2021年9月1日水曜日

振り返ると

  人はみんな目的をもってより楽しくより豊かになるために日々を暮らしているのだろう。私には毎日の生活にそれがない。振り返ってみると、多くの人たちに多大な迷惑をかけて生きてきたような気がする。そしてゴールの見えない道をひたすら走り続けているような、そんな疲れ切った現状を何とか多くの人にぶら下がりながら生きている。もうこうなりたいという野心が無くなってしまって、確かにこれが「枯れてる」というのだろう。今はコロナで、人と会うこともままならなくて、1か月に1回診てもらう肺の検査が1週間に1回になった。ガンがあるかもしれないと脅かされている。私の周囲には結構ガンから快方された人がいるから心配はしていない。糖尿の気があるとも言われていて、大量の薬を飲んでいる。だからそれなりの基礎疾患があるので、コロナに感染したらすぐに重症化する可能性が高いので、十分に注意してくださいと言われている。自分では十分に注意をしているつもりでいるけれども、今以上に何に気を付けないといけないのだろか。

 私は歴史が好きでよくそのような本を読んでいる。東京裁判で1941年からの大東亜戦争について、まったく日本が一方的に悪者にされて、そのまま日本史に乗せられてはたまったものではない。ということで東京裁判に関わろものとか終戦時に日本の国内の動きとか、特にその当時の政治家や官僚の動きなどを知りたかった。日本がポツダム宣言を受託してマッカーサーが日本に来るまでの間が2週間あったので、その間に重要な書類はみんな燃やしてしまえというお達しがあって、各省庁の官僚や事務官が何日かかけて燃やしたらしい。焼け野原の中で役所の庭は火が盛んに燃えていたという。ドイツの場合にはあっという間に連合軍が押し寄せてきて書類を燃やすなどの時間がなかったようで、逃げ出した将官が多かったと言われている。

 そしてGHQによる東京裁判が行われることになる。その東京裁判については東大名誉教授の小堀桂一郎博士が研究をなさっていて何冊かの本も出している。その裁判の内容に入る前に、米国のスタンフォード大学のフーバー研究所で、日本にはない資料を発掘したスタンフォード大学の西教授の資料などを交えながら驚くような真実を公開していきたいと思う。日本人も「侍」とは程遠いこともある。

 

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...