2020年10月28日水曜日

ちょっと先に進んだ

  秋雨前線と台風に見舞われて運動会が2週連続で延期となり、いささかうんざりしてしまった。それでも子どもたちは不満も言わず、運動会をひたすら待っている姿は全く健気である。幼稚園で大人気のプレイバルーンは、年中さんや年少さんのあこがれの的で、それを演ずる年長さんはとても誇らしげである。一糸乱れずというところまではいかないけれど、頼もしげに堂々としている姿がとてもいい。

 年中さんの出し物はその年の担任の創作であるから、毎年同じものが出されるというのはまずない。試行錯誤で大変な思いをして出来上がっていくけれども、大変な思いをした分だけ出来上がった時には教師たちの思いは感無量というところであろうか。年長の挑戦を眺めながら、自分たちも早くやりたいという気持ちが高ぶって跳び箱を跳ぶまねをしたりするときもある。

 年少さんの運動会は、家族の人たちに「元気でいるよー」というところを見せるというとても単純なものであるけれども、年少さんは年中の運動会を見た後だけに「やりたい!」という思いはひとしおで、何をしてもフライングばかりである。でも動いているだけでかわいいものだから、ケガさえしなければ良しとする。

 昨日は素晴らしい晴れ間の中でサバイバルを行うことができた。私はもっぱら昼食のための火の番をしていた。食事は讃岐うどんだけれど、子どもたちは一様に「おいしい おいしい」と言って食べてくれた。中には「帰ったらママに言って作ってもらう」という子もいたくらいだ。わき道にそれてしまったが、サバイバルだから少しぐらい辛いことがあってもそれを乗り越えることがなければなるまいということで、グループでのミッションをなし終えた後は500㍍ぐらいの駆け足をすることになった。初等学部は広いので駆け足しながら「まだある まだある」と言いながら走っている子もいた。広々としたところで楽しい一日を過ごすことができた。

 日本学術会議ってなんだ。6人の人が任命されなかったことでその理由を総理にただしているようだけれど、総理が任命権者ならばそれが結果として受け取らなければなるまい。その理由を言えなどとは一国の総理に対してはなはだ失礼ではないか。大臣任命などもその理由を言わなければならないのか。総理が気に入らなければ任命されないのは当たり前のこと。学術会議は何様だと思っているのか。何が学問の自由を奪われるだ。もともとなかった諮問機関だから、元に戻せばよいことだ。

 私はそんなことよりも公文書の改ざん問題の方があまりにもひどすぎるのではないかと思っている。改ざんされたということが真実ならばそのほうが国家としての歴史をゆがめてしまうことなので与野党を問わず、メディアの方々ももう少し力を込めて追及してほしいと思っている。国の正義が問われているのだ。公文書改ざんを指示した佐川こそ国賊で、普通に糾弾しなければならないのにいったいこれはどうなっているのだ。日本政府とマスコミは?。

2020年10月5日月曜日

幼稚園の役割

  幼稚園に限ったことではないが、幼児施設というのは、幼児の将来を見据えて日々の園生活というのがあるべきで、単にある一定の時間安全に無事に過ごせればよいという施設ではあるまい。だから幼稚園は教育基本法第1条に「学校とは」というところで最初に出てくるのが幼稚園だ。保育所というのは、保育に欠ける子どもたちを安全に預かるところで、幼稚園教育要領のようなものはない。

 しかし安全面で幼稚園と保育所とを比べてみると、幼稚園の方が数段事故が少ない。同じような幼児施設でありながらなぜだろうと思って、毎日の子どもとの接する保育内容を調べてみると、なんといっても大きいのは乳児を扱っている保育所は危険がいっぱいである。なぜゼロⅠ(ぜろいち)から親元から手放さなければならないのか。この前も書いたけれども、ゼロ1を持っている保護者には、全家庭に保育所や幼稚園に給付している補助金を支給するべきだ。そうすれば多少なりとも助かるだろうし、事故も軽減される。そのことによって、GDPが減るということもない。

