2022年1月14日金曜日

大航海時代

  歴史というのも欧米中心にできている。大航海なんて言うのは、欧州列強が競って植民地探しをした時代で「大航海」なんて美名をつけるのは奥歯がかゆい。日本は先の大戦で負けたものだから欧米におもねて自分の国の歴史観も遠慮しながら語っているところがある。縄文土器などは焼き物からしても紀元前3000年ぐらい前に焼かれたものだということが調べついているので、縄文時代はもっと古くて長いのではないかと言われている。それでは欧州の歴史よりも古くなってしまうので遠慮してそれよりも新しい時代としている。学者が真実を言わないで日本の歴史を学ぶものはどうなる。大航海時代というのは、欧州列強による「人間狩り」である。人が人を奴隷にするための非人間的な行為を堂々としていた時代だ。やがてそのような人たちの集まりがアメリカに上陸して、同じようなことを始めて新しいUSAができたものだから、蛮族の塊みたいのがアメリカである。そんなアメリカに征服されて、アメリカの思うままに日本の生末を決められてしまった。日本の素晴らしさは景観だけではない。日本魂という世界に類を見ない誇り高い人間性である。いつしか誰かが日本を取り戻さなければならない。その時は政治家でではなく文化人でなければならないだろう。

 歴史の改ざんはあってはならぬものである。隣の韓国みたいになってしまうぞ。しかし昨今の国の議事録の改ざんや、統計の改ざんなど国民に雇われている公務員が議員に忖度し顔色を見ながら平気で不正を働いている。こんな悪代官みたいなものは誰か正義の味方がいて成敗しなければならないのに、本来野党と言われている者たちが立ち上がるべきなのに、彼らもまた悪代官の一味であったなどの脚本ではだれも観る気にもならない。日本は何という闇夜の世界なのか。

 明日から共通テストが始まるという。大学生になるのも大変だ。コロナのおかげで官僚の程度の低さがわかった。政策というのは大部分が官僚が作成するものだから、日本の舵取りというのは政治家ではなく実は官僚たちの合意で決定されているのだ。今回の大学入試のいざこざも官僚の信念のない決定だから、公平さを欠いている。必ず問題が起こるだろう。誰も方向を決められない。決定者がポピュリストだから、あっちこっちと方向が変わる。日本の国の教育は、対比することを教えないから、批判できない。よく「多様な生き方を」などと言っているけれどもそんなことは絶対に許してはいない。国定教科書は全国一律である。出版社は何十社かあるのだろうけれど、内容は国が決めるのだ。義務教育は国が管理しているのだから仕方がないのか。

 子どもは一人ひとり全員が違う。間違いなく違う。そんな子どもたちに一律の教科書を渡して同じように教育しようとすることに何か矛盾を感じないか。小学校を作ってからずっと考えて来たことで、違ったやり方を模索してきた。堀真一郎先生の学校教育が一番自分にはフィットしたのでそれをやろうと思っていたが、なかなか難しいようだった。最近私のところの保護者が紹介してくれた教育の方法で「イエナプラン」というのがあったが、それは私の幼児教育の恩師の久保田浩先生が奈良教育大時代に「吉城プラン」という方法を考えていて、すでに私の中では二番煎じであった。早くこの道のプロになりたいと思う。教育の方法というのは山登りと一緒でいろいろな方法がある。一番大切なのはデューイのいう子ども中心でなければならないということだろう。これをどのように現実化するのかということだ。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...