2022年9月30日金曜日

大東亜戦争の処理

  この戦争は連合国側の覇権戦争で、アジアを植民地にしたいという米国や欧州の魂胆であった。GHQが焚書とした戦前、戦中の本には東南アジアの人々に対する列強の人を人とも思わない奴隷のような使い方に日本人が憤慨している本がある。フィリピンは米国がオランダから奪ったものだし同じくインドネシアは戦後日本人が残ってオランダから独立したものだ。シンガポールは英国が管理していたところだが、ここにはいろいろな植民地から連れてきた人たちを住まわせていた。ほとんどが奴隷である。インドシナ半島はフランスが統治していたが、戦後独立運動によって現在のアセアン諸国が生まれた。日本が考えていた南洋諸国解放について書かれている戦前に書かれた「国防国家」という本があるので少し紹介しておきたい。

 例えば、近頃問題になっている南方を考えてみる。ニューギニアはオランダ領だけでも40万平方キロメートル、ちょうど日本の面積よりやや大きいくらいであるが、人口はわずか2,3十万しかいない。しかもその地の大部分は未開拓で土着民は以前たる原始生活を営み、数百年間ただオランダのためのみに働いているに過ぎない。ゴムを作っては米国の自動車工業のために奉仕しているに過ぎない。土着民自体の向上ということは全く顧みられぬのである。(間有)しかるにニューギニアにおけるオランダの統治ごときは、まったくニューギニア自体のためには何一つ貢献していないばかりか、彼らはニューギニアをただ自国のために利用しているにすぎないのである。こうした関係が正しくないことは論を待たない。ニューギニアの点さんを利用するのもいい。しかしそれによってニューギニア自体も繁栄しうるような方策で利用するのでなければならぬ。こうした関係に入ってこなければ世界各国が等しくその所を得て生活するということはできないのである。(世界再建と国防国家・抜粋・昭和15年11月10日陸軍少佐鈴木庫三監修)

 東南アジア諸国を旅行してみると英米が通った後には必ずと言ってよいほど日本軍の非道をパノラマ化したものが展示されている。これは何のことはない英米軍が現地の人々をむさぼった姿なのである。シンガポールにもあるけれど、戦後に米国のやり方で出来上がった物である。そうでなければGHQが日本を統治していることとギャップができてしまって、米軍の言っていることは嘘だということがばれてしまうから、わざわざ海外にまで足を延ばして悪口をねつ造したものだ。GHQが日本政府にプレスコード(米国の悪口は書いてはならない、米国兵の犯罪を書いてはならない)を仕掛けたことなどが表に出てしまうことを恐れたからに他ならない。それに味を占めた韓国が、ねつ造したものを日本に押し付けて金をむさぼり取っている。それもこれもサンフランシスコ条約で米国の犬となった吉田茂に、重大な責任がある。そういえばその人は国葬第一号だ。その時のものと沖縄地位協定が似ているから、志のある政治家がなんとか日本をまともな独立国家にしてほしいのだ。

 第二次世界大戦と言われているのは、日本の軍人たちの暴走で始まったことではない。何とかして日本から最初に手を出させて、正義の戦争としてプロパガンダを生かせたい米国による悪だくみから始まったのだ。真珠湾攻撃があった時、ときの大統領アイゼンハワーは小躍りして喜んだというではないか。日本が悪い国だから戦争を仕掛けたのではない。米国をはじめとする欧州帝国の利権を守るために彼らに仕組まれた戦いで、日本は大東亜を解放するために立ち上がったのだ。-----書き出すと止まらない。


