2022年1月20日木曜日

沖縄が可哀そうだ

  沖縄の米軍は日本の法律を全然無視してやりたい放題ではないのか。米軍との協定はどうなっているのか。嘘偽りなしに国民の前にさらけ出してほしい。きっと国民が唖然とするような内容が込められているのだろう。大体同じ敗戦国であるドイツなどは米国の言いなりでないから、NATOに加盟していてもその分担金は日本の10分の1にもならないだろう。日本の政治家は米国に思寝てばかりだから、さんざんぼったくられている。中国や韓国にもぼったくられている。石原慎太郎のような毅然とした政治家が国政でも欲しいものだ。とにかく米軍との協定書を探して読んでみよう。米軍の沖縄での振る舞いはまるで治外法権の様ではないか。腹ただしいけれど日本の政治家は何をやっているのだろうか。反政府、反自民になるのもよくわかる。だけど日本人なのだから反日になるのは絶対だめだ。

 腹ただしいことは沢山あって、悔しいことも沢山あるけれど、一人でいきり立ったてどうにもならない。時々馬鹿らしくなるけれど、これが黙っていられようかというのがある。

 しかし私たちは日本を次の世代に受け渡さなければならない責務がある。しかも洋々とした未来を感じられるような日本だ。ずたずたになってしまった日本を、子どもたちに渡したのでは絶対にダメだ。私は戦後間もないころの生まれだけれど、戦争に負けた先人を恨んではいない。むしろ命がけで守ろうとした先人を誇りに思う。あの「ハルノート」を読んでみれば誰でもそう思う。

 あのにっこりとした子供たちの笑顔を、そのままにして時代をつないでいきたい。

2022年1月14日金曜日

大航海時代

  歴史というのも欧米中心にできている。大航海なんて言うのは、欧州列強が競って植民地探しをした時代で「大航海」なんて美名をつけるのは奥歯がかゆい。日本は先の大戦で負けたものだから欧米におもねて自分の国の歴史観も遠慮しながら語っているところがある。縄文土器などは焼き物からしても紀元前3000年ぐらい前に焼かれたものだということが調べついているので、縄文時代はもっと古くて長いのではないかと言われている。それでは欧州の歴史よりも古くなってしまうので遠慮してそれよりも新しい時代としている。学者が真実を言わないで日本の歴史を学ぶものはどうなる。大航海時代というのは、欧州列強による「人間狩り」である。人が人を奴隷にするための非人間的な行為を堂々としていた時代だ。やがてそのような人たちの集まりがアメリカに上陸して、同じようなことを始めて新しいUSAができたものだから、蛮族の塊みたいのがアメリカである。そんなアメリカに征服されて、アメリカの思うままに日本の生末を決められてしまった。日本の素晴らしさは景観だけではない。日本魂という世界に類を見ない誇り高い人間性である。いつしか誰かが日本を取り戻さなければならない。その時は政治家でではなく文化人でなければならないだろう。

 歴史の改ざんはあってはならぬものである。隣の韓国みたいになってしまうぞ。しかし昨今の国の議事録の改ざんや、統計の改ざんなど国民に雇われている公務員が議員に忖度し顔色を見ながら平気で不正を働いている。こんな悪代官みたいなものは誰か正義の味方がいて成敗しなければならないのに、本来野党と言われている者たちが立ち上がるべきなのに、彼らもまた悪代官の一味であったなどの脚本ではだれも観る気にもならない。日本は何という闇夜の世界なのか。

 明日から共通テストが始まるという。大学生になるのも大変だ。コロナのおかげで官僚の程度の低さがわかった。政策というのは大部分が官僚が作成するものだから、日本の舵取りというのは政治家ではなく実は官僚たちの合意で決定されているのだ。今回の大学入試のいざこざも官僚の信念のない決定だから、公平さを欠いている。必ず問題が起こるだろう。誰も方向を決められない。決定者がポピュリストだから、あっちこっちと方向が変わる。日本の国の教育は、対比することを教えないから、批判できない。よく「多様な生き方を」などと言っているけれどもそんなことは絶対に許してはいない。国定教科書は全国一律である。出版社は何十社かあるのだろうけれど、内容は国が決めるのだ。義務教育は国が管理しているのだから仕方がないのか。

