2021年9月30日木曜日

子どもの凄さ

  何の意味があって駆けずり回っているのか。よく分からないけれど、駆け回っていることがどうも好きらしい。子どもの躍動感をじかに感じる時がこんな時だ。息を切らしながら、もう疲れたのではないかと思っていたら、にこにこしながら次の目的地に向かう。そこの目的地に何があるのかと探ってみても何も見当たらない。ただ駆け回っていることに彼なりの楽しみがあるのだろうな。大人には理解できないけれど、我々もこうした時間の使い方をしていたのかもしれない。何の煩わしいこともなく、悠久の時間を堪能している。こんな時間は今しか使えないからもうしばらく見ていようと思っていたら、仲間が現れた。そして最初にいた子が次の子になんやかんやと指図をしている。そして後から参加した子は右手を挙げてOKのサインをして同じように駆けずり回る。ただぐるぐると駆けずり回っているのではなく、子どもたちの中には一定の約束事があるようだ。面白い。

 大変なニュースが入ってきた。一度テレビでも放映されたことだが、東京福祉大学というところの留学生1600人が行くへ不明になったと。一度聞いたことだが、その後の行くへはわからないし、メディアも追及していない。このベトナム人についてはあまり良い噂は流れていない。留学生をあっせんするブローカーがいて、日本に行けば金になるなどと言って、日本へ行くための資金を5万円から25万円を徴収するらしく、借金をした分は日本で働いて返せばよいということだ。まるで奴隷商人である。なんと留学ビザで日本にきているべトナム人は12万人にも上る。こんなことは、日本では移民の受け入れはしていないのに、政財官がグルになってやらなければできないことだろう。日本ベトナム協会の会長が自民党幹事長の二階さんだ。その前が小泉総理の時の幹事長武部さんだ。どちらかが噛んでいることは確かだ。そうでなければこんな大掛かりなことはできない。二階さんにはまだ黒い利権の噂があるが、いずれ明らかになって日本人の恥になるだろう。メディアがこれを突っつかないのはどうしてなのか、藪蛇になるのだろうか。二階さんの周りにいる政治家はみんな何らかの利権に絡んでいる。そのように見て間違いはないだろう。82にもなってこんな恥ずかしいことを、何のために政治家になったのか。問う気にもならないけれど。

 「秀吉の4枚の手紙」というのを聞いたことがありますか。ヨーロッパでは大航海時代と言っていた1506年ごろ侵略対象国の分割方式を取り決めた「トリデシアル条約」というローマ教皇による裁定があった。その頃正確な世界地図があったのかどうか定かではないけれど、スペインやポルトガルによる侵略略奪競争が激しくなってきたのを機に、教皇が裁定を下したのだそうだ。その中に日本が入っていて、領土分割に勝手に線引きをしたのだそうだ。白人社会がいかに傲慢であったのかがうかがい知れる。

 信長の時代に鉄砲伝来があった。信長はいち早く堺の商人を呼んで鉄砲2千丁を作らせた。鉄砲伝来のポルトガル人も、スペインの宣教師フランシスコザビエルも「トリデシアル条約」によって新たな侵略地を探しに来たスパイであった。ただの宣教師ではなくてキリスト教を布教しに来ただけではなく他に重大な密命を帯びていたのだ。日本征服の足掛かりを探すために、九州の若者男女を買い奴隷としたのである。それを知った秀吉は、フィリピンを攻め落としたスペインの提督に対して、「われは今高麗を攻めているが、それが終わったらシナを攻め落とす。シナはルソン島とそれほど遠くはない、旗を降ろして我に従うかを応えよ。この話を本国の皇帝に伝えよ」というものであった。また「宣教師は活動を止めて本国に帰りなさいという命令に背き隠れて布教をしていたので、すぐさま捕らえて殺した。これも本国の皇帝に伝えなさい」。これは1595年前後の話で、秀吉が病に伏す時代である。フィリピンを抑えた提督は恐ろしくなって本国へ援軍を要請した。それ以後イベリアの軍隊はフィリピンから北を目指さなくなった。日本が弱い国であったなら260年もの間鎖国を続けることはできなかったろう。大航海時代の欧州列強と渡り合えるのは、アジアでは日本だけだったのである。