2022年9月29日木曜日

戊辰戦争最後の闘い

  最後の戦いは函館の五稜郭である。五稜郭での生々しくも凄絶な戦いを書き表した歴史小説はない。時の官軍が書き残すことをためらったのではないか。明治維新は薩長土肥によって成し遂げられたということは歴史書にもあるけれど、これは戦争だからきれいごとばかりではない。白虎隊で有名な会津藩や最後まで戦い抜くという米沢藩の現在の地元の人たちには官軍の評判は非常に悪い。それは日本人同士でありながら武士道に悖(もと)る戦い方をして、あまりにも礼儀に欠ける官軍の戦いだったからである。司馬遼太郎の小説で幕末を感じていたら大きな間違いである。あれは歴史小説の様で時代劇の私小説である。当時小栗忠順という人物が幕閣にいたが、この人は今でいう大蔵大臣や外務大臣、警視総監を一手に引き受けて幕府のために働いていたけれど、官軍が江戸に近づいてくるときに海からの艦砲射撃と陸軍による迎撃作戦を将軍に申し上げたところ、却下された挙句首になってしまった。米国との不平等条約を正そうと動いていた頭脳明晰な武士であった。残念なことにこの人は土佐の当時16か17ぐらいの土佐の百姓侍にいとも簡単に殺されてしまった。

 徳川慶喜については大阪から江戸に逃げ帰ってしまったことに様々なことを言われているけれど、幕府が負けるような戦いではなかった。一緒にいた松平容保も何故大阪から江戸に帰ってきてしまったのか、将軍の言葉を言ってはいない。日本の侍をおさめる器量に欠けていたのだろう。時代の流れは薩長土肥によって時代を変えなくとも、外国船が日本近海をうようよしていたので、開国をしなければならなかったろう。開国と書いたけれども、日本は対外的に鎖国をしているといったことはなく、外国の船を受け入れていた。そもそもポルトガルやオランダの商戦が、日本人をさらって船底へ押し込めて人身売買をしたことに、ときの太閤秀吉が怒ってオランダ人宣教師を殺し、外国商船を一つの港に決めたことから鎖国なんて言われているけれど、太閤秀吉は立派だった。

 五稜郭は幕府軍最後の戦いとなったが、官軍は武士道を重んじるものは少なく、五稜郭の中は屍を埋められることもなく野ざらしにされていたという。戊辰戦争はこれで終わったが、薩長土肥のやり方には批判があったが勝てば官軍である。幕府側の有能な人材を残すことができたなら、もっと素晴らしい明治維新ができたかもしれない。

2022年9月28日水曜日

日本の歴史の中で

  日本の歴史の中で私たちが学んだ歴史は本当に真実なのかが疑わしい。勝てば官軍と言われるように、その都度戦があってそのたびごとに歴史が塗り替えられていたのではないか。新しいところでは、戦後の歴史の中で日本が独立し連合国から離れたのは事実かというとそうではない。私は戦後生まれで私が生まれて間もなくしてサンフランシスコ条約によって日本は国連入りしたが、これには絶対に密約がある。国民には当然知らせられてはいない。その時の張本人は吉田茂だ。政治家の国葬第1号である。今回の国葬第2号になった安倍晋三元総理は財務省の改ざんを許した人である。改ざんを許したというのは、日本の歴史を自分の手で書き換えてしまったということだから、大罪を犯した人である。国民の敵であるにもかかわらず国葬という何という茶番であろうか。私は共産党ではないから旗をもって国会まで言って抗議はしないけれど、ある程度の常識を心得ているからである。忖度ばかりしている意気地のない政治家ばかりだ。何と嘆かわしい。これからの歴史の汚点として残るだろう。

 なぜサンフランシスコ条約が密約だと断言できるのか。沖縄が日本に帰属したのはそのあとだけれども、当時の佐藤総理は非核三原則を謳ってノーベル平和賞を受賞されているが、当時の日本の文化人は「ブラックジョークだ」と言って笑い飛ばしていたけれども、私にはその意味が分からなかった。ずっと後になってその意味が分かった。日本には核搭載可能な原子力空母が入ってきているし核搭載可能な戦闘機もある。その方が日本を本気で守るという意思表示にもなるからそれでいいと思っているけれども、なぜ政治家は国民に真実を話さないのか。沖縄との地位協定を読んでみると「これが独立国家なのか」と憤慨したくなる。沖縄が怒るのもよくわかるが辺野古反対には私は反対だ。日本はサンフランシスコ条約で真に独立していない。他国の軍隊が首都圏に基地を持っているなんて、馬鹿にするにもほどがある。