 私がここで騒いでも何にも変わらないけれど、これを拒んでいるのは保育学会か、保育園連合会かのどちらかであろう。ゼロⅠの補助金がなくなると困るのは保育所なのか認定こども園なのか定かではないけれど、著しく困るということはあるまい。子どもの発達にもそのほうが良い。ルソ-はその書エミ-ルの中で「3歳までは神の子」と言っている。数えの3歳だから実は満2歳である。

 幼稚園や保育所はサービス業だと言っている人がいる。だからお客さんが望むようなサービスをしてあげるべきであると、同じ仲間からもそのような囁きを聞いたことがある。私は幼稚園の園長として、我々は我々の使命を全うしなければならないと考えている。決してサービス業なんかではなく、幼児を幸せに導く使命がある。そのためには誰よりもよく学び保護者に対して、より良い子どもとの接し方を伝えなければならないと思う。時には言いにくいことも言わなければならないし、これが私たちの使命だ。

2020年10月3日土曜日

子どもたちの世界

  私たちの社会は、これから育ってくる子どもたちから借金をして使い込んでいる。自然環境から得る熱資源(エネルギ-)は勿論のこと、人の心の財産である風光明媚な癒しなどを含めて、今考えられるすべての正の財産は子どもたちのものであるし、子孫のものである。いわば子どもたちのための社会を作り上げなければならないのに、目先のことにばかり労力を費やしている気がしてならない。

 例えば幼児教育のシステムにしても、もう少し知恵を絞って入り込んだ政策が必要だろうと思う。このところ母親たちが社会に出て働くことが多くなった。母親が働くことが、社会通念上当たり前のように見えるような社会になりつつあることも確かな現象だ。女性が世に出て働くことが美徳の様で、家庭にこもって子育てだけに専念するのは社会悪のような風潮でもある。女性が家にこもって子育てだけに専念するなんてことは決してできることではない。大変な炊事洗濯というようなこともある。そのような苦痛から逃れるために、ソ連共産党(レーニン・スタ-リン)は男女同権という言葉を編み出したくらいだ。何のことはない女性を炊事洗濯からの解放である。大地主の小作人からの搾取と共に、それが解放運動の走りとなったことは言うまでもない。

 しかし、日本での女性解放は外に出て働くことである。これは外に出て働くことで収入を得、消費を拡大させGDPを拡大させるという目論見があるからだ。しかしそのことでみんなの暮らしはよくなったのかというと、答えはNOであろう。社会不安の方が大きいからみんな収入は貯蓄に回ってしまって、金の動きが止まってしまった。そこへきてコロナ騒動だから泣きっ面に蜂である。「働けど 働けど わが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」現象である。金ばかりを追いかけても幸せなんか簡単につかめるものではあるまい。

 話を戻すと、女性が働いていただける賃金はいくらぐらいだろうか。週休二日で最低賃金より多少多くもらっても、所得税やら社会保険などを引かれたら手元に残るのはいくばくかの雀の涙ぐらいである。幼稚園や保育所に子どもを預けるとゼロⅠ(ゼロ歳から1歳)で、幼稚園や保育所に入るお金は20万円を下らない。それならば税金のかからない育児補助としてゼロⅠを持つ家庭にはその分だけ支払ったらいいと思う。家庭で子育てするのは生産性がないとでも言いたいのだろうか。何度でもいうけれども私たちは未来の子どもたちから無償で借金をしているのだ。あまりにも子どもたちに対して優しくないではないか。

 幼稚園では運動会本番のまねっこをして、久しぶりに腹の底から大声を出したり笑ったりする子どもの輝いた顔を見た。躍動する子どもたちの体と心は、側で見ているだけで清々しい気分になる。「よし、今日は思い切り運動会のまねっこをしよう」というと、一斉に歓声が上がり、子どもたちの目が痛いほど輝いて見えた。コロナなど忘れて楽しい日を過ごした。やはり幼稚園はこうでなければならないと思う。

