めることができない。普通はマッチポンプと言って、火をつけたら消すこともするものだ。なぜオリンピックを辞めるとマスコミ各社が言わないか。スポンサー契約をしているからだ。本来中立的な報道ができないから、スポンサー契約はしないものだが、東京大会だけは別らしい。オリンピックが中止になったら莫大な損失を生むだろうから大変だ。彼らも普通の人間だ。ずるい!

2021年2月13日土曜日

権力者の傲り

  阿部政権の時の財務省幹部による議事録改ざん問題や桜を見る会など疑惑だらけであるけれど、疑惑が解明したことはない。中でも許せないのが財務省の佐川という役人。改ざんしたものはシュレッダーに入れてしまって跡形もないというけれど、誰かがこっそり持っていてあと何年かたったころに祥子がふと出て来るなんてことはよくある話だ。それまで毎日震えて怯えて暮らすことも多少の罪の償いになるかもしれない。公務員の犯罪だから、国民の敵になったことは自分自身でもよく分かっているだろう。それにしてもこの件についてはマスコミのあきらめが良いことも不思議な一幕だ。森友問題は全く腑に落ちない幕引きである。脛に傷あるものは口をつぐんだままだ。

 国会議員の大衆を意識しない行動がよくニュースになっているけれど、みんな往生際が悪い。緊急事態宣言は政府が発令したにもかかわらず、政府の要人が会食したり銀座へ飲みに行ったり、選挙違反に問われた夫婦の国会議員もニュースになった。裁判が終わるまでは被告人のままで罪状がつかないからなのか議員を辞退する気がさらさらない。その間税金が支払われている。国会議員を縛り上げる法律を作らないと、国民が食われてしまう。日韓議連の幹事長をしているそうな河村衆議院議員が韓国へ行くそうだ。このご時世で韓国へ行って何を話してくるというのだ。パフォーマンスだけで何の進展もないだろうと思っているし何も望んではいない。後ろにいる人物が絶対に表に顔を表さないというのが苦々しい。国民は分かっているのに平気な顔をして記者会見などをしている。とんでもなく腹黒い。

  今の自民党ではだめだと思うけれど、それではだれがとなると野党ではこの国は収められないし、政治家貧弱な国だ。私も自民党本部に出入りしていた時に「どうすればこの国をよくできるか」というテーマ―で真面目に議論した時があったが、この時に自民党本部の職員が「自民党のみの立候補者になると必ず自民党は割れるからそうすれば落ち着いたいい政治ができる」と発言した人がいた。確かに今の野党には自民党からの離党者が結構の数在籍している。だが政治は後退している。政治が悪いのはその国の国民の質によるからだとよく言われもしている。

 森さんの女性蔑視発言と言われている件については、私は意図的にあの人が女性を普段から蔑視しているとは到底思えない。日本の最高権力者まで上り詰めた人だから女性蔑視ではなくて国民を少し甘く見ているのだろう。今の自民党政権を見てみればその延長戦にあることなのだということがわかる。日本国民はジェンダーに甘いとか言われているけれど、どこの国が素晴らしいモデルになりえるというのだろうか。EUのどの国を指しているのだろうか。日本の国は家長制度で封建制をとってきた長い歴史がある。それはそれでよいところもあるし悪いところもある。この問題をバタフライ効果と呼んだ経済学者がいる。学のある人はうまいことを言う。アマゾンの蝶々が羽を合わせる程度の振動で、やがて日本まで届くというようなことだ。

2021年2月12日金曜日

第二発表会

  幼稚園には発表会というのがあって、あおば台では主に劇と合唱をやっている。発表会なのだからそれに限ったことではなく、幼稚園それぞれに発表会の趣向は違う。一年間の生活を写真に収めてクラスごとに担任が思いを込めて保護者に説明するなどの発表もあれば、制作展と銘打って参観日を設けて一日を過ごすというのもある。保育としての大きな行事では最後の行事といってもいい。

 コロナの関係で家族ならだれを呼んできてもよいということにはならず、残念なことに人数制限がある。幼稚園のホールで行ったが制限をしたことによって、祖父母の姿はほとんど見られなかったのが悲しい。孫の顔を見て励ましてあげたり、会話を楽しむことができないのは祖父母にとって悔しいことだ。あおば台では今年度は祖父母をお呼びできるような行事はもうない。とはいえこの幼稚園は地元の保護者というのが少ないので、それほど多くの祖父母は近くにはいないのかもしれない。