 明治維新をもてはやしているけれど、幕府軍にはすごい能力のあった人が多かった。多少函館戦争(戊辰戦争)で榎本武揚をはじめとして生き残ったが、その中に新撰組副隊長の土方歳三もいたはずだが、いまだにその行くへを知るものがいない。榎本武揚は昌平塾を出た立派な学者でもあったし、ポルトガルへ留学し日本では海洋法の第一人者でもあった。「人生を二度生きた男」という時代物の小説の主人公でもある。

 これを書き出したら止まらなくなるのでその続きは後で書くことにする。

 ふと寝床でくちづさんだ童謡があった。野口雨情の「七つの子」や作者不明で小さいころによく歌ってもらった歌だ。「あの子はだ~れ誰でしょね なんなんなつめの花の下 おにんぎょさ~んとあそんでる となりのみよちゃんじゃないでしょか」。こんな歌詞を書く人ってどんな人だろう。この上なく慈愛に満ち満ちた優しい言葉ではないか。あまったらしい詩を書くハイネでもこうは書けないだろうし、これは日本古来の子どもに対する感性なのだろう。「素晴らしい!」と唸ってしまった。「赤い靴」という歌もある。こんな優しい大人に囲まれていれば、子どもたちのこれからの人生をまちがうことがないだろう。

2022年9月18日日曜日

台風が来ているようだ

  台風が来ているようだ。かなり強い台風で宮崎県では一度も経験のない雨量だから気をつけてくださいと何度もテレビで言っていた。茨城県の中でも特に災害から逃れているのが土浦市だろう。こんな素晴らしい場所なのに人口は減りっぱなしだ。土浦には目玉になるようなものがないのかな。予科連は知っている人が少なくなってしまったし、宣伝したってあまり意味がない。土浦の花火だって、今年はやるようだけれども、本当はすごい花火大会だけれども宣伝効果があまり見慣れない。これから土浦は衰退の一途を辿っていくだけなのかな。この街をどうしたら良いのかビジョンが見えない。

 小学生や中学生は目的を持って勉強していることだと思うけれど、もちろん高校生もだ。目標があるから学習意欲が高まるともいえる。教養の積み重ねとして読書をすると言うようなゆとりのある生徒や学生はいないだろう。しかし勉強することはある目的のためにと言うより、自分の身につける内面へのアクセサリーと思っていたら学習することが楽しく楽しくなるだろうな。

 夜に強い台風が鹿児島に上陸したと7時のテレビで言っていた。自然の威力は頭で考えの及ぶようなものではないから、十分に気をつけて危険なことは是非やめてじっとしていてほしい。自然は強いから。 

                         

2022年9月16日金曜日

運動会がある

  運動会が10月にある。年長さんはやることが毎年決まっているのでそれほど悩むことはないけれど、年中さんは毎年違う。保育者の創造力が試される時だ。そんなプレシャーをかけると動けなくなってしまうかもしれないけれど、そんなことに無関心でマイペースでやる保育者もいるのではないか。何といっても今はとても園内は忙しい。

 そんな中でも、昨日は年長さんが初等学部へ行って幼小交流を楽しんできた。年長は到着したとたんにバッタ捕りを始めた子もいたらしく、それを見ていた初等学部の3年生以下だけれども優しく見守っていたらしい。何といっても初等学部の子たちは優しい子が多いから、幼稚園の子たちは居心地が良かったろうと思う。綱引きや幼稚園の子は保育者が作った通称「ノアの箱舟」に載って、山になっているところから滑らせて遊んだらしい。運動会の用意やらで忙しい保育者も子どもたちと一緒に楽しんだらしい。帰りのバスの中で半分以上の子が眠ってしまったというから、結構ダイナミックに遊んだのだろうな。

