2021年8月31日火曜日

地球上がコロナで大騒ぎ

  コロナのおおもとはどこなのかということが解明されないまま、ワクチンの話で盛り上がっている。これが生物兵器だとしたら、これに対する防御はどこの国もできていない。どこの国が一番死者が少なかったのかということで、ディフェンスの強さがわかる。いわゆる人体実験である。しばらくの間幼少期の子は抗体が強くコロナウイルスにかかりにくいとされてきたけれど、ここにきて保育所でのクラスターの発生がが確認された。幼児がコロナウイルスに侵されて亡くなったとはまだ聞いていないが、いずれそんな日が来るかもしれないかもしれない。

 緊急事態宣言が茨城にも出されてその傘下にある市町村にも発令された。昨日までに小中学校の対応が幼稚園などにも報告があり、私立の幼稚園はどうするのかという問い合わせがある。私立の幼稚園の中には、認定こども園というのがあって、幼稚園型とか保育所型とか幼保型というのがあってこれを一つのやり方に持っていくことができない。この認定こども園というのは、保育所機能を併せ持った施設であることから、昭和22年に保育所が出来た時の保育所の役割が現在でも機能していて、「保育所は労働力再生産を便益ならしめる施設である」ことから、保護者の中に預かりを希望する者がいれば「預かる」のが建前で、むやみに休園することができない。

 あおば台も第二幼稚園もこれに該当することはないけれど、昨今の感染状況を見てみると悔しいけれど役所の話を聞いた方が良いという判断になって、緊急事態宣言が解除されるまで自由登園とすることに決定した。宣言後と解除後の接点はどのような状況になるのかということは分かりません。子どもたちがコロナの犠牲にならないように十分に注意をして生活することに心がけしましょう。

2021年8月26日木曜日

学校の今

  この歳になると腰が痛いとか内臓疾患やら声がしゃがれてくるなど、数え上げればくたびれるほど出てくるものだ。そんなこともあって当然ながら定期的に通わなければならない病院も決まっている。今まで通っていた病院が何年か前に新築して移転した。まず最初に採血をしたり尿検査をしたりするのだが、以前は薄暗いところで何人もの人が立ち上がって採血を待っているという感じで、健康な人でもどこか具合が悪くなってしまいそうな場所だったが現在のところは清潔感溢れていてとても気分良くしていられる。しかし診察を受けるところは相も変わらず長い時間待たされる。私はいつも一日がかりを覚悟して行っている。こんな状況は後死ぬまで続くのだろうなと覚悟している。

 そんなわけで最近は初等学部へ足を運ぶこともめっきり減ってしまっている。なるべく顔を見せない方がやりやすいだろうなと思っているところもあるけれど、最終的な責任は私にあるのだから、たまに学校へ行って状況把握をしなければと思い、今日は手摺の工事に大工さんが来ていると業者から連絡があったので教室を見て回った。この手摺は階段のところにあるもので子供たちにはすぐに遊びたくなるようなもので、すぐに壊れるのは目に見えていたものだ。下地のところが大切なものでそこのところを見に行った。プロがやることだから、心配はしていない。

 学校は緊急事態宣言のもとで原則リモートで授業となっているが、学校へきてプリント授業をしてもよいし、家庭で授業をしてもよいとなっていて、学校で授業を受けたい子どもたちが来ていた。可愛い子どもたちで挨拶もよくできて礼儀正しい子たちだ。学校では経営の問題もあるけれども、この子どもたちには全く関係のない話で、たぶん何の不信感も持たずに、全幅の信頼感をもって楽しく学校にきているのだろうな。何があってもこの子たちを裏切ってはなるまいと思う。この子たちをしっかりと卒業させなければなるまい。安心して学校に通わせてほしい。

2021年8月24日火曜日

夏祭り

 土曜日曜と幼稚園では「夏まつり」を開催した。このところコロナの勢いが強く爆発感染の様相を呈している。そんなわけで保護者には残念だけれども子供の送迎だけで祭りには参加できなかった。子どもたちは保育者の用意したゲームを体いっぱいで楽しんでいる様子があちこちで見られた。所々で歓声が上がり、コロナで消沈している気持ちが一気に吹き飛んだようだ。誰かが言っていた。「辻々に子どもたちの歓声が途絶えてしまった町は消滅する」と。確かにその通りだろう。子どもたちが帰るときには、保育者が毎日園にきて作っていたこの日のためのお土産を渡した。保育者も子どもたちもとてもいい顔だった。子どもたちは人と人とのつながりの中で人として成長していくものだから、まったくコロナが憎い。 

