2023年8月23日水曜日

漢方薬

 奈良に間質性肺炎に効く漢方薬があると友人が探してくれたので、鹿鳴堂薬舗というところへ行ってきた。私たちが宿泊したホテルは奈良駅の隣接したところにあり、観光バスやタクシー乗り場があって、そのロータリーをこえたすぐのところに鹿鳴堂薬舗があって、一度行けば次には一人でも行けそうな場所にある。

 実を言うと、薬効については西洋医学でも漢方でもどちらでもいい。治ればいいことなのだが、治癒しないと言われているからいろんな薬を試したくなる。しかしこれから何年生きるのだろうか。治ったと言われてもその先大した時間があるわけではないだろう。というわけだから、以前から一度は行きたいと思っていた願望があって、半分ウキウキしながら奈良へ向かった。何といっても、日本という国名がまだできていないころから国が動いていたところだから、興味津々である。

  「奈良の都の咲く花の、におうがごとし、今盛りなりける」万葉集に書かれているかなづかいではないけれど、小野老(おののおゆ)が奈良時代に権勢を誇った藤原京を詠ったものだ。唐招提寺へ行って鑑真のお墓をみようと思っていたが、閉まっていて近くまで行くことができなかった。時代物のお寺はどこでもそうだが、門構えが立派で圧倒されてしまう。高床式の倉庫なども見てきたが、基礎となっている土台というか柱というのか、2mぐらいの高さだけれど、直径が1.5mぐらいで、なんと立派にできているのには驚き。薬師寺にも行ってきた。土浦青年会議所には、深い馴染みのある高田好胤師が管長をしていたところだ。好胤師をしのびながら丁寧にお参りをしてきた。藤原京から遷都されて平城京へ。平城京へは行けなかったが、遠くから入口の門を眺めた。東大寺へはこの次の楽しみに取っておく。

 この時代は飛鳥・奈良・平安と続くが、なぜ桓武天皇は平城京から平安京に都を移したのか。この時代天皇も都もしょっちゅう代わって、これでは安定した政治が行われたとはとても言えないではないか。この時代から日本は激動の時代なのに、歴史では静かなものだ。菅原道真が太宰府に流されたり、藤原時平によって日本独自の字の作成に当たらせたりもした。そして源氏物語や枕草子が誕生した。想像力を膨らまし、古都巡りは中学生や高校生にはぜひ経験してほしいものだ。そして歴史を自分なりに想像してみると面白い。

 今回の大きな収穫は、大伴家持の父である大伴旅人が詠んだ万葉集の発見である。今に伝わる偉人でも同じ悩みを持っていた。なぜに私ごときが。

生ける者 遂には 死ぬるものあれば この世にある間は 楽しくあらな

2023年8月16日水曜日

主権のない国日本

  昨日の続きを少し書かせてもらう。いくら書いても物足りない。空しいのだ。

 日本は主権国家として体面を保っていない。私にはもはや政府にたてつくだけの体力も気力もないから、現在のエネルギーの有り余っている若者に後を託さなければならないが、「敵が幾満有とても我行かん」の心意気で世直しをしてほしいものだ。現在でものうのうと国民の生き血を吸いながら権力を振りまいている官僚がいる。特別委員会に参加している官僚は売国奴であろう。米軍と官僚が結んだ特別委員会の密約は、ペリーが浦賀に来て日米通商条約を結んだ時の不平等条約と同じ植民地条約だ。これに憤慨する若者の出現を希うものだ。

 ほとんど家を出ることもなく、与えられたえさを食べ、まるで主人の帰りを待っている飼い犬のような境遇にいる。私は好んでこのような境遇にいるわけではない。外に出てはだめだという主治医の言葉に妻が従っているだけの話だ。主治医の話は私にはわからないが、妻は理解しているらしい。ばかばかしい話だが、こんなことってあるのだろうか。

 私の手元には「バカと無知」という橘玲(tatibana akira)氏が書いた本がある。サブタイトルが~人間、この不都合な生きもの~である。「言ってはいけない、残酷すぎる真実」の著者でもある。この表題を見たとき、とっさに自分が主人公のような気になって、無意識のうちに手を差し伸べて買い求めたものだ。しかしこの本はいたってまじめな本だ。米国の大学で「バカの定義」を考えた実験があった。その結果「バカは馬鹿であることに気付いていない」ということだった。少し立ち止まって考えたくなった。まだこの本は読み終わっていない。これからゆっくりと読むことにする。


