2020年7月3日金曜日

危機管理意識が希薄

 謎の気球が話題になっている。仙台上空に現れた気球は正体不明でどのような形状のものかも、下についていたアンテナらしきものもなんだかわからないままで終わってしまった。太平洋側で消息不明になったという情報であるが、それを多くの国民が目撃しているにもかかわらずなんだかわからないという結論で終わってしまっている。安全管理というのは台風情報や地震情報だけではあるまい。これがどこかの国の仕業だとしたら重大な問題だろう。日本でも第二次世界大戦の時に、アメリカ本土へめがけて風船爆弾を飛ばしたそうだ。どのくらいの量だったかは定かではないけれど、あまり効果はなかったそうだ。しかし細菌爆弾だったら悲惨な結果になっていただろう。

 それにしても我が国の防衛意識は全く心細いものだ。なんだかんだと言っても何かがあると北朝鮮がという言い方をするけれど、それは全く違うと思う。ミサイルの発射実験をして日本の上空をミサイルが通過したなどの怪しからん話があった時にも、あまりたいしたことではないような官房長官談話であった。そんなことではあるまい。独立国家の上空を他国の兵器が飛んで行ったということは戦争行為である。日本は何もできなかった。戦争状態であるぐらいのコメントを出せば相手国も驚くはずである。
 平和ボケも度が過ぎる。尖閣列島は日本古来の島であることは歴史上も確認されていると言われているが、そこに中国の海警の艦船が乗り込んできて日本の漁船を追い回している。その動画もしっかりと撮ってあるがなぜか政府は公表しない。なぜなのか政府部内には中国シンパが多いのか。中国は好戦的である。そんな国が近くにあるので日本は日本に手出しをしたらそれ相応の対価が必要であることを相手に認識させなければならない。日米安保で米国は日本を守ってはくれない。アメリカを頼りにしているととんでもないことになる。日本が本気になって怒ればどんな国でもちょっかいを出してくる国はない。第二次世界大戦の時の日本人の精神を世界の人たちはよく知っているからだ。日本を攻めてくるのは近い将来には中国しかいない。

2020年7月2日木曜日

これから先のこと

 現実を踏まえ、将来はどうなるのだろうかということをだれもが真剣に考えていなければならないことだろう。自分でもよく考えてみると将来の予測を真剣に考えたことってあるのだろうかと思い返すと定かではない。案外こんなことを考えたり思い起こすこと自体が老人症なのかもしれない。
 昨日鼻水が止まらないので耳鼻科へ行ってきた。朝だけなのだけれども、まるで滝のように流れる時もある。これは大変なことだと急いで耳鼻科へ急行したわけだけれども、先生いわく「加齢によるものだと思うよ。僕もよくある」。という診断であった。どうもいまいち納得がいかないので「先生。その加齢によるという言い方はやめていただいてほかにありますか?」と伺ったところ「年取ると誰にでも出てくる兆候だよ」と言う。どこか変わったところが感じられないまま耳鼻科を後にした。

 あおば台幼稚園では人工の滝があって毎日水を流している。今日みたいに暑い日は水の落ちるところに寝そべってしばらくじっとしている子がいる。気持ちがいいだろうなと見ていると、今度は落ちた水の流れ行くところをおしゃべりをしながら歩いていく。楽しい幼児期の遊びだ。コロナでみんな委縮しているので、幼稚園も神経ピリピリしている。大人がもう少しおおらかにならないと、子どもはおおらかになれないし集中力も散漫になってしまう。
 公立のある学校で距離を取りながらフェイスシールドをしながら授業をしたり食事をしたりしているのをテレビで放映していた。その様子を子どもたちにインタビューしていて、子どもたちは一様に「安全でいい」とか食事の時も楽しいと答えていた。こんなことが楽しいはずがない。いい子ぶる子供は魅力がない。安全の根拠があやふやだ。日本の国のジャーナリストもいやらしい。

 北朝鮮に拉致されたまま帰ってこない「めぐみさんの父親」の滋さんが亡くなられた。日本国民としてこれほど無力さを感じたことはないだろう。みんな拉致問題に関して北朝鮮を許せないとか、親の心情を考えると何ともやるせないなどと、同情的だし何とかしたい思いが伝わってくる。北朝鮮を軍艦で囲んで交渉しなければ打開しないことは言うまでもない。昔の日本だったらやるだろうし、その前に強い国だったからこのような問題は起こらなかった。国連に頼っても何ららちが明かないどころか、国連が交渉したことなど聞いたこともない。
 ノルウエイの国民も拉致されたが早速北朝鮮に返還を求め、それができなかったら軍艦を回すということを言ったらすぐに解決できたそうだ。きれいごとでは問題の解決にはならない。そんなことは百も承知だが、政府は努力すると言って何の手も打てないでいる。これが国民を守る国家か。