 北海道の旭川だったか女子中学生が変死体で発見されたことで、その母親は「いじめがあった」と主張している。その根拠となるのは携帯に入っていた文言である。教育委員会にも調査をお願いしているらしいが遅々として進まない。いじめにかかわった生徒の名前は10人に及ぶらしいが、そこの教頭が言うには10人の生徒と一人の生徒の価値は10人の生徒の方が重いと公然と母親に言ったそうだ。と言っているのは学校側には過失がないと言っているのだけれど、何を根拠に言っているのかわからない。ここの教頭は少し頭がおかしい。片方の一人の子は自殺をして自分の命をすでになくしてしまっているのに、母親に向かって言うべき言葉ではなかろう。そもそも教育委員会なんてものは常に学校側を守るための組織だからあまり当てにしないで、第三者委員会にお願いをした方が良い。その場合は必ず常識を持った正義感の強い弁護士が必要だ。

 首をかしげたくなるようなことは巷に転がっている。通産省の役人二人がコロナによる補償金を猫糞(ねこばば)してタワマンの支払いにしていたという話。官僚がやった話だと日本の役人は本当に腐っている。オリンピックにかかった費用は組織委員会に清算してもらうという話だが、組織委員会が信用できないので公認会計士の法人にやってもらった方が良い。組織委員会は、オリンピックにかかわる集まりで、歓迎会や打ち合わせとか言って多くの人と会食をしている。政府は国民に何と言っているのだ。東京都の小中学生にはパラリンピックに見学に来て多様性を学び、勇気をもらってほしい。というのが知事の会見にあった。障害を持った人でもこんなことでもできるのだという感動を与えたいのだろうけど、そもそもこの発言は障害を持った人に対して対等ではない。上からの目線である。

 アフガンについて一言。タリバン勢力が盛り返し、首都カブールを占拠した。首都カブールにはこれに対抗する軍隊が見当たらないのは、すでに取り決めがあって政府要人は我先にと逃げ出してしまったのではないか。銃で市民を脅し女性の権利を認めるなどと言ってもだれも信用しない。町には女性の姿が全く見られないというではないか。米国の最後のやり方だ。ベトナムがそうだったように、イラン、アフガニスタンと騒動の種をまいては去っていく。台湾を本当に守るのか。そのあとまで面倒見ることができるのか。徳川方と新政府が戦った戊辰戦争の時に、最後まで戦い抜いた庄内藩がいざ抵抗を止め新政府軍に投降したときに、新政府軍の大将の黒田清隆は腰のものを一切つけず(武器を持たず)、庄内藩の抵抗する城に向かっていった。そして上座に座り城明け渡しの文言を言い終わったら、すぐさまに下座に降りて「役目柄失礼仕った」と言ったそうだ。庄内藩の屈強な武士たちもこれには涙をこらえられなかったという話だ。後からの話でこの演出は西郷隆盛官軍総大将が、黒田清隆に申し述べたことだという。それを聞いた庄内藩の武士は、現在に至っても西郷翁の話は忘れないとして全国行脚してそれを伝えているという話だ。武器をもって脅し続けるタリバンを、市民が受け入れるだろうか。

2021年8月17日火曜日

DAIGOってなんだ

  DAIGOって何者なのだ。「僕は生活保護のお金を払うために税金を納めているんじゃないからね」「生活保護の人が生きていても僕は別に得しないけど、猫が生きていれば僕は得なんで」「猫が道路で伸びてたら可愛いなぁと思うけど、ホームレスのおっさんが伸びてると『なんでこいつ我が物顔で段ボール引いて寝てるんだろうな』と思うもんね」「自分にとって必要のない命は僕軽いんで。ホームレスの命はどうでもいいんで」「みんな思わない?どちらかっていうとホームレスっていない方が良くない?」「言っちゃ悪いけど。邪魔だしさ、プラスにならないしさ、臭いしさ」などと筆舌に耐えない。この直後に「自分の家族とホームレスとどちらの命しか救えませんとなったら、自分の家族の命を救うじゃないですか」「命は平等というけれど優劣は全然ある」「これは別に個人の意見じゃないですか。これに対して謝罪というのは別に」と開き直っている。これに対してコメントするのも汚らしくて吐き気を催すけれど、こんな青年をテレビに出演させるテレビ局も、プロデューサーもディレクターも同じ人種ではないかと疑ってしまう。日本の教育が悪いとか学校教育がなってないとか言われるけれど、この種の教育は家庭における道徳教育に類するものだ。、精神の高揚より拝金主義が何の疑いもなくまかり通る世の中だから、そのためには道徳心に目をつぶってしまう風潮がある。道徳の話をすると、それがすぐに軍国主義に直結するなどと、日本の国を正しい路線に戻そうとすることに、横やりを入れたがる反日人種が、大きな顔をしてのさばっているのが気にかかる。