 3学期に入って劇遊びは保育の目玉であった。しかし保育にはすぐにとってつけるようなものはないので、じっくりと導入までもっていかなくてはならない。絵本を何冊か読み聞かせ、その中から気に入った物語を子どもたちに選ばせて劇を決める。そしてだれがどの劇をやるかを決める。この時が難しく子どもたちには試練になると推察する。絵本から劇を決めてグループを決め、保育者は物語の脚本を書き配役を決める。配役も子供たちが決めるから王様は一人なのに何人もが王様をやったり、お姫様が複数人になったりする。子どもたちの内面が納得すればそれでいいし、形にこだわらない。ただし物語の筋書きに関しては、大きく外れたりすることは、著作権があるから気を付けなければならない。

 少ない時間帯の中で良く子どもたちをまとめたと思う。子どもたち自らが作った大道具なんかも、登園するとすぐにホールに持ち出したりして、カラーのごみ袋をうまく衣装に仕上げて喜んで身につけている。子どもたちの意識と集中力によって発表会は楽しく終わった。コロナという今世紀未曽有のパンデミックにかかわらず、保護者の幼稚園に対する応援がうまく功を奏した形となった。ありがとうございました。


2021年2月2日火曜日

誇りを持つⅢ

  日本国民は自分の意思で自分の国を考える創造力も力も衰弱してしまった。無くしてしまったとはとても言い切れないし、そうであったら世界に目をやって開国に命をかけて戦った先人に申し訳ないではないか。幕末の志士たちの物語はたくさん読ませていただいた。どれもこれも興味があって面白いものであったが、あれは時代小説であって歴史小説ではないのではないかと思っている。あのまま歴史書として後輩に継承していくことで間違いがないのか不安な部分がある。大体の人が読んだことがあるだろう司馬遼太郎の「翔ぶが如く」など6巻もあるような長編であったけれど一気に読み漁ったものだ。それでも歴史というよりは創作的な物語的な娯楽小説のような気がする。なぜ殺されたのかとか、殺されなければならなかったのかというような、歴史の真実に迫るものがない。もっとも私には松下村塾と玉木文之進と吉田松陰の関係がよくわかっていない。玉木文之進が創始者で吉田松陰が塾長なのか定かではない。

 明治初期には立派な人物が大勢輩出した。幕府側にも開国側にも。しかしGHQによって、歴史から抹殺されてしまった。そのような嘘の歴史を教えなければならなかった教師も忸怩(じくじ)たる思いがあったであろう。GHQは徹底した言論統制のほかに、日本人の魂を抜き去るために、アメリカにとって不利なというか有害と思われる書物はすべて没収して燃やしてしまった。日本の良き文化を維持するために必要な学校教育の根幹となる教科書は「墨塗り」と言ってアメリカにとって不都合な部分は黒く塗りつぶした教科書を使わせた。何度も書くけれどもアメリカの戦史の中で日本との戦いほど過酷な戦いはなかった。物質量で勝るアメリカであったけれども日本人の国を守る気概に何度も圧倒されて、日本人を心底恐れた結果がGHQの日本人の精神を解体する統制政策だった。

 もう戦後75年になる。日本には北方領土や竹島問題に加え尖閣諸島の問題がある。これらの問題についても解決は難しいだろうが、自分の意見をはっきり持たなくてはならない。日本人は日本人としてこの国のアイデンテティをしっかりと持って、この国をどうしたいのかをしっかりとした考えを持たなくてはならないだろう。国家を国家たらしめる憲法がGHQの手によって書かれたということがはっきりとした今(出来た時から分かっていたことだが)、国民総意による国民の手による憲法を制定するのは当たり前のことではないか。日本人としての誇りを持つ拠り所となるのは何かをはっきりさせる必要がある。

生命力

  どろんこの中で体を横たえてけらけらと笑っている。何がおかしいのか、何が楽しいのかなんだかわからないけれど、腹を抱えて笑っている子もいる。泥の中からむっくりと起き上がって、子ども同士は顔を見合わせて笑っている。肩を震わせて笑っているから、きっと何か楽しいことを見つけたのかもしれ...