2020年6月25日木曜日

本格的な梅雨

しとしとしとと絶え間なく降りしきる雨。コロナ騒ぎとは全く関係のないところで勝手に相談して雨を降らせている。これが放射能とかの問題があったらただの雨だけでは済まされないだろう。こう考えるとコロナはある程度はこちら側の対応で何とかやり過ごすことができる。もっとも放射能がパンデミックなんてことになったら逃げ場がない。シェルターを作っても飲料水や食料はどのくらい必要になるのかは皆目わからない。紫陽花の花に振り落ちる柔らかい雨がやさしく感じる。

そんな思いとは全く次元の違うところでギャーギャーと子供たちの思い切った声が響く。この子たちが将来にわたって平和な幸せをつかむことが果たしてできるのだろうか。平和は経文を唱えているだけでは作れない。それだけの備えをしなければならないが相手がいることだから、こちらの都合通りにはならないから厄介だ。無法者国家があったり、価値観の全く違う国家が海をまたいで隣接しているのだから舵取りが大変だ。

2020年6月24日水曜日

生きていることが楽しい

これは「年寄りのことば」だ。若い人はあまり過去がないから物事を感慨深げに見ることがないだろう。いずれある日日向ぼっこをしながら過去の思い出に耽る時が来る。友達と、あるいは一人っきりで。くすくすと笑いながらか深刻な顔をして、まあこれは年寄りの末期的症状かもしれない。若さの特権は過去についてあまりこだわりを持たないというのが最大の特徴だから、前を進みもっと先を切り開いていくというような使命があるわけだから当然我々と同じようであってはならない。

両園ともにリヤカーの運転免許証の取得試験を行った。子供たちはこの日のためにリヤカーの運転技術を磨いてきたのだから、一生懸命に検査官の役目をしなければならない。子供たちの目が刺さるほどに真剣だ。コロナのおかげで普段の保育が延期になったり中止になったりしたのでこの時間を何とかして取り戻してやりたい。また年長さんは昨年の年長さんがどんなことをして立派な年長さんになったのかということをよく知っていて、次に何をやるのかを確認してくる姿がある。年長になってすぐコロナで休みに入ってしまったけれども、よく育っていると感心する。

2020年6月9日火曜日

通常通り

昨日から茨城県は通常通りの学校教育が始まった。岩手県などは感染者ゼロをずっとやってきているのに、全国一斉の緊急事態宣言には全く納得がいかないだろう。東京のように不要不急の外出は避けるようにとか三蜜を極力避けるなどのお達しが出ても、何のことやら誰のことやら耳を疑うようなことで、まったく自分が言われている気にはなれないだろう。そもそも何でもないところの住民は、緊急事態宣言という言葉一つで減収になってしまった。国としてもコロナの被害に直接あった人以外にもこのような人を救済しなければならないだろう。学校教育の遅れは全国的に感染してしまったが、オンラインスタデイとか言って、パソコンで遠隔授業をしていて急場しのぎを行ったが、学校という場所は大人が考えるような知識を詰め込めばよいというところではない。

久しぶりの登校で仲間に会えた無量の喜びがにんまりとした子供たちの笑顔から読み取れる。そんな心の栄養はオンライン授業ではどんなに頑張ってみたところで、得ることは困難であろう。そんな連続性が心の豊かな人間性を作っていく。無色透明な世界だから、目で見るだけでは子供の心は見ることはできない。

昨日も今日もとても暑い。外は30度を超えているのではないかと思われる。あおば台では約20年ぐらい前に園庭の大改造をやって川を作ったり池を作ったり、小さなログハウスを作ったり、滝を作ったりして子供たちの遊びの園を完成させた。井戸を掘り池に循環ポンプを置いて滝に水をくみ上げその水を川に流し、その川はログハウスの下を流れていくようになっている。ログハウスは静かな部屋という呼び名で絵本を読んだりお話をしたりするときに使われる。でも子供たちはキャーキャーと騒いで静かになるときはない。
今日のような暑い日は、川に入りたくて子どもたちの長蛇の列でものすごく人気がある。作ったのはずいぶん前になるけれど、子どもたちの笑顔を見ていると本当にうれしくなる。子どもたちの笑顔に癒される。