 終戦記念日があった。本当は9月2日が終戦の日だがなぜか8月15日が終戦記念日とされている。こんなのは記念日というのはおかしい。終戦の日とか敗戦の日と言えばよい。でも9月2日はどこへ行った。

 中国が絶対に台湾には侵攻しないという確信があるならこのままの日本でもいいけれど、もしも侵攻して台湾が赤旗にでもなったら、日本はどうなる。もし他国からの何の抵抗もなく中国が台湾を抑えるようなことになれば、日本に対して中国は土下座外交を迫るだろう。千年以上の昔かつて中国が一大勢力を持っていたころと同じように朝貢を迫るが、その時はどうする。その頃になったら今の子どもたちはどうなっているのか。今のアフガンを見ても、米国は当てにできるものではない。広範囲にフランスや英国との同盟をよく考えておくべきだし、何があっても動じない心の強さを鍛錬しなければならない。もしも台湾が中国に取られるようなことになれば、東南アジアは中国の天下である。「平和を望むなら、常に戦の準備を怠ってはならない」これが歴史の教訓である。

2021年8月11日水曜日

いよいよコロナ疲れだ

  私はマスクをしているとすぐに息が苦しくなる。間質性肺炎というらしいけれど、普段の生活には全く困らない。血中酸素濃度を測る機械を指にはめて6分間歩くことをするのだけれど、6分なんてとても持たない。2分で危険な数値が出たのですぐに取りやめとなって担当の医師のところで説明を受けることになった。肺が硬直することを遅らす薬があるということと、酸素ボンベを持ち歩くのもあるし、家庭に据え付けておくこともできるというアドバイスをもらったが、どちらも嫌だ。コロナにかかると肺がやられて息苦しくなるということと、熱が出てなかなか下がらずに集中力が無くなる。私はコロナが流行る前に肺炎球菌性肺炎でこのような症状になった。いつも息苦しくなるのは軽い間質性肺炎のせいだ。長く持っても10年と言われているが、10年もあればありがたい。

 長尾クリニックの医師が、コロナに効く特効薬があるということを発表された。それはイベルメクチンというインフルエンザに効く薬だという。この件に関しては多くの医師の証言があって、どこでも誰でも使えるようにするには2段階にあるのを5段階に下げればできると言っている。医師の用語で何を言っているのかさっぱりわからないけれど、今のやり方だと蔓延するのを待っているようなものだとも言っている。いつも日本の行政は後手後手であるから、今回ばかりは官僚の言い訳を待たないで行動したらどうなのか。

 私は今哲学者が書いた「子どもの難問」という本を読んでいる。読んでいるうちに感じたことだが、子どもと関わる全ての大人に読んでいただきたい本である。哲学者が書いた哲学書では、いかにもがっちがっちの雰囲気がして、読む人が限られてしまうのではないか。この本の凄いのは、哲学者が子どもの訴える難問にやさしく柔らかく手を取るようにして解説しているという、心が温まる素晴らしい一冊である。大体このような場合は発達心理とか教育心理などを手掛けた教育者が答えるのが通常多くみられるけれど、哲学者が応えると事の心理を鋭く突いている。実を言うとこの本は、初等学部の保護者からいただいた本で、彼もこの本の中で執筆している。凄い人がいたものだ。哲学者ってこんなに優しいのかと新たに発見するだろうと思う。