2020年9月28日月曜日

コロナと幼稚園行事

  東京の幼稚園ではいまだ開園されないで、非常事態宣言に近いままであるところが多いと聞く。毎日多くの感染者がいたのではそれもやむを得ないだろう。私の友人のところでも密を避けるために隔週登園とか、学年別登園とか時差登園とかしながら工夫をしているそうだ。子どもたちもストレスがたまるだろうが、保育者も疲れるだろうと察するに余りある。もう4か月もそうしているのだから、次の方法を考えているだけでくたびれてしまうだろう。

 この際同調圧力に負けないで独自のやり方でやらないと、幼稚園に通う家族が疲弊してしまうだろうと思う。同調圧力の裏側に潜んでいるのが「赤信号みんなで渡れば怖くない」みたいな心理が働いているのだろう。「みんなと一緒」でないと安心できないのだろうが、責任は個人が負うことになることを肝に銘じておかなければならない。誰もその時は同情しても責任を分担したりはしない。それがまさしく個を確立することでもある。

 剛腕強引なトランプ大統領が、過去10年間日本円にして100億円近い所得税を支払っていなかったというのが明るみに出た。最高裁判事を共和党よりだという人を選んだり、日本では考えられないことが起きている。それでも大統領選挙ではトランプ大統領は接戦であると言われている。日本ではこれだけの醜聞が出てしまえば完全にアウトだろう。絶対当選しないと言われていたトランプだけど、蓋を開けてみれば大統領になって好き放題やっている。それができるというのも強い信念があるからだろう。今回の選挙では完全に世論は反トランプに傾いているようだが、アメリカの民族性がよくわからない。

 運動会について様々な意見をいただいたが、不測の事態に物事を決断する時には、必ず賛成ばかりではないことは十分に理解しているつもりだ。それならどうすればよいのかと言って投げだすことはできない。公立の小学校のように、中止というような決断をしてしまえば問題は表には出てこないだろう。

 緊急事態宣言があっても、あおば台は休園するということは1日もなかった。地方を見ない中央集権のような判断で、国民が右往左往させられることに我慢がならなかった。その間の子どもたちのフラストレーション(欲求不満)をどのように解決するのか、積もったストレスは、脳にも体調にも変化をきたす。子どもたちの成長に大変な負の結果をもたらすものだ。学者も同じ意見であったが、東京にいる学者は徐々にそのトーンは低下してしまって、「政治家は教育者ではないからな」でぷつんと切れてしまった。

 まず運動会を、コロナ騒動の中で決行するという決断に至ったのは、「何のためにやるのか」という疑問を解消するために職員間で話し合ったことである。コロナ騒動以来、子どもたちの中でも大人社会の同調圧力が浸透しているかのようで、毎日の生活に粘りがなくすぐにあきらめてしまうような傾向がみられた。子どもたちの意識の中に疲れが見られているというのが保育者の意識にあった。ここで運動会を辞めてしまう選択肢はなくなる。

 だから運動会をやることについては、「まず全員が参加できるようにしたい」これが最初の共通理解。通常通りにやると園長が言っていたけれども、これでは保護者の理解を得ることはできない。何事もなければ通常通りにやれることが一番良いことは分かっているけれども、それで国が定めた三密を避けた上でやるということに決定したが、それではどうする?。保護者の意見を吸い上げて、足して2で割るような近似値はとることができない。祖父母の参加はよいけれども、小学生はだめなのはなぜか。

 祖父母というのは現在の保護者を育ててくれた人だ。それこそ皆さんが大変だったように祖父母も子育てに悩み苦労してきたのかもしれない。そして今は孫に無償の愛を提供している。そのうえ、祖父母は普通にいれば孫よりも先に旅立つことは自然の理だ。子どもたちにはまだ悠久の時間がある。家族で話し合ってくれたらいい。小学校低学年の子を留守番させるのは心配であるという意見もある。そのために時間を短縮させているつもりだ。留守番ができるかどうかは「初めてのお使い」のようなものだ。できたら滅茶苦茶ほめてやったら、子どもにとっては大きなジャンプとなるだろう。