2021年9月29日水曜日

コロナは撲滅できるのか

  学校での最強のコロナ対策は休学することである。人流が交わらないようにすることと全員がワクチンを打つことだけれども、このワクチンについては賛否両論あって、いまだに拒否している人もいる。PCR検査についても、これを発明したキャリーアリス博士が生前にウイルスの検査には不十分なので使ってはならないと言っていたことが暴露されて、これを指導したものが右往左往しているという話も聞いた。しかし日本では全くそんな話がニュースになったなどの話は聞かない。どこかでかん口令を敷いているのかもしれないが、ウイルス研究者がテレビに出たりしているけれど、そんな話は聞いたことがない。アメリカでは今年いっぱいで現在のPCR検査はやめるそうだ。モデルナ製のワクチンは、この会社がワクチンを作ったのは初めてらしいが、なぜそんなに簡単に許可されてしまうのか。日本とは大違いであるが、実はアメリカの新薬を許可するところが製薬会社の寄付によって賄われているという体質によるものであるらしい。米国は正義をよく口にする社会であるけれど、その実社会正義など全くない。

 幼稚園では運動会に向けての活動が盛んになってきたけれど、普段の生活と遊離した活動にならないように、あくまでも子どもたちが楽しくやれることが一番である。コロナの関係で保護者の参加はどうなるのか気になるところでしょう。幼稚園や保育所はかつての厚生省の言う「労働力再生産の便益ならしめる施設」の印象が強く保護者の意向に沿って幼稚園や保育所を開閉するという子ども中心主義ではない,保護者中心である。でもこれでは正常な発達は望めないので、幼児施設では、特に幼稚園などでは建学の精神を盾に子どもたちを守るようにしている。大人社会の様に話をする人との間にアクリル板を置いたり、食事の時には同じようなものを置いたり、マスクを頻繁に取り換えるなどのことをするなら、子どもたちの自由を奪い取ってしまうことなので、それならいっそのこと休みにして保護者に見てもらう方が良い。こんな煩わしいことは子どもは好まない。また発達の中では、へその緒でつながっていた母親とは非常に近い関係であるので、母親の心情をいち早く読み取るという能力に長けている。だから母親が必要以上に怖がったりしていると子にそれが伝搬して、子は慎重になるし、度を越せば臆病になって新しいことにチャレンジできない。だから保護者は慎重に対処してほしい。

 自民党総裁が決まった。岸田さんになったそうだが、河野さんが人気があったというので少し危惧していた。河野さんは日本端子(株)という会社の大株主で、この会社は父の洋平氏が社長で実弟もかかわりがある。しかもこの会社の三つの工場は中国国内にあって、総理になってうまく中国と渡り合うことはできないだろう。岸田さんはちょっと地味な感じがするけれど、芸人の様なパフォーマンスは苦手パットするところがなくて物足りないような気もするけれども、彼は実直であるし大ぼらは吹かない。菅さんはコロナにいち早くやられてしまったが、だれがやってもうまくはいかなかったのだから、胸を張って議員活動を続けてほしい。

2021年9月24日金曜日

中秋の名月

  君は中秋の名月を見たか。十三夜、十四夜、十五夜と、月の満ち欠けの移り変わりを昔の人は楽しみにしながら夜空を眺めていたのだろう。「月々に・月見る月は多けれど・月見る月はこの月の月」などと唸ってしまうような見事な詩もできた。今はコロナで緊急事態宣言が出たりして、自分の活動を制限されていたりで、少しずつ気持ちがすさんでくるような雰囲気である。そんなイライラ感を払拭してのんびりとすすきでも咥えて月見などして、風流な気分に浸っていたいものだ。いやなことを忘れてと言ってみたいが。こんな時熱燗徳利がいいか。

 日本民族の国民性を踏みにじるようなことをアメリカはやってきたけれど、海外で日本の兵隊を見てきた現地の人たちは一体どう見ているのだろうか。戦勝国のGHQが日本に対する罵詈雑言を放っていたが全くの嘘だということがわかるだろう。なんとしても日本の素晴らしい文化や行為は隠しておきたいと思っているのだろうが、時間がたてばメッキは剥げてくるし事実が表に出てくる。