 あおば台の年中は美浦にあるちょっとした遊び場で恐竜の滑り台に乗って遊んできた。第二で高津の貝塚に行ったような趣旨のもとでちょっとした遠足に行った。第二では砂場で貝殻を発見したことからその場所が海だったのではないかということで高津の貝塚へ行ったのだが、今回はあおば台で恐竜の話をしても観たことがないから、恐竜は人気があるけれど半信半疑の子が多い。そこで茨城恐竜博物館に連れて行こうと思ったけれども、そこまでは遠いので帰りのバスに間に合わないので、ほんとに近くを探して美浦ということになった。バスから帰ってくるなり「楽しかったよー!」という楽しい声聞こえて嬉しかった。時間があったら是非本物の化石のある博物館へ連れて行ってやってください。

 安倍さんの国葬はやめた方がいい。エリザベス女王の国葬が英国で行われるが、なんとも見劣りするのは必然。あまりにも日本を安売りするようで全く看過できない。何故ごり押しして国葬にするのか。それこそ恥の上塗りではないか。安倍家でもやめてほしいのではないか。自民党の傲りであって国民とはかなり遊離している。それが分からないから国民のための国会議員であり自民党だとは言えないのではないか。くどい様だが自民党のためにもやめた方が良い。

   

2022年9月15日木曜日

世界で起きていることは分からない

  日本で起きていることすら不可解なのに世界のことなど分かるはずがない。私にいろいろな情報を提供してくれる人たちも、目まぐるしく変わる情報にてんやわんやという状態ではないのか。安倍さんが暗殺されたら五輪に巣くっていたフィクサーたちがぞろぞろと顔を出すことになった。いかにも阿部さんが黒いところにいたということなのか。この際膿はすべて出し切らないとならない。このような犯罪はピラミッドになっているから「あれ」と思うような人まで出てくるかもしれない。森元総理を逮捕するかどうかが問題だ。ついでに言っておくけれども、全日本私立幼稚園連合会の不明金だって、前会長と事務局長だけで使いきれるものではない。現在名前が挙がっているのは二人だけれども6億もの金は友好費だけでなくなるはずがない。つながりのある政界にはまともな政治家もいれば、意地汚い政治家もいるから、そんなところへ流れている可能性もある。私が茨城から出向していたころには官僚と一緒に飲むときには大体立食パーティだったから、そんなところで金のやり取りはなかったろう。

 中国と米国の話。台湾の人が言っていた。米国のある共和党議員が6月ごろに台湾に来た時に「中国が一国二制度を最後まで約束通りにやると振りをするなら、米国は台湾は中国の一部であるという振りをしよう」と言っていた。そして最後に「これは一体どうゆうことですか」「そうです狐とタヌキのバカしあいです」と。中国は今や米国太平洋艦隊をしのぐ軍事力を誇っていると言われていますが、実戦での戦略では米国にはかなうまいと思っている。それはあくまでも他国の話であるけれど、米中は戦わないで日本も安泰でいた方が一番良いのは決まっているけれど、中国の拡張主義や高圧的な外交姿勢を見るたびに、近い将来必ずいざこざがあると思っている。日本は台湾側につくことは当たり前だろう。主義主張から中国共産党に味方することはない。戦争しても勝てないからやめた方がいい、というような最初から白旗を上げるようなことでは日本国を作ってくれた先祖に申し訳がないではないか。

 ビルゲイツがWHOに多額の寄付をしているらしい。武漢でウイルスが発生したときの直前まで、ビルゲイツはその研究所に滞在していたという。そして不思議なことに、本来ウイルスワクチンなどは治験期間が1年以上あると言われているのにもかかわらず、米国からファイザーとかモデルナとかいうワクチンが出て、あっという間に世界に流れた。それはあたかも予見されていたようではないか。今ビルゲイツが動くところに何かがあると言われている。ビルゲイツとはマイクロソフトの創立者だ。日本でも塩野義製薬が頑張っているようだけれども、米国の薬屋にはかなわない。