 子どもは一人ひとり全員が違う。間違いなく違う。そんな子どもたちに一律の教科書を渡して同じように教育しようとすることに何か矛盾を感じないか。小学校を作ってからずっと考えて来たことで、違ったやり方を模索してきた。堀真一郎先生の学校教育が一番自分にはフィットしたのでそれをやろうと思っていたが、なかなか難しいようだった。最近私のところの保護者が紹介してくれた教育の方法で「イエナプラン」というのがあったが、それは私の幼児教育の恩師の久保田浩先生が奈良教育大時代に「吉城プラン」という方法を考えていて、すでに私の中では二番煎じであった。早くこの道のプロになりたいと思う。教育の方法というのは山登りと一緒でいろいろな方法がある。一番大切なのはデューイのいう子ども中心でなければならないということだろう。これをどのように現実化するのかということだ。

2022年1月6日木曜日

明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。

 昨日から幼稚園は始まっている。昨日は両園ともに2学期の総括をして3学期に備える。幼稚園の各クラスの実践記録が楽しくて面白い。子どもたちをよく見ているということがわかってよかった。

 今年は憂いのない楽しい1年にしたいものです。経営者である以上憂いは外せないだろうけれど、なるべく煩わしいものは遠ざけて、身近にいる人たちの楽しさや幸せを考えて生きていきたい。もういい加減に不惑の年だから、ゆっくりと静かにしていたいものだ。

 ある高校の同窓会紙のレポートに歴史についての意見が載せられていた。高校時代は「カマクラーズ」とか「ムロマチスト」などと日本史に傾倒していたが、大学へ入って歴史を選択することはなかったという。そもそも「過去がある」という証拠はどこにあるのだろう。過去はもはやどこにもないではないか、本当にあったかどうかどうやって確かめるのだろう。などと言って歴史について懐疑的なことを言っている。ちなみに投稿した人は東大の哲学の名誉教授であるので一語一語に説得力がある。哲学と言えば真理を追及する学問であると凡人は理解するけれど、彼は学者でありながらそのような概念を持ったことは一度もないという。歴史を簡単に放り投げてしまう最高学府の学者がいるので、多少の戸惑いがあるけれども私は歴史が好きだ。しかもいい加減なあてずっぽうな歴史観を言っている歴史学者について、訂正できるものならしてみたいと思っている。

 私は司馬遼太郎の「竜馬は行く」「坂の上の雲」だの時代小説が好きでよく読み耽ったものだ。しかしあれは歴史小説ではないということが歳を重ねることに分かってきた。不思議なことに竜馬は軍艦を買ったり、多くの武器を長州に流したりしていたけれど、その代金はだれが支払っていたのか。長崎のグラバー邸の二階には彼らをかくまう部屋があったとか言われているけれども、この時代になっても明らかにされていない。いまさらそんなことが明らかになっても日本の歴史については何の変化ももたらせないというのだろうか。「船中八策」はその後どうなったのか、西郷はそれを見逃したのか。歴史の面白さはそんな細分化された読む側の個々の思いが楽しい。学者として、教える側にいたのではそうもいかないのだろうけれど。

 日本に「鎖国制度」をもたらしたのは誰なのか。当時は全国的にそれを発令したのは誰なのか。「鎖国」という言葉は後になって歴史学者が言った言葉ではないのか。秀吉も、家光も使ってはいない。当時はスペイン人やポルトガル人がキリストの布教に来られて、その人たちの随行者が日本人を奴隷として本国に連れ去っていってしまうということがおきて、秀吉が激怒して本国へ(当時のスペインの基点はルソン島)帰してしまったということがあったが、すべての外国人ではなかった。それにしてもスペイン人はとんでもないことをしていた。それでも秀吉や家康は外国と交易がしたくて仕方がなかった。だから鎖国なんてするはずもない。また外国から攻め込まれるのを防ぐために鎖国をしたなんて言うのも真っ赤な嘘だ。大航海時代であっても、東洋の真珠と言われた日本にあこがれを持っていたけれども攻め取って植民地にしようなど思う国はなかった。日本にはそれだけの国力があったし、当時から強国であったのだ。

 今年も面白く楽しくやっていこう!。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...