 (マレーシアガザリーシャフィ元外務大臣) 日本がどんな悪いことをしたというのだ。大東亜戦争でマレー半島を南下したときの日本軍はすごかった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させた。我々はとてもかなわないと思っていた。イギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は破れたが英軍は再び取り返すことはできず、マレーシアは独立したのだ。

 歴史的に見るならば日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。(ミャンマー・バーモウ元首相)

 ビルマ・インドネシア・フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配を一掃され、次々と独立しえたのは日本が育んだ自由の炎によるものであることを特に期さなければならない。(元インド国民軍大佐・バビブルテースマン)


2021年9月22日水曜日

いつまで続くのかコロナ

  コロナを無視しては世の事象はあり得ない。子どもたちには「コロナに負けるな!」などと言っているけれど、どのようにすればよいのか上げたこぶしをどこに振り下ろせばよいのか。私自身が全く分からない。いつまでもこのまま続くことはないだろうと思っているけれど、今頃になって日本の製薬会社が治験の結果などを公表して、来年の春ごろには市場に出せるようなことを言っている。ということはこの先コロナの感染は続くとみるべきだろう。

 キャリーマリスというPCRを発見した(発明した)ノーベル賞受賞者は、生前にPCRを感染症の診断に使用してはならないと忠告している。にもかかわらず使用されているということは、ほかに方法がないということだろうが、PCR検査は遺伝子の一部さえ合致していればインフルエンザや他のウイルスでも反応して陽性反応を示すケースがあるということだ。アメリカ疾病予防センター(CDC)は、7月21日にPCRの緊急使用許可を撤回して、来年からの新型コロナ判定にPCR検査を使用しないとしている。今後登場するPCR検査では、新型コロナとインフルエンザウイルスの検出と鑑別を容易にできると説明している。

 武漢から流れた新型コロナパンデミックには不可解なことが多い。ジョージソロスという大富豪化や同じくビルゲイツなどの地球上のすべての金を集めてしまおうという野心家が、英国にある製薬会社を買い取ったりしている。致死に至るウイルスの研究をして、食糧難を逃れようとしているなど、なぜ日本のためになる追求をジャーナリストはしないのか。なぜウイルス研究は日本は遅れているのか。パンデミック前に他国では研究しているではないか。そうでなければ新型コロナにちょうど合うような抗体などできるはずがないではないか。前もって分かっていたということだ。これがビックビジネスになることは自明の理である。誰かが動かしているとみるべきだ。

2021年9月15日水曜日

幼稚園は正式に始まり

  幼稚園は今週から通常通りの活動に入った。コロナを怖がっている保護者もいて、幼稚園に来れない子もいる。みんなと一緒に遊べない子が可哀そうだと思うけれども、親としてみれば万が一にもコロナに感染したなどということは避けたいとの強い気持ちなのであろう。みんなと遊ばせてあげたいと思うのも、感染することが怖いと思う気持ちも親の正しい判断であろう。どちらも絶対にというのはない。だから自分に自信をもって子どもに接してほしい。

 今日は運動会の導入の話を両園の年長さんにしてきた。コロナ騒ぎでこんなうっとうしい雰囲気を子どもたちの歓声で吹き飛ばしてほしい。問題なのは運動会をどのようにして行うかということだ。観客をどのように誘導すれば良いのか。どのような観客席を作ればよいのか。躍動するわが子をぜひみたいだろうから、観客を入れないという選択肢はない。子どもたちと一緒にいると、コロナのことは忘れる。子どもには不思議な力がある。周りの大人に柔和な影響を与えるけれど、自分たちは終始にこにこしていて笑顔がとってもかわいい。

 

2021年9月10日金曜日

ネジを巻きなおして

  伸びきったばねをいくら元に戻しても、元のように弾力のある反発力のあるばねに戻ることはない。それは原料である元の素材が劣化してしまっているからだろう。もう一度錆をとって、元の素材に新品なものを加えないと、弾力のある強いばねにならない。復元力のある強いばねに戻りたい。あちこちが痛んできて、病院に通っているし、医者の友達も知り合いもいるけれど、異口同音に「加齢による」という言葉を使う。言われてしまうと意識するし、本当にそうなのかなと半信半疑ながら、自分は年寄りなのかと思わなければならない。同期の仲間たちと会うと、互いに強がりを言って慰めあっている。これが情けない年寄りの姿なのだろう。