2022年9月13日火曜日

学ぶ力

  今日は第二幼稚園の保護者会の役員の皆様が集まって、2学期の様々な行事について話し合いがあったのではないかと推察する。何故推察になってしまうのかというと、初等学部の保護者でもある一ノ瀬先生が専門としている「哲学」についてのお話をしてくれるというので、保護者会の時間をお借りして「哲学」を身近なものから分かりやすく説明してもらった。という時間があったので、保護者会の時間に最後まで着席していられなかったので内容についてはっきりとわからないので推察にした。

 物事に霞みかかっていたり、もやがかかってはっきりしないものについて、わかりやすく説明できる事柄に置き換えるのが「哲学」であると私は理解していた。大体そんなものだと思っているけれど、それがどんな分野においても解説するというのがすごいと思う。先日いただいた本の中には数学のある理論。ゲノム解析によるDNA。私は私のテーブルの上で話がしたいのに、これはまるで部屋が違っていて私には無理だ。絶句して隣へ送らなければならない。それにしても彼は東大教授にして哲学者だから、いろいろな知識がちょっとどこかを押しただけで泉のように湧き上がってくる。何度生き返ってきてもこうにはなれないなと思う。でも知識の豊富な人と会話をするのはとても楽しい。何を聞いても多少の無理があっても応えてくれるので、彼に期待感がある。

 ところで今日の第二幼稚園の年中さんは土浦市の高津にある貝塚に行っている。砂遊びをしていて砂の中に貝が混じっていたので「先生ここは海だったの?」と子どもが聞いてきたのをきっかけにしてクラスで話し合ったらしい。そのことからこの先どのようになっていくのかは、子どもたちと保育者のお楽しみということだろうな。

2022年9月12日月曜日

入園説明会

  幼稚園の入園説明会が今日終了した。第二幼稚園はいつも応募者が多いので二日間でやることにしている。先週の金曜日に両園の説明会を行い、今日は第二幼稚園だけである。お子様が初めて親元を離れて幼稚園に来るわけだから、どこの幼稚園を選ぶかは保護者にとって思案のしどころであろう。そのように考えると本当に難しい問題になってしまうけれども、どこの幼稚園よりも最高の保育者がいるのは家庭である。母親に勝る保育者なんかいるわけがない。幼稚園教諭になるための学術書や保育士養成のための教科書を読んでみてもらえばわかるけれども、家庭にいる母親はそんな本を読まなくても立派に子育てができるではないか。しかも幼稚園教諭や保育士がいくら頑張ってみても母親が迎えに来ると、私たちに振り向きもせずに一目散に母親のもとへ飛びついていくではないか。世の母親は自分に自信を持つべきだ。

 海外から多くの来客があって、土産物屋で爆買いをしているらしい。「日本は安い」と異口同音に言っている。かつて私たちが韓国や東南アジアへ行って安いものをあさって買出しをしたようなことが、今は日本で行われている。日本は今や三流国に成り下がってしまっている。円安がここまで進むと、いやもっと進むであろうが、それで日本はどうなるのか。ハイパーインフレを引き起こすことは、ここへきて間違いがなさそうだ。企業が内部留保している現金を吐き出して、従業員に分け与え高騰している物価を追い越して手持ちの現金で買い物ができるようにしないと、インフレになってからでは遅い。その予兆はあるのだから日銀も財務省も政治家ももう少ししっかりしてもらわないと、手の付けられない三流以下の国になってしまう。あの総理ではできそうもないけれど、頑張ってもらわないと他に頼む人がいないのだから。

2022年9月8日木曜日

生きる価値って何なんだ

  生きていることについてあれやこれやと考えるのは、それなりの年齢になってきたということだ。議論として書いているわけではないから、言い放しになるけれど、一番身近にある学校教育のことを自分なりに考えてみると、戦後のGHQに日本の魂まで奪われてしまったというのが悔しい。日本の軍隊に苦しめられてきた米国が敵討ちのような東京裁判を起こし、国際法によらず勝手な解釈によってA級戦犯などを決め、7人の人を死刑にした。死刑にされた人の中には軍人も文人もいた。