2023年8月15日火曜日

8/15

  78回目の終戦記念日。NHKの「Z世代の戦争」というのを観ている。Z世代というと「意味の通じない」とか「世間離れした宇宙人」というような、戦後まもなく生まれた我々としては、ひどく段差のある世代としか映らない。まあこの番組は宙に浮いた雲をつかむような何も残らない番組で終わるだろうなと、高をくくって最後まで観ていたけれど、最後まで真剣に見せていただいて学ばせていただいた。最後に「なぜ戦争をするのか」という設問で終了してしまっているけれど、Z世代では答えが出てこないだろうな。

 私はこの地球上で戦争は無くならないと思っている。人間の欲求願望の中に征服欲と覇権欲が消滅しない限り時代が何度も代わっても同じことを繰り返す。人間は進化のたびにそのようなDNAが組み込まれてしまっているのだ。たぶん類人猿からホモサピエンスに移行して現代人になって高度な文化と文明をもたらした後でもこのありさまだ。米国をはじめ欧州各国も覇権を唱えて戦争ばかりをしていた。アフリカなどで欧州離れが進んでいて、フランスなどはアフリカに多くの武器を輸出して、アフリカから税金まで取っているのに、国際的には知らん顔だ。 

 国連憲章などというのはかつての連合国に有利にできていて、あとから仲間に入れてもらった日本など枢軸国などは蚊帳の外だ。特に日本は戦後米国に牛耳られてきたから最悪である。戦争終結後78年も経たのにまだ日本は米国に占領されている。その証拠に日本の首都圏上空の制空権は日本の航空自衛隊が握っているのではなく、米軍が握っているだ。日本の自衛隊が海外に出る場合には、米軍との事前協議が必要だ。しかも米軍は日本のどこへ基地を作っても良いことになっている。沖縄がいくら騒いでも日本政府にはどうにもならない密約がある。国民に知らされないのだから密約といってよい。悔しくはないか。この密約はサンフランシスコ講和条約の日に近くの米軍基地内で調印が行われたものだ。しかも吉田茂たった一人である。いわばこの時に発覚していれば大変な売国奴であり、今に残る裏切者なのだ。米国ではトップシークレットと言え60年たてば世間の明るみに出てしまうけれど、日本では「まだ生存してるから」という理由で公表されない。

 日本には米軍と日本の官僚の13名による特別委員会というのがあって、月に2回ほど会合をもって何らかの取り決めやら確認事項を行っている。これは国会の上位にあるものだ。米軍の太平洋司令官がマッカーサーの跡を継いでいるのだ。米軍とのこの取り決めをやめさせなければならない。国会議員ならこの取り決めを知っているだろうに。誰も言わないのが不思議だ。日本政府は現代の若者に大変な宿題を負わせている。今の国会で何とかしなければ、次世代の後継者にお願いしなければならない。なんと腑抜けな我々の世代だ。後輩たちに懺悔慙愧に堪えないではないか。

 もっと具体的に知りたい方は、矢部宏治氏の「日本はなぜ戦争ができる国になったのか」をお読みください。はらわたが煮えくり返ることになります。ふつうは。

2023年8月4日金曜日

花に三態あり

 中国の洪自誠が書いた「菜根譚」という本の中に「花に三態あり」という言葉が載っている。路地に咲く花と、植木鉢の中で咲く花と、花瓶にさしてある花の三態である。この花たちの生きざまを考えてみれば面白い。花瓶にさしたる花はしばらくすると黙っていてもすぐ枯れる。植木鉢に咲いている花は、主人の都合であちこちに運ばれる。路地に咲く花は踏まれてもなお力強く生きているではないか。私は子育てにも三態あると思っている。子どもの前を歩く者、子どもと伴に歩く者と、子どものやや後ろから歩く者。この「菜根譚」は私の座右の銘として初等学部の理事長室の本棚にある。この「花三態」にならい「子育て三態」をよく吟味して自分の理念として大切にしてほしい。

 私は漢文を学んだことがないから古文は読めない。それでも現代語訳になった古文は良くかじったことがある。昔の人は何を考えて生きていたのだろうかと考えると、面白くて仕方がなかった。日本の三大随筆集と言われている清少納言の「枕草子」鴨長明の「方丈記」や𠮷田兼好の「徒然草」。この三冊の筆者は平安・鎌倉・鎌倉末期と西暦1000年から100年おきに現れている。文章の見事さは言うまでもないけれど、文章そのものが今でも息づいているではないか。漢文や古文ではないから読みやすいし、現代文に訳した訳者にひれ伏したくなるようなそんな思いすらする。感性の鋭さや路地を歩く人々の会話すら聞こえてくるような、なんと見事なんだろう。

 しかしこの時代に紙は貴重なものだったろうに、しかも筆を使って書いているに間違えればその紙は1枚使えなくなってしまうから、宮廷と関わりのあるものにしか配給されないだろう。しかし万葉集などにはこの時代から庶民も参加していたから、貴重な紙の分配はどうなっていたのだろうか。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...