 だがなぜか幼稚園にいる子たちと一緒に過ごしていると、自分が年寄りだなんて思ったこともなく、ふざけあったりしている。挨拶するのに言葉に思いきりアクセントをつけながら楽しく、半ば怒鳴っているような元気にあふれた笑顔で挨拶する。気力は子どもたちからもらっていることは確かだ。小学校へ行っても低学年の子どもたちが、私の前にきてぴょこんとお辞儀をして、挨拶している様子などを見ていると、ニヤニヤしてしまう。身体を新しく丈夫なばねにしながら、子どもたちと一緒にいたい。この子たちと一緒にいたい、何とか守ってやりたいと思うのは、だれでも当たり前の感情だろう。

 小学校を作ったときの情熱を考えてみると、まだまだ道半ばでそのエネルギーは残っているはずだ。あの時のばねをもう一度取り戻さなければ「年寄」で終わってしまうのではないか。周りには応援者もいるし、同じような理念を持っている人たちも沢山いる。この学校を誇りを持って語れるようにしなければならないだろう。私が責任を果たすということはそのようなことだろう。

 私が東京裁判のことを書いていると、その情報はどこからなのかと聞いてきた人がいた。そんなことが書かれている本もないから、具体的な情報はスタンフォード大学のフーバー研究所からの資料で、そこで40年にわたる研究をしている、西鋭夫(としお)教授からの情報を、あまりにも興味があったので買ったものだ。極秘資料が多くセピア色に染まった古い用紙に、大きなハンコで「極秘」と押されているものもある。また東条英機の東京裁判での供述書も100ページにわたって書かれているものもある。それととんでもないことに、「中支阿片制度実施要領」などもある。東京裁判の資料がなぜフーバー研究所にあるのか。詳細な経緯はまだはっきりしないが、東京裁判で事務総局をしていたジョージ・W・ハンリ―大佐から資料が提供されたと言われている。日本政府がアヘンを売りさばいていたのだ。これは日本政府に尋ねてもイエスとは言わないだろうが、これには固有名詞もある。

2021年9月7日火曜日

終戦後の仕打ち

 幼稚園は自由登園であるけれど、大体半数ぐらいの子どもたちが来ている。弾んだ声が園庭いっぱいにこだましている。子どもの声には活気がある。コロナで疲れ切った顔をしている菅総理の顔もこの声を聴けばしゃきっとするのではないか。それに顔にアイロンがかかる。人との関わりの中で子供たちは成長するのだから、リモートなど普通ではない生活をしていると必ず弊害がある。しっかりとした普通の生活を早くさせたい。園バスが出ていないので、どうしても幼稚園には来れない家庭があるはずだ。心から申し訳ないと思う。動くことができない子どもたちと顔を見合わせていたら、いつか煮詰まってしまう。三密は育ちの敵だから、月曜日から園バスを出すので、あと少しの辛抱ですので頑張ってください。

 (昨日からの続き) 日本は戦争に負けた。負ける戦争はやるべきではないが、日本建国以来一度の戦争に負けたぐらいで、ずっと日本はアメリカの属国に成り下がってしまったのか。欧州の歴史を見るとしょっちゅう戦争をしている。英仏百年戦争などもあるし、ドイツの前身であるプロイセンなどの国の隣接国などは戦争がないくらいの時代の方が少ない。第一次世界大戦も欧州の隣国同士のいざこざから始まった。スペインやフランスなどは革命の名で国内戦争が絶えることがなかった。200年以上も戦争がなかった日本の江戸時代などは、地球上でも奇跡であろう。

 東京裁判では米国の野蛮さが露骨に出た。ブレイクニーのような公平な正義感溢れる青年も数多くいただろうに、裁判官や検事には失望した。判事の中でも英国に散々な目にあっていたインドのパール判事は、戦勝国の敗戦国への復讐であると言って、この裁判の判決には意味がないと言って席を立って本国へ帰ってしまった。しかしこの裁判は延々と2年9カ月も続けられた。