 私の考え方には賛否両論ある。どちらにもいい顔するのは難しい。どうしたいのかは保護者が決めて、責任は自己責任でお願いしたい。しかしここでは正常性バイアスは通用しない。

2020年9月23日水曜日

みんなコロナに縛られている

  中国武漢にあるウイルス研究所から発生したという証拠を持っている人(元香港大学研究生)が、身の危険を感じてアメリカに亡命したという。それを命がけで世界に訴えていた。親中反日のプロパガンダのような、日本のマスコミは、これを取り上げようとしない。毛沢東から引き継いだ鄧小平は、世界に向けて覇権主義にはならないことを確約したが、習近平によって反故にされてしまった。日本の周りには中国・朝鮮・ロシアとあるが、彼らは嘘ばかりついている。唯一信頼できるのは台湾ぐらいのものだ。韓国に至っては国と国との約束である条約でさえ無視してしまうような、厚顔無恥な無礼な態度で国際的に外交デビューしようとしている。日本を任せられるのは、河野太郎ぐらいか。小泉進次郎は結婚してから少し後退したような気がするがいかがか。

 さて幼稚園のことだけれど、運動会をどうする?と聞かれる。運動会は通常通り開催すると言っているが、どうしたいのかというと、まず子どもたちが全員参加できるということが第一条件。子どもたちは家族に観てもらいたいのだから、家族抜きで幼稚園の子どもたちだけで開催するというのはない。園庭の広さを考えると、三密は到底約束できないので、極力参観者を減らすという考え方で行く。そうなると、毎年来てもらっている6年生は今年は無しということでお願いをしなければならない。1年生の競技もなしということになる。小学生の引率は全員で控えてもらうということで了解していただきたい。その代わりご家族の祖父母は参観を許可したいと思っている。

 こんなことを書いているとまったくコロナが腹ただしい。コロナなど無視して普段通りに盛大にやればいいのにという意見もあるけれど、幼稚園という公的な立場ではそうはできない。プロ野球だって観客動員を大幅に増やしたし、各種のコンサートも開催されているのだからいいじゃないかと考えたりもしたけれど、何かあったら困る。これも無言の同調圧力に屈している姿なのだろうか。ご理解とご協力を切にお願いしたい。

2020年9月16日水曜日

日本の国が危ない

  二階さんなる男、この人は中国べったりで責任を取らない。世界の西側諸国というか民主主義を標榜している国は、香港の出来事について危惧を唱えている。一国二制度と言い出したのは中国が世界に向けて約束したことだが、それは反故にされた。南シナ海で横暴なふるまいをしていることも、国際機関が全く根拠のないことで中国の主張は聞き入れないという判決を出しているにもかかわらず、紙屑のようなものと言って無視してしまった。

  もっとも国連機関のことを一生懸命信じようとしている国民がおめでたいのかもしれないが、北朝鮮の拉致問題にしても国連は動かない。それに抗議すらできない日本の政府であっても、なお国連を中心に政治を動かそうとする愚劣さを国民はしっかりと目を開けて注視しなければならない。拉致問題は、ロシア中国がカギを握っていてそのカードを絶対に手放そうとしない。日本と北朝鮮だけで解決はできないものだ。小泉元総理は北朝鮮に拉致された日本人を日本に帰したことはだれにもできることではない。すごい外交手腕である。そんなことを二階さんがやってみたら相当の評価を得るだろう。

