2022年1月6日木曜日

明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。

 昨日から幼稚園は始まっている。昨日は両園ともに2学期の総括をして3学期に備える。幼稚園の各クラスの実践記録が楽しくて面白い。子どもたちをよく見ているということがわかってよかった。

 今年は憂いのない楽しい1年にしたいものです。経営者である以上憂いは外せないだろうけれど、なるべく煩わしいものは遠ざけて、身近にいる人たちの楽しさや幸せを考えて生きていきたい。もういい加減に不惑の年だから、ゆっくりと静かにしていたいものだ。

 ある高校の同窓会紙のレポートに歴史についての意見が載せられていた。高校時代は「カマクラーズ」とか「ムロマチスト」などと日本史に傾倒していたが、大学へ入って歴史を選択することはなかったという。そもそも「過去がある」という証拠はどこにあるのだろう。過去はもはやどこにもないではないか、本当にあったかどうかどうやって確かめるのだろう。などと言って歴史について懐疑的なことを言っている。ちなみに投稿した人は東大の哲学の名誉教授であるので一語一語に説得力がある。哲学と言えば真理を追及する学問であると凡人は理解するけれど、彼は学者でありながらそのような概念を持ったことは一度もないという。歴史を簡単に放り投げてしまう最高学府の学者がいるので、多少の戸惑いがあるけれども私は歴史が好きだ。しかもいい加減なあてずっぽうな歴史観を言っている歴史学者について、訂正できるものならしてみたいと思っている。

 私は司馬遼太郎の「竜馬は行く」「坂の上の雲」だの時代小説が好きでよく読み耽ったものだ。しかしあれは歴史小説ではないということが歳を重ねることに分かってきた。不思議なことに竜馬は軍艦を買ったり、多くの武器を長州に流したりしていたけれど、その代金はだれが支払っていたのか。長崎のグラバー邸の二階には彼らをかくまう部屋があったとか言われているけれども、この時代になっても明らかにされていない。いまさらそんなことが明らかになっても日本の歴史については何の変化ももたらせないというのだろうか。「船中八策」はその後どうなったのか、西郷はそれを見逃したのか。歴史の面白さはそんな細分化された読む側の個々の思いが楽しい。学者として、教える側にいたのではそうもいかないのだろうけれど。

 日本に「鎖国制度」をもたらしたのは誰なのか。当時は全国的にそれを発令したのは誰なのか。「鎖国」という言葉は後になって歴史学者が言った言葉ではないのか。秀吉も、家光も使ってはいない。当時はスペイン人やポルトガル人がキリストの布教に来られて、その人たちの随行者が日本人を奴隷として本国に連れ去っていってしまうということがおきて、秀吉が激怒して本国へ(当時のスペインの基点はルソン島)帰してしまったということがあったが、すべての外国人ではなかった。それにしてもスペイン人はとんでもないことをしていた。それでも秀吉や家康は外国と交易がしたくて仕方がなかった。だから鎖国なんてするはずもない。また外国から攻め込まれるのを防ぐために鎖国をしたなんて言うのも真っ赤な嘘だ。大航海時代であっても、東洋の真珠と言われた日本にあこがれを持っていたけれども攻め取って植民地にしようなど思う国はなかった。日本にはそれだけの国力があったし、当時から強国であったのだ。

 今年も面白く楽しくやっていこう!。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...