 秘密情報をGHQに密告した裏切り者の田中隆吉はその後どうしたのだろうか。同じA級戦犯であった児玉誉夫や笹川良平などに密告がばれてしまって、命を狙われるようになってしまった。そしてしばらくはGHQにあるホテルにかくまわれていた。自宅へ戻ってから彼は原因不明の病に侵され病死したとなっている。しかし同胞を売ったのは彼ばかりではない。アヘンで大儲けをした満州にわたった官僚や、なぜ吉田茂が総理になれたのか。なぜワシントン講和条約の時に日本は沖縄を米軍の基地としたまま日本へ返さなかったのか。そしてA級戦犯である岸信介が総理になって安保条約が結ばれたのか。時のGHQと密約があったとみるべきだろう。その後の佐藤総理が、核三原則などと言ってノーベル平和賞なんかもらっているけれども、日本人は日本に核がないなどと誰も信じてはいなかった。日本はずっとこの先米国の核の傘の下で、東京裁判のようなみじめな命令と服従の関係でいなければならないのか。私はこの先それほど長く生きられるとは思っていないが、日本の子どもたちに屈辱の時代は終わらせなければならないだろう。驚くような事実がフーバー研究所には埋まっていることだろう。

2021年9月6日月曜日

歴史を学ぶことは自分のルーツを知ること

  今更戦後のどさくさを穿り出して何になる。何にもならないかもしれない。しかし知ることの満足感は得られる。大学には多くの研究者がいるけれど、一冊の本も書かないで何かに向かって研究を続けている研究職の人が大勢いる。何の発表もできなかったらさぞや空しいだろうと思うけれど、やっているときには大いにやりがいを感じているはずだ。自己満足にすぎないけれど。結果として物をつかむというものだけではない。無量のものがある。

 日本を占領した米国GHQは、占領当時に日本国民を米国民を普通の大人としたら、日本人は12歳の子どもであると評した。何と思われようが日本人は純粋で文化の高い国民であることは確かだ。占領した連合軍は東京裁判を見てもわかるように、非常に野蛮極まりない政策を日本に押し付けた。プレスコードやラジオコードの様に連合軍の悪いことは報道してはならぬということに象徴されるように、国内では盗み強盗などありとあらゆる犯罪を犯している。それも記事にしてはならぬというコード付きだ。自分たちの犯罪には目をつぶり戦争犯罪者という国際的にも初めての用語を使い多くの日本人を苦しめた。いわゆる米国の復讐劇である。

 極めつけのものがある。東京裁判中に突然通訳の音声が消えてしまったという、それは日本側弁護人のブレイクニ―弁護士の弁論が始まると同時に通訳の音声が切れてしまったのである。この間の議論はいったいどんなものだったのか。国民には知らされないまま37年が経過した昭和58年、講談社が企画制作したドキュメンタリー映画「東京裁判」が公開されたときである。これは私も観た。ブレイクニー弁護人が熱弁をふるっている様子が熱く響いた。

 「国家の行為である戦争の個人責任を問うのは法律的に誤りである。なぜならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人による戦争行為という新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである。(中略)真珠湾攻撃でキッド提督が無くなったことが殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名をあげることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名も、我々は承知している。我々は殺人を意識していたか。してはいまい。我々もそう思う。それは我々の戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科で、いかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる!その人たちが裁いている!」これが打ち切られた通訳の内容だ。真珠湾攻撃が戦争犯罪なら、原爆投下も戦争犯罪のはずだろう!という真っ当な正論であった。

