2022年10月23日日曜日

為替

  為替は一般的な言葉ではないだろうが、困っている人たちもいる。特に留学生は悲鳴も上がらないだろう。いいこともあるんだからと一部の政治家は言うけれど、これは異常ではないのか。日本に出稼ぎに来ている人たちや、外国から輸入をして加工貿易を主たる生業にしている業種にはたまったものではない。あまりにも急激すぎて、全てにおいて準備不足であったのではないか。為替は150円を超えてくる。円安容認とそのようにとられても仕方がない。しかしどうすればよいのか思案に暮れているところだろう。米国の金利上昇の時から経済人も政治家もこの日が必ず来ると言うことは予見できたはずだ。黒田日銀総裁は、為替はいじらないと言っているけれど、そのようなことを言っていたのでは、苦しむ人たちが増えてくる。かつて総需要抑制などと言って突然銀行が貸し出しをやめ金利上昇ということがあった。いわゆる失われた30年の始まりだ。あの時のことは何と説明するのだろうか。「プラザ合意」と言う言葉を知っているだろうか。この時にある評論家が「日米で日本は2度目の敗戦である」と言った人がいた。何を意味していたのかわからなかったが、今の円安だって日本がどこかの国と一緒になって円安防衛をすればいいのだけれど、日本には米ドル円換算にして500兆円のお金を持っているがこれを円買いに回すとしたら、米国が許してくれないという。これから日本の防衛費の問題が持ち上がるけれども防衛装備などについても、日本の言い分は米国の顔色を伺いながら進めることになるのではないか。中国は日本のことを米国の属国だと堂々と言っている。悔しいけれどこれでは中国とは対等以下の付き合いしかできないではないか。これから防衛研究について活発な議論が出てくる予感がするけれども、きっと国内にも反日的意見を言う人のグループが台頭してくるだろう。日本を守ると言うことはどう言うことなのか、ただ「戦争は嫌だ」と言うことだけではなく、その後どうなるのかを真剣に議論していかなくてはならないだろう。

2022年10月21日金曜日

まだコロナがうろついている

 コロナの終息宣言がなかなか出ないようだ。もうそろそろかなと思っていたところへクラスの何人かが休みですなんて言ってきたりする。まだ年少の運動会が終わっていないので心配なところはあるけれど、無理に運動会に出席しなければならないなんて思わないでください。身体が一番大切だから。それに子供の楽しいところは、これからもいっぱい見ることができますから。いつでも楽しみにできますよ。私は先日年少さんの「子供運動会」を見せていただきました。可愛いのなんのってデレデレしてしまって、なかなか名状しがたいものがあります。「これから生きていくんだな」と思うとなぜか愛おしい。このままでいて床の間にでも飾っておいてずっと眺めていても飽きないような、神秘な力を持っているようだ。大切に育ててくださいね。これからの人生で多分いうことを聞かないで、なかなか思うようにいかなくて、子どもをいたぶったりすることがあるかもしれないけれど、思うようにいかないのは子どもも一緒で、子どもも一生懸命だけどどうにもならない、自分に腹ただしいのだからわかってあげてください。どうにもならない時には一緒に泣いてください。

2022年10月17日月曜日

運動会

  「うんどうかいだちゃちゃちゃちゃ」と言って幼稚園の運動会は始まる。親子で一緒に同じ目的で楽しい時間を過ごすなんてことは子どもにとっては最高に楽しいことだろう。親子でいる時の子どもの顔はどの顔をとってみても幸せ感でいっぱいになっている。幸せではちきれているのだ。「いいな」としみじみと思う。こんな時間を連続して持てたなら将来において不徳な道に染まることなんて絶対にないだろうと思う。子どもばかりの話ではない。お父さんもお母さんの顔もとても幸せそうだ。そんな中にいさせてもらえて、私たち保育者もこの上ない幸せ者だ。だからあまり現世においての「不満などいったら罰が当たるぞって」自分に言い聞かせてはいるのだが、これがどうもブレーキが利かない。子どもって身体が小さくて、視野も狭くやっていることは自分勝手なことばかりだけれど、皆と同じことをする喜びや、他と共感したときの喜びなどは身体全体で表す。それがとても微笑ましくてそれを見ているとどうしてもニヤニヤしてしまう。今度の運動会もコロナの影響も多少あって、残念ながら6年生や1年生を呼べなかった。運動会の何がいいって!園児たちと保護者と、保育者が一体になり感じあい共鳴しあうところが、ぬくもりを感じてとてもいい!。

 とんでもなく円安になってしまった。円安は悪いことばかりではないと馬鹿なことを総理は言っているけれど、商売はインバウンドの客ばかりではないだろうが。海外からくる客が爆買いをしてくれると言ってもそれは一過性の現象に過ぎない。むしろ円をドルに換金する時には大変な損失を感じることになるだろうし、海外旅行には躊躇せざるを得ないから、日本人にとっては貧しい環境である。コロナで動けなくなったり、円安で動けなくなったり踏んだり蹴ったりなのに政府は全く無策だ。今度は円安で困った人たちを助けるという政策を考えるだろう。大きな政策の軸がない。軸足がふらふらしているということだ。