  日本の憲法や教育基本法などは日本人の手によって作られたものではないということはGHQの内部文書によっても明らかになっているにもかかわらず、政治家はそれを正そうとしない。唯一米国まで言って談判したのは石原慎太郎だけだ。石原慎太郎は東京都の知事時代に「都心に外国の基地があるのはおかしいではないか」と言って横田基地の撤去または廃止をするように米国へ渡ったけれど、だれ一人としてそれに参画するものがいなかった。日米合同委員会というのがあって、これは国会に報告義務がなくて国会の上にあるようなものだ。私は何度も言っているけれど、日本は米国の植民地であって米国に米軍の駐留費をどのくらい支払っているのかを明らかにしないではないか。日本はちょっと脅かせばお金を出してくれるというのが国際的な暗黙の了解事項である。命がけで日本を創り上げてくれた先人に対して、今の日本は見るに忍びないではないか。

 日本の政治家ならず経済人までも日本人とした誇りを失ってしまっているのではないか。日本人としての誇りというのは、歴史の上に培ってきた「美徳」であったり「信念」である。芸術的素養そうだ。それらは金もうけにはならないけれど、日本人としての価値が高い。そういうものを大切にしていく人間を多く生み出さなくてはならない。何のために勉強するのか。「金持ちになりたい?」馬鹿なことを言うな!。みんな輝きを失った路傍の石の様で、貧弱な青年みたいではないか。

 戦後GHQが燃やしてしまった焚書が7000冊以上ある。それを少しずつ復刻しているらしいので、かつての本を読み、戦前の人たちは何を考えどのように生きようとしていたのかを学ばなくてはならない。とにかく米国に頼らなくても米国は日本を手放そうなんて考えることはない。日本は植民地として金づるになるから、日本は独立するのに専守防衛などと言わずに、日本に攻めてきたらそれなりの覚悟が必要になるということを危険な国に理解させることだ。このままでは世界の笑いものになるのを座して待つのみではないか。日本人として生きる価値はどこにあるのか。聞いてみたい。

2022年9月6日火曜日

日本の官僚は国民が雇用者であることを忘れてはならない

  日本にも秘密文書というのがある。重要な外交文書などは30年後に公開されるとかその重要度によって秘密にされる期間が長いようだ。秘密として扱われる期間は誰が決定するのかは知らない。しかし官僚の誰かが決めるのであろうし、解禁するのもその部所の官僚が決めるのであろう。しかしこんな話がある。解禁された文書を閲覧しようと思ったら、所々黒塗りで文字が隠されている。解禁されているはずなのにどうした物かと、係員に確かめたところ「まだその件に関する人物が存命だから」というのが黒塗りの理由だったそうだ。米国で解禁文書を閲覧したことのある氏にとっては大変な驚きで、秘密期間を設けた意味がないではないかと憤慨していた。法律で決めたものを国民の了解もなしに官僚が勝手に決めてしまうのは違反であると思うが、公務員には罰則がない。だから国民への最大の裏切りである文書の改ざんが行われてしまう。改ざんを命令したものは改ざんを実行した者の上司であろうし、その上司は権力者への忖度であろう。情けない軟弱な国家だ。そうした官僚によって日本の歴史がゆがめられてしまうのは非常に残念である。そんな人は多くはないと信じているが、一人でもそんな人がいたらだめだ。

 日本の総理が米国の議会で日本への投資をお願いするような話を聴いたけれど、日本株は買いですか?GDPは30年以上も横ばいで、国民の賃金は上がらなくて国民は疲弊している情況で、その上中国、ロシア、北朝鮮という狂犬国家に囲まれている国に、安心して投資ファンドが買いに来るのでしょうか。円安についても110円前後から145円になろうとしているのに何ら方策を示すことができないでいる。そして市場経済に任せているなどと逃げの一手しか政府も日銀も打つ手なしでは、国民の財産が目減りしているのに、政府から何のアナウンスもない。こんな無策で日本の舵取りができるのだろうか。アフリカに何千億というお金をばらまいて外面ばかりよく見せているけれど、そんなお金があるならば日本の技術が海外に流れないように研究者を流出させない法律を作ったらどうだ。