2021年8月5日木曜日

日本一の素晴らしい学校

  コロナの話ばかりでは面白くないけれど、コロナワクチンによってそれが原因で何らかの病気になったり、命の危険にさらされても販売元は何の責任も取らないで、それを買った人の責任であるということを言って販売するなんて、文明国家のすることではないと思うがいかがであろうか。それをまともに受けて購入した日本政府は、国民に対して正直に話す義務があるだろう。しかもコロナワクチンが、感染予防に効果があるという確証はない、と日本の厚生労働大臣が明言している。こんなことをなぜメディアは隠しているのだ。地球上で悪魔が漂っているような気がする。コロナ中等患者は自宅療養で入院できないということは、すでに病院は満杯であるということなのか。自宅療養を進められた患者が泣いていた。「もう私たちは死ねということなのか」と。

 今日は初等学部で次年度の募集のための学校説明会が行われた。何と保護者主体の募集であったので、司会をかって出てくれたのが前東大教授で現在では私大の教授をなさっている保護者であった。そしてプレゼンターは卒業生の中学生である。教授が大学生の合否にかかわる設問を提出してくれたりしたので、漠然とした発達よりも具体的な子供の成長が提示されたのではないかと思う。保護者には特別な才能の持ち主が大勢いるので、今回の学校説明会は今までのより一歩前に進めたような気がした。まったく感謝しかない。中学生にとっても素晴らしい経験になったに違いない。私たち教員と呼ばれたり保育者と呼ばれる立場にあるものは、片時も私たちを応援してくださる保護者の温情を忘れてはならない。しっかりと恩返しをしなければならないが、どうすればよいのかを真剣に考えるべきだろう。しかしこんな素晴らしい学校がほかにあるだろうか。

 若いころに私たちは「孫子の兵法」について夢中ではないけれど、まあまあ勉強した経験がある。テキストがあって勉強したわけではないけれど、そのことについて知ったかぶりがいて、一生懸命話すものだからつい引き込まれて行って知ったような気になっていた。しかし石平氏の「中国5千年の虚言史」を読んだり、「諸葛孔明」を読んだり「孫子」を読んだり「三国志」を読んだりしていると、それがどんな成功を収めたとしても、どうしても腑に落ちなかった。人を貶める戦術に長けたものがその国の長になるなんて、日本の戦国時代にはない。あったとしても日本の歴史からすると、すぐさま強力な力でつぶされてしまう。漢民族や、元寇で日本に攻めてきた民族とは、人間の奥深いところで交わらない何かがありそうだ。人種が違うのだと思う。

 

 

 

2021年8月2日月曜日

なぜ若者がワクチンを打たないのか

  若者はただ集団でだべっているだけではない。多くの仲間から情報を得ていて自分の判断でコロナワクチンを打たないと決めている若者が多い。案外大人の方が盲目的にワクチンを打っている方が多いのではないか。私の手元にあるワクチン裏話によると、否、裏話ではなく真実。今回のファイザー社とか、モデルナ製とか言われているワクチンの契約書には「もしわが社が提供するコロナワクチンによって被害があっても、、私たちは何も責任を負わない、責任は製造メーカーでではなく使用した国家が賠償を負わなっければならない」とある。もしも何かあったら国民の税金で賠償金を支払えということだ。国際的な商取引としてもこれは異例なことではないのか。

 ちなみにコロナで亡くなったと思われる死亡者数は12月31日までで3300人で、2019年インフルエンザ肺炎で亡くなった死亡者数は3400人。このコロナ死亡については疑義がある。ウイルスPCR検査で陽性が出れば、その後に死亡した人については死因を問わず「コロナによる死亡例」として届け出なければならない。コロナによる死亡例としてカウントしなければならない。これは国家による国民への印象操作ではないか。しかしそんなことをマスコミも騒いだりしない。何か大きな「悪」が国民を覆っているような気がする。世界中がワクチンワクチンと騒いでいるのは、必ず世界の中枢にワクチンシンジケートができていて巨悪を生み出すのに一役買っている。大きな戦争、あるいはテロなどにはロンドンのロスチャイルドが死の商人としてついていて、どちらかがどうなってもロスチャイルドは莫大な利益を生む。国家を担っている政治家は多かれ少なかれそれを知っているが、あまりに大きくなりすぎて、それに口出しするようだったら、生命を狙われて再起できなくなってしまうから、みんな黙っている。コロナの商人はビルゲイツなのか。

 オリンピックもみんなが浮ついているころには、バッハのような世界に名をとどろかせている「たかり男爵」が一泊230万円もするホテルでニヤニヤしている。どうやらバッハの恫喝によって無観客から(有)観客に移行する競技が出てきそうだ。日本の総理の出番ではないか。少しぐらいはいい恰好してほしい。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...