 小学校の児童に簡単な本でいいから小説を読んでほしい。短編集がいい。必ず読み終えるという習慣をつけるという狙いもあるけれど、短編には傑作と言われるものも沢山ある。外文にも日本文学にもすぐれた短編がある。もっともその良し悪しは自分が決めればいいことだけど。私の数少ない読書歴の中でも、外国短編集では第一にオー・ヘンリーを推薦する。なぜ彼はあんなにも優しくなれるのか、なぜ書けるのか。唸ってしまう。

 

2022年10月10日月曜日

休みが多い

   休みが多いと思います。まだ小中学校へ通っていたころだったら飛び上がるほど嬉しかったのに。なぜそんなに学校が嫌いだったのだろうか。学校へ行くことはただ仲間に会える喜びだけで通っていたようなものだ。それでも父親と同級生だった教頭先生がいて、その先生がよく可愛がってくれたのでその先生だけには会いたいと思っていたので嫌々ながらも学校へ行っていた。教頭先生は昼食の時間になると、私を職員室に呼び出して教頭先生の机の前に座って将棋をさしたものだ。その先生が、次の時間は私が勝つと私の好きな授業をやることにしようなんて言うものだから、職員室はたくさんのクラスの応援の仲間でくろだかりだった。運良く私が勝つと、クラスのいじめっ子が「体育にろ!」と言うものだから、わざと「算数」と答えたら、放課後に待ち伏せされて殴られたことがあった。勉強することが何よりも嫌いだったと言うこともなかったけれど、なぜか先生の威圧的な態度がたまらなく我慢がならなかったのだ。勉強もしないでこのままバカになってしまうことも嫌だったので、好きな科目は私なりには一生懸命に頑張っていたつもりだった。天外伺朗(育の完全自由化の著者)さんが言うように「子供達が完全な自由を獲得するのには、この上ない試練を通過しなければならない」とあるように自由を得ることは与えられるものではないから。誰もがそうだと思うけれど、この頃から漠然とわかっていたような気がする。 

 先日連休があったばかりなのにまた休みだ。みんな働きすぎだから、この程度の休みはちょうどいいのかもしれないが、私のように子ども達と一緒にいるのが仕事だと言う者には、長い休みがしょっちゅうだと休みが飽きてしまう。  

 もう一度学校の授業の話に戻ろう。天外伺朗さんが言っていた。どんな授業であろうと画一的な授業ではその恩恵に預かるのは一部のものだけである。と。それはその通りだと思う。文科省の人だってそう思っている人がたくさんいてもこのシステムを打破できる人はいない。サドベリーバレーへ視察に行った人もいる。そのあとで日本の「ゆとり教育」が始まったけれども、うまく国民に伝わることがなかった。納得できる教育の本は世に反乱しているが、理想でも何でも実現してみようと言う人が現れてくれることを乞い願いたい。

2022年10月9日日曜日

今年最後の学校説明会(初等学部)

    昨日は初等学部の今年最後の学校説明会があった。最後といっても毎日のようにやっているけれど、普段の日は丁寧に説明できないかもしれないので、特別に説明会の日を設けているわけだ。3年生の女の子が楽しそうに大人を引率している様子がとても愛らしかった。とにかく初等学部の子は気持ちが澄んでいるので一緒にいるととても気持ちがいい。特に今回は参加者が多かったので子ども達もやりがいがあったのではないか。初等学部では東大の哲学の教授が特別に「子ども哲学」の授業を引き受けてくれ、そんな話も巷に広がってきたのかもしれない。保護者の皆さんが一生懸命になって募集に力を入れてくださっている。とてもありがたいことだが、子どもたちが自分の意思で生きられる、自分を生きることがどんなに大切で幸せなことだか、しかし実はとても厳しいことだ。大人も子どもだった時代を振り返って、青葉台の子どもたちを是非見て欲しいと願うばかりです。今この瞬間の連続が1日を作っているのだから、無駄にはできないとそう思うのです。

 私は歴史が好きで色々な本を読んでいるけれど、著名な歴史学者や考古学者の一言一言に左右されて、何が真実なのかがよくわからなくなっている。例えば私たちは司馬遼太郎の歴史書もどきの小説にだいぶ惑わされてきている。最近でははっきりと司馬遼太郎の小説は娯楽小説だと見極めがついてきた。なぜならここが知りたいと思うところでは深く入り込まないどころか、次の場面に移ってしまうと言うのがよくある。勤皇の志士が新撰組に追われてどこへ逃げ込んだのか、あれだけの動きをするにはかなりの資金が必要だったろうけれど、スポンサーは誰だったのか。長崎のグラバー邸に逃げ込むと必ず行くへ不明になるけれど、その当時グラバー邸を調べた人はいなかったのか。真実の歴史には絶対に逃げられないことがある。まだまだたくさんある。