2021年9月3日金曜日

学校では決して教えない歴史の裏側

  身近なところで明らかになっているのが日清・日ロの後の歴史。英国がわざわざ遠い極東まで来て、清国とアヘン戦争を起こしたことから日本もそれに飲み込まれていく。英国はその戦争(実際には植民地のインド兵を使った)で清国からかなりの譲歩を勝ち取っている。香港の99年にも及ぶ租借もそうだ。もっと言えば清国を植民地にしたかったのだろうが、その当時はオランダやポルトガル・フランス・ドイツといったヨーロッパの帝国が同じような目的で上海や北京などを勝手に線引きをして租借していたから、英国の思うようなことはできなかった。そして1914年にドイツ帝国とヨーロッパの国々が戦争を起こし、第一次世界大戦がはじまる。日本もそれに参戦しドイツの清国における軍事基地を攻撃し、戦利品としてバカでかい格納庫を日本へ持ってきた。それが土浦市右籾にある陸上自衛隊補給敞にある。私が小学生のころにそう言われてよく見に行ったことがあるが、今はあるかどうかはわからない。この後のパリ講和会議で日本は奴隷制度や人種差別を止めようと持ち掛けるが、戦勝国のヨーロッパ帝国集団は「ずいぶん生意気なことを言うイエローだ」と相手にしなかったようだ。日本が戦争に参加したのは、ヨーロッパやアメリカのように自国の利益よりも世界の人々にとってどうなのかということを常に考えていた。

 あのアヘン戦争で明るみに出たのが、アヘンの栽培は莫大な利益を生むということだ。高杉晋作はアヘン戦争の真っただ中の清国を視察し、外国軍隊の凄まじい勢いと、もし日本にアヘンを仕掛けられたら一大事になると報告している。またこの時に学んだのかもしれないが、戦いは侍だけではできないと。そして長州にはいち早く農民からなる騎兵隊ができたのかもしれない。

 このアヘンについては1912年に国際条約で消しの栽培とアヘンの製造を禁止した。しかし条約に調印した国の中で守る国はなかった。もちろん日本もだ。1940年に濱田徳美という大蔵省の役人が上海に行ってアヘンの流れの状況を調べている。だからアヘンの製造も販売も自由であったのだ。それは急にやめると言っても、毎日それを吸引しなければいられないという人のために、政府が認可した特定の場所ならよい、というようないい加減な規則を作ったのだ。その場所をアヘン窟というのだろう。しかもその頃の世界のアヘンの量の90%は日本が製造したものだというのには驚きだろう。どのくらいの量なのかというと、アヘンは何グラムという単位で取引するのに年間300トンのアヘンを生産していた。大連一つで2000億のの売買があったという。アヘンは儲かるので英国でも米国でもヨーロッパの列強諸国や、当時の中華民国蒋介石もスターリンもみんなアヘンに手を出したが日本が群を抜いている。だからその販売には三井物産や三菱商事などの有名な企業が名を連ねている。その大元締めは興亜院というところで政府が握っている。その下請けみたいのが里見甫(はじめ)という人である。岸信介が代議士になるときに、当時の金額で500万円のお金を用意した人だと言われている。アヘンの製造販売によって日本の軍資金にしたのは紛れもない事実である。大体戦争の時には必ずイギリスに本部のあるロスチャイルド家から借金をするのが普通だと言われているが、日露戦争の時とは違い日本はロスチャイルドから借金をしないで済んだようだ。そのような国家の犯罪というべきことが、東京裁判2年9カ月の間にたった1日で終わりにしたのはなぜだろうか。しかも日本の農林省ではアヘンを作れと推奨していて、国内では和歌山・奈良・大阪などで作られていた。