 国連に多額の拠出金を出しているにもかかわらず、日本人は長という要職にはつかないでいる。これは開発発展途上国に譲ろうという国連の暗黙の了解があるからだ。だから先進国サミット参加国からは出てこない。日本はこの先まさか中国につこうと思ってはいないだろうが、等距離平和外交は絵に描いた餅に過ぎない。中国の覇権主義を目の当たりにしながらそのことについて口をつぐんだままで良いものだろうか。国際政治に正義などというものはないことは十分にわかっているが、それならば外交基準となるのは何かというと国益でしかないのだろう。

 日本の政治も国際政治でも青臭い話は除外される。聞いている暇がないのだ。田中角栄はアメリカに無断で中国と国交を結んだのでアメリカから追放されたという話も聞いたことがある。日本は敗戦国だから、すべてにおいて主権があるということではない。アメリカと敵対する国とは十分戦ってもよいが、それ以外は断りを入れなければならない。国連には敵国条項というのがあって、いつでも日本やドイツと戦う準備があるというところにサインをして初めて加盟国になれるのだ。その条項をとるまでは拠出金は出さないぐらいの強気の姿勢があってもいい。日本のエリートはいったい何を考えているのだ。



2020年9月14日月曜日

身近に愉快なニュースがない

 自民党の総裁選がまたまた国民不在の暗闇の中で決定した。もっとも党員以外は投票権がないから大多数の人が自民党総裁、今の勢力では日本の総理大臣を選ぶ権利がないわけだ。総理大臣は国民投票で選ぶようにすればいいのにと思うけれど、かつては中曽根元総理が堂々と持論を唱えていたけれども、今の自民党にはそんな改革はできないだろう。まず憲法を変えなければならないから、何でも反対の野党が絡んできては何もできない。

 日本の政治が良くならないのは野党の不甲斐なさである。今のままで喜んでいるのは半日勢力だけである。最も気に入らないのは、森友問題で議事録改ざんを命じた佐川という人物であるが、改ざんを指示された善良な公務員は国民に申し訳ないと言って自殺してしまったのに、佐川は国税局長官となって栄転までしてしまった。日本の正義はこんなもので良いのか。こんな人物を栄転させた当時に大臣にも責任がある。国民を敵に回しても好き放題なことをしている。昔なら切腹問題であろう。

 情けないことに野党もマスコミも口をつぐんでしまっている。同じ穴の狢(むじな)ということか。芸能界のスキャンダルについては、くっついたとか離れたとか言って追跡調査までやっている。低次元のものが人気を博していてやむことを知らない。これが日本国民の大多数の共有の意識なのかと思うと悲しくなる。香港では若者が命懸けで自分たちの国の体制を守ろうとしている。アメリカでは黒人の人権を守れと人種差別に反対している。国民の共通の財産である議事録の改ざんなど、万死に値する恥ずべき行為である。国家の権力者がこぞってひた隠しにしている。これは絶対に暴くべきである。それでなければ、日本国民は未来永劫にこの羞恥と正義への反逆という汚名を背負って生きていかなければならなくなる。まだ正義が息づいているうちにただすべきだ。

 これからの幼稚園の行事については、通常通りにやっていくつもりでいる。小学校については校長先生の考えでやっていくのだろうと思う。このコロナの騒動については、幼稚園からは感染はしない。なぜなら感染者がいないからであるが、ウイルスのないところではウイルス感染はしない。何ともこのコロナでは正しい問題意識が乏しく、この周辺の町医者の経営している医院が風聞によってつぶされてしまったと話を聞く。「あそこの診療所からコロナが出たって」と言ったら、そこへ行くと感染するというような風聞である。これもまた悲しいことではないか。用心しないといけないが、騒ぎすぎはよくない。

ちょっと先に進んだ

  秋雨前線と台風に見舞われて運動会が2週連続で延期となり、いささかうんざりしてしまった。それでも子どもたちは不満も言わず、運動会をひたすら待っている姿は全く健気である。幼稚園で大人気のプレイバルーンは、年中さんや年少さんのあこがれの的で、それを演ずる年長さんはとても誇らしげであ...