 最近ではもっとすごいことが発見された。国立遺伝学研究所教授斉藤成也氏によるヤポネシアという新語による歴史観である。日本人は中国や朝鮮を通って日本列島に住み着いたものではない。以前から住み着いていた縄文人とアフリカからユーラシア大陸を渡ってきた渡来人の混血であると言うことと、沖縄は東南アジア系の混血であると言うことが明らかになった。だから日本の古来の文化は輸入ではなくオリジナルであることがはっきりした。縄文土器として有名な火焔土器など、中国や韓国から出てこない。その間に弥生があるのだから縄文はかなり古いのではないか。日本人的性格、例えば武士道を生み出した人間性などは中国や韓国では育たない。日本史が変わることは言うまでもない。誰に忖度するのでもなく真実を伝え、変わって欲しい。

2022年10月5日水曜日

幼稚園バスの事故

   幼稚園バスで子供を置き忘れ残された子供が熱中症で亡くなったと言う痛ましい事故があった。即座に子ども庁の方で送迎バスに安全装置をつけることを義務付けると言う措置が検討されている。即座にと言うのは担当している係官のパフォーマンスで、問題を拗らせてしまわないためだ。いつでも問題が起こると、機械化されたものを導入したがるけれど、幼稚園や保育所など幼児施設を運営している所で特に幼児バスで送迎しているところでは、園児の乗降については細心の注意を払って行うのは常識です。この場合は万が一の失態ですが、それを他の幼児施設に押し付けて問題解決を図ろうとする無策には腹が立ちます。この事故は幼児の安全を願うものとしての注意事項の初歩の初歩で、亡くなった家族の無念さを思うと言葉がありません。幼児教育の基本は、利便性ではなく多少時間がかかろうが丁寧に人が人と接することであるから、手抜きは敵である。

 幼稚園では「新米会食」が行われた。毎日ご飯が食べられるのはお百姓さんがお米や麦と言うパンになる材料を作ってくれるから食べられるのだから、お百姓さんにありがとうを言ってから「いただきます」を言って食べよう。とお話をして食べ始める。私がまだ足腰がしっかりしていた頃は薪でご飯を炊いて、おかずは大根の漬物二切れと味噌汁はじゃがいもとワカメと決まっていた。ごはんが美味しいし味噌汁も美味しいからそれだけでも子供たちのおかわりの列は長蛇の列だった。そんな子ども達と一緒に生活しているのが楽しかった。

2022年10月3日月曜日

初等学部で二学期が始まる

  この学校は世界一素晴らしい学校にしたくて作られた学校だけれど、原作の本とは少しばかり思うようにいかないところがある。思うようにいかないと考えているのは経営している側の話で、子どもたちにとっては世界一楽しい学校だろう。子どもたち一人ひとりが自分を生きることに懸命になっている。他人の嫌がることは絶対するな、大人になったら多くの人から嫌がらせを受けるから、自分を大切にするように相手も大切にしなさい。これが私の口癖だ。何よよりもみんなが幸せに生きることが最大の目標だ。それ以外は大したものは人生にはない。

 子どもたちの、子どもたちによる、子どもたちのための集会が行われた。何が議題に上がっているのかというと、①総会を集会と改名する ②ブランコの立ち乗りは何年生からとするか③中庭の植木のあるところを走ってもよいのか ④喧嘩をしたらどうしたらよいのかである。ブランコについて決まったことは、4年生から立ち乗りは良しとする。その理由は身体の成長などによる。注意として高学年は気を付けてブランコ遊びをすること。ちなみにあおば台幼稚園では規制がない。どんな乗り方でもよいことになっている。次に中庭を走ってもよいかというところでは、インターロッキング以外のところでは外靴を使う。とある。次に喧嘩が起きてしまったらどうするかというところでは、周りの人と話し合ってみようとなっている。とてもスリム化されている結果であるが、子どもたちはくどい議論は好まないし、結果として楽しくやろうというのが見て取れる。とても良いことだ。児童会の会長はずっと女性だから争いを好まない素晴らしい結論を出す。とても素晴らしい。素晴らしい学校は子どもたちが作るのだ。

 縄文時代と弥生時代の日本人の頭蓋骨の作りが違うと言われて、DNAの解析で第一人者と言われている斎藤成也先生(国立遺伝学研究所特任教授)の話を聴いた。驚いたことに日本人起源説には中国も韓国も全く関係なく日本人は独自のDNAを持っているということでした。それでは日本人はどこから来たのでしょうか。これが分かれば日本史ももっと深く理解することができるかもしれません。

 子どもたちはDNAやゲノムなどと言ってもあまり興味を示さないかもしれないけれど、宇宙の話なら晴れた日には星空を眺めたりするだろうから、宇宙の話をしようと思っている。最近になって地球は最初から水分を含んでいたなどの論文が出たというから、そんな話も面白い。子どもたちと話が盛り上がったらJAXAに連れて行って話を伺ってもいいではないか。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...