2021年9月2日木曜日

終戦後

 東京は焼け野原であって、所々で火の手が上がっている。それはGHQが来る前に重要文書を処分しなければならない役目があったからだ。それから2週間後に厚木基地にマッカーサーが降り立った。早速東京軍事裁判の準備に取り掛かるわけだが、ところがその前に全く裁判に使えるような資料が見つからない。それもそのはずで焼却処分してしまった後の祭りだ。進駐軍率いるアル・カポネをさばいたキーナン判事が顔を真っ赤にして怒ったそうだ。日本による証拠隠ぺい、証拠は隠されたと。終戦から2週間もあればどこの国でもやるようなことだ。ドイツの場合ニュールング裁判では、突然に連合軍が入ってきたので何もすることができなかったのと、大衆がナチスに反感を持っていたので戦争指導者には不利な証言しかなかった。しかし日本にも不忠義なものがいて、その人は戦争責任を問われ自分もA級戦犯として絞首刑にされるのではないかと内心穏やかでなかったものだから、キーナン主席判事のところへ「自分をA級戦犯にしなければ知っていることを全部話す」と持ち掛けた。その人の名は田中隆吉と言って満州にいた陸軍少将である。それと当時の外務省の資料である。当時の外務省を仕切っていたのは吉田茂である。ということで生き証人と、資料の証拠が出来上がった。
 12月8日の真珠湾攻撃で、米国に宣戦布告の電文を渡すのが一日遅れたと言ってアイゼンハワー大統領はそれを口実に「だまし討ち」されたと国民に訴えたことが功を奏し、米国民の日本やドイツへの宣戦布告への足掛かりとなった。その電文を渡すのを遅れたのが外務省の奥村勝蔵である。奥村勝蔵はのちに天皇陛下がマッカーサーに会いに行った時の日本側通訳として採用されている。「だまし討ち」の口実を作った奥村勝蔵がなぜここで採用されたのかこれも疑問である。その時の任命者は吉田茂である。奥村勝蔵は吉田茂にかなりの恩義を感じていたはずだ。
 なぜ燃やしてしまったはずの資料が外務省にあったのか。几帳面な官僚がいて、重要と思われる書類を書き写して自宅にしまっておいたというのがある。それをかき集めてサンタクロースの袋のようなものに5個あったという話だ。それをみんな日本のフーバー研究所支所に持って行って保管されたという。日本側の弁護士たちに渡さないでなぜ連合軍の検事や弁護士に渡したのか。なぜ日本の起訴された兵隊が不利になるような証言をしたり、資料を渡したりするのか。この時の外務大臣は吉田茂であることから、この後の総理になるのは吉田茂である。GHQも間違いなく介入したことだろう。日本の為ではなく保身のために動くという大物がいては日本国民は不幸である。

2021年9月1日水曜日

振り返ると

  人はみんな目的をもってより楽しくより豊かになるために日々を暮らしているのだろう。私には毎日の生活にそれがない。振り返ってみると、多くの人たちに多大な迷惑をかけて生きてきたような気がする。そしてゴールの見えない道をひたすら走り続けているような、そんな疲れ切った現状を何とか多くの人にぶら下がりながら生きている。もうこうなりたいという野心が無くなってしまって、確かにこれが「枯れてる」というのだろう。今はコロナで、人と会うこともままならなくて、1か月に1回診てもらう肺の検査が1週間に1回になった。ガンがあるかもしれないと脅かされている。私の周囲には結構ガンから快方された人がいるから心配はしていない。糖尿の気があるとも言われていて、大量の薬を飲んでいる。だからそれなりの基礎疾患があるので、コロナに感染したらすぐに重症化する可能性が高いので、十分に注意してくださいと言われている。自分では十分に注意をしているつもりでいるけれども、今以上に何に気を付けないといけないのだろか。

 私は歴史が好きでよくそのような本を読んでいる。東京裁判で1941年からの大東亜戦争について、まったく日本が一方的に悪者にされて、そのまま日本史に乗せられてはたまったものではない。ということで東京裁判に関わろものとか終戦時に日本の国内の動きとか、特にその当時の政治家や官僚の動きなどを知りたかった。日本がポツダム宣言を受託してマッカーサーが日本に来るまでの間が2週間あったので、その間に重要な書類はみんな燃やしてしまえというお達しがあって、各省庁の官僚や事務官が何日かかけて燃やしたらしい。焼け野原の中で役所の庭は火が盛んに燃えていたという。ドイツの場合にはあっという間に連合軍が押し寄せてきて書類を燃やすなどの時間がなかったようで、逃げ出した将官が多かったと言われている。

 そしてGHQによる東京裁判が行われることになる。その東京裁判については東大名誉教授の小堀桂一郎博士が研究をなさっていて何冊かの本も出している。その裁判の内容に入る前に、米国のスタンフォード大学のフーバー研究所で、日本にはない資料を発掘したスタンフォード大学の西教授の資料などを交えながら驚くような真実を公開していきたいと思う。日本人も「侍」とは程遠いこともある。

 

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...