 東京オリンピックでほころびが出てきた。たかりの「バッハ」とか言われているIOC会長がしょっちゅう東京へ来ていた。この会計報告は出来上がったのかなどと言おうと思っていたら、「アオキ」から端を発し賄賂の問題が出てきた。必ず名前が出てくるかつての政治家もいるけれど、この人は後になって全日本私立幼稚園連合会の使い込みにも出てくるのではないか。私は現場を見ていないから確証のある話としては言えないが、私が全日に出向していた時の会長と入魂の間柄であった。ちょっと胡散臭い話になると私などは隅の方に追いやられているから、実態は知らないがその素振りはあった。うがった話ではない。責任はいつも下っ端が取らせられるものだ。

2022年9月3日土曜日

I PADが使えるようになった

 アイパッドが使えるようになった。購入してから暫くの間教員に貸しておいたものが「もう使わなくなったから」と言って返してくれたものが私の手元に戻ってきたものだ。もう何年も使ったことがないので、使い方をすっかり忘れてしまってそばにいる教師にあれやこれやと同じことを何度も聞いてやっと独り立ちできたiPadの使い方だけど、いつまた忘れてしまうかもわからないのでそばに教師がいないと心細くてならない。だからキーを打つのに自信がない。

 地球温暖化の話は聞いて久しい。100年前と比べて2度ほど地球の温度が上がっていると言っている学者がいるけれど、どこもかしこも平均して2度も上がっているのだろうか。どのような調べかたをしているのか皆目検討がつかないので俄に信用出来ない。かつて地球は寒冷化と言うのがあって温暖化と交互にやってくると聞いたことがある。それは太陽の黒点の変化やフレアーの大きさによってもその年の地球の気候が変わると言われている。それから地球の地軸の反転や地軸の異動にも地球の気候に変化をもたらすと言う。地球誕生と同じ頃地球と同じ大きさの惑星といえばいいのか物体が地球に衝突し、その片割れが月になったと言う人がいる。その衝突のおかげで地軸が23度ほど傾斜した。それで地球に四季ができたと言われている。聞いた話で見たことがないから実際はどうかは分からない。最近の茨城の暑さを考えてみると、それは本当なのかと思う時もある。

 プーチンはウクライナのナチスを一掃すると言っているけれど、ナチス以前にユダヤ人虐殺をやったのは1919年ロシア革命の頃ではないか。今でも言われるのはヒットラーかスターリンか毛沢東という虐殺者の話だ。ヒットラーは敗戦国だから戦勝国から好きなように扱われているけれど、実際には人殺しの数ではヒットラーよりもスターリンや毛沢東の方が多いし残虐さに置いては三者ともひけを取らない。歴史は戦勝国がいいように作るから、全く真実がわからない。日本の戦争侵略の話もそうだ。満州侵略と言われているのは、日清日露で戦勝国日本が勝ち取った権益でも関わらず、いつの間にか侵略になっている。満州事変から戦争が長引いて大東亜戦争にまでなって第二次世界大戦と言われているけれど、盧溝橋事件から端を発しているけれど、盧溝橋のどの位置から弾が飛んできたのかも定かではなく、蒋介石だか満州の馬賊だかわからないので、石原莞爾の側近の話によると、関東軍と敵対する相手と双方手打ちが終わったにも関わらず、どちらの陣営にも弾が飛んでくると言う不思議な話がある。コミンテルンの仕業ではないかと言うのが戦後の話だ。その話の当事者である石原莞爾という関東軍少将は東京裁判の時に「東條を出さずに俺を出せ」とGHQに申し出たがGHQは真実の暴露を恐れたのか石原莞爾は一度も東京裁判には召喚されなかった。