初等学部のオアシスは、とても暑い日にプールを作ってと言われて急遽ユンボーで穴を掘って作ったものだが、大きさは12m四方で大変な作業であった。とても自分一人ではできないとほとんど瞬間に悟って友達の業者にお願いをして、1週間ぐらいかかった。底には防水シートを敷いて本格的に作った。池を作ったのはいいけれどその水はどうするのかということをあまり考えなかった。そこで今度は川を作ってその川に池の水を流すことにした。その川の名前はクジラ川という。今でもその川の水は敷地内に放流している。夏はカヤックをしたりしていてとても楽しそうだ。その川の長さは全長200m弱はある。どうですか楽しいところでしょう。なんといっても子供たちの顔がいい。

2020年6月2日火曜日

幼稚園も小中学校も始まった

幼稚園は自由登園にして開園していて初等学部もそのようにして開講していたから、公立が一斉に開校してもあまり驚きも何もない。相手が見えないコロナだから、学校が一斉休校になることはやむを得ない。ましてや公立となると上意下達は守らなければならないだろう。自分の判断でどうこうのというは場を乱すことになるのでそれはご法度となる。だから茨城の教職にある人の中には悔しい思いをした人が多かったのではないか。しかしまだコロナは水面下に隠れているだけだと、私たちを不安に陥れているマスコミや専門家がいる。
その専門家会議の議事録を作っていないということを政府要人が堂々と言っている。これだけ地球上を騒がせたコロナウイルスの対策について、日本の専門家が一堂に集まりその対策を時間をかけて論じていることの議事録を作成しないなどと堂々と言っていたのではこの政府は国民の政府ではない。誰のための国会であって政府なのか。そんな彼らには任せられないではないか。それではチェンジするかといっても昔の社会党のような野党では頼りがいがない。主権在民ということをすっかり忘れている為政者には用はないが、政治家集団は貧困である。

幼稚園には子供の歓喜の声が鳴り響いている。先週の一週間は活動計画に入れずに、のびのびと一日を過ごしてもらった。年長は活動計画の中に一日の動きを入れてやらないと、なんだか手持無沙汰であったので、今週から子どもたちの計画に合った意見を出してもらい、それを中心に動いていきたい。さすがに年長の発達はコロナに負けない。長年のDNAが「これをやらないと年長ではない」みたいなものが幼稚園に定着している。年中少はゆっくりと幼稚園を楽しんだらよい。

2020年5月28日木曜日

猫の目のように変わる

首都圏の人たちが頑張ったおかげで緊急事態宣言が全国的に解除された。とてもいいことだと思っているが、宣言解除は早すぎるのではないかという人も半々ぐらいにいる。
多くの人が新しい生活様式などの言葉を使っているが、それはいったいどのようなことなのかが具体的にわからない。私も年を取ってきたので理解力がだいぶ落ちているので何度聞き返してもわからない。新しい生活様式というのは三密を継続して守っていくことなのか、そのように受け取れる解説がいたるところで聞く。コロナ撲滅のために感染しないように三蜜が言われていたのに、これからの生活に取り入れるとは全くおかしな話である。

特に学校や幼稚園などで三蜜を取り入れている、まことしやかにおかみの言うことを漏らさずに聞き入れる思考停止の状態を産んでいる。これはあくまでも感染している人が存在しているということを前提に予防措置が取られていることなのに、感染者ゼロのところでもそのようなことが必要なのか?。不思議である。感染した人の経路が全く分からないのでどこにウイルス保持者がいるのかわからないから、用心のために考えられる措置をしているのだろうが、やりすぎという批判がある。パニック症候群になったり、コロナ鬱になったりしている人がいる。

40年前にバイカル湖を船で渡ってイルクーツクへ行こうとしたとき、モスクワからの話でバイカル湖は天候が悪く船が出られないということで陸路バスで行ったことがある。私たちはバイカル湖の湖畔にいたからその時の天候もよくわかっていたが、現場を知らない中央集権的な社会主義の強権性を垣間見た感じがした。日本の今は強権的な政府ではなく、民衆がそれになびいていくおかしな現象である気がしてならない。

幼稚園や小学校では三蜜を守っていたらその体をなさなくなってしまう。幼少期は人とのかかわりがあって成長を促していくのに、まず人を疑ってかかることを教えなければならないなんて、いっそのこと休学にしてオンライン授業を徹底すればよい。たぶん人間として偏った性格の人たちが増えるだろう。政治家は子どもたちの発達心理は学んでいないから仕方がないにしても、教育関係者はもっとよく考えて、より良い学校生活を構築していかなければならないだろう。

危機管理意識が希薄

 謎の気球が話題になっている。仙台上空に現れた気球は正体不明でどのような形状のものかも、下についていたアンテナらしきものもなんだかわからないままで終わってしまった。太平洋側で消息不明になったという情報であるが、それを多くの国民が目撃しているにもかかわらずなんだかわからないという結...