 戦後史などは本来愛国者の集まりである国会で明らかにするべきだが、国会内にも反日プロパガンダがいるのでどこまで真実を追求できるかわからない。愛国者が右翼と呼ばれるのは暴力団が愛国者のふりをして、企業から金を巻き上げたりして反社会的行為を繰り返しているからだ。悲しい事象だ。

 日本は米国の属国である。米国は日本を植民地化している。終戦後GHQが日本に進駐した時からの約束なのか。なぜ米国要人は羽田とか成田を利用して日本の玄関を通らないのか。日本政府が治外法権を認めているから他にないではないか。沖縄に駐留している米国人との地位協定には沖縄県人の代表者が入っているのか。日本国として米国と協定を結ぶなら一般的な人々に知らせるべきだろう。立法府も行政府も国民のためのものではなく、ある一握りの権力者によっていとなわれているとしたら、我が国民は不幸な国民である。




2022年9月2日金曜日

幼児教育に思う

  私が幼児教育を担うようになってからはや46年になる。最初は何もわからなくて幼稚園の教員の後をくっついてうろうろしているだけで役に立つなんてことは殆どなかった。勿論普段の保育のある日でもまるでよそ者と同じである。もともと幼稚園に対する考え方に全く不遜な考え方を持っていたので、幼稚園を見くびっていたところがあった。ところが幼稚園の熱心な教員がいて私をあちこちの研修会に参加させるのに苦心していた。幼稚園は「若い男子のするような仕事ではない!」と何の根拠があったわけでもないのに息巻いていた。それが徐々に久保田浩先生を取り巻く男性保育者の洗脳を受けて、「私にもできる」という自信から「私がやらなければ」という使命感に変わっていった。そんな教育を元々受けていないにもかかわらず、幼児教育をムキになって学んできた彼らと肩を並べて話をしたり、議論をしたりするのにはとても体力のいることだった。そこで私はある先輩からの紹介で一度だけ面識のある筑波大学の杉原先生に知己を得ることができたことをきっかけに、図ずしくも杉原先生を筑波大に尋ね「日本一の幼稚園を作る」ということで発達理解を教授していただけるようにお願いをした。先生は快く引き受けてくださり、併せて地域の幼稚園の教員をも一緒にゼミの中に入れてくれることになった。以来先生が亡くなるまで、25年間の長きにわたってご教授いただいた。大学へ通って講義を受けたのは私の幼稚園の教員だけになってしまったけれど、私の幼稚園の教員ともども素晴らしい経験であった。何といっても超一流の教授に教えをいただいたということと、教授を紹介してくれた先輩に心から感謝したい。そして保育理論の理論武装は杉原先生をはじめとする院生の力を得ながら、現場の保育に関する「子どもへの責任」などは久保田先生から教えをいただいた。全部覚えていれば鬼に金棒だけれどそうもいかないのが、私たちの仕事だ。

 幼稚園の参観日などは地域の保護者も来るわけだから、たぶん私の同級生や知り合いが来るのではないかと戦々恐々としていた。合うことが嫌なのだ。まったく嫌な日で幼稚園の片隅で息を殺して隠れていたくらいだ。私のような素人が大切なお子様を預けてくれる保護者に顔を見せるなんて無礼であろうという認識からだ。そのような反動もあって幼児教育に傾倒していったことは確かだ。恥ずかしかったことが多すぎる。

 私は幼児教育の発達理解を中心に学んできたけれど、それに基づいて幼稚園生活を組み立ててきた。しかし現在は子どもの発達理解よりも、いかに長く預かってくれるかとか、保育料云々とかバスが家の近くまで来てくれるかなどが主に幼稚園選びのファクターになっているようで寂しい気がする。私たちの訴える力が乏しいこともあるのかもしれないが、20年も前には「どんな保育をしているのですか」と聞いてくるの保護者がほとんどの親の姿だった。保育料は国が出してくれるからあまり問題にならないようだ。幼児期の経験の積み重ねが確実にその先の発達に影響があることは絶対に確かなことだから、幼児期の生活は重要なのだから決しておろそかにしてはならないし甘く見てはならない。


能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...