2024年1月9日火曜日

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ悲しみは増えていく。しかもこの時期は降雪時期でもあるし、被災地での救助作業は天候に阻まれ思うように進まないだろう。雪が降っていても、その次に来る雪解けあとの道路や地表は作業をするのに大きな障害となる。身内の者が屋根の下で押しつぶされているのを、ただ何もできないで見ている無念さは測りようがない。辛かっただろうし言葉を失う。

 正月早々「おめでとう」なんていっていられない暗い話が飛び込んでくる。5歳と2歳の子を道連れに無理心中を図った33歳の母親の話がテレビに流れていた。一体この親子に何があったのだろう。子どもが産まれたときには希望に満ち溢れていただろうに、奈落の果てに落とし込んでしまった出来事というのは。詮索はしたくないけれど、あまりと言えばあまりにも短い命ではないか。世の中には子どもを道連れにするほどの苦しいことがあるのか。母親に生きる力がなかったのだろうか。相談する仲間がいなかったのだろうか。

 プーチンという核を持つ権力者がウクライナに進行しまだ戦争は続いている。地中海の隅っこにある反イスラエルのハマスという軍事組織がイスラエルを攻撃しもう3か月にもなるけれど、その戦果はやむことがない。そのうちハマスと同じ仲間であるヒズボラが参戦し戦争は拡大するだろう。米国は戦争を抑えるために話し合いを持とうとしているけれど、それならばイスラエルに武器を供給しなければよい。米国のいい加減なダブルスタンダードが問題を複雑にしている。こんな米国に追随している日本はこれで良いのか。

 自民党に自浄能力はあるのだろうか。自民党は問題を起こすたびに視聴者から「トカゲのしっぽキリ」などと揶揄されることが多いが、今回はしっぽどころでは済まないようだ。立法府で作った政治資金規正法を、自分たちで勝手に解釈し、それを骨抜きにしてしまう。そんな国会議員の集団では国民は不幸である。それでも今度の衆議院の選挙には、何もなかったかのようにのうのうと顔を出してくるだろう。彼らには羞恥心がないのだ。日本の国が住みにくいという諸悪の根源は自民党にあることは間違いない。

 

 

2024年1月1日月曜日

2023年12月30日土曜日

今年ももう終わり

  あっという間の一年であった。何があっという間だったのかと問われたら、病院に三回も入院したからだ。自覚症状もないのに入院するなんて納得がいかなかった。「主治医がそう言っているのだから」では納得のしようがないではないか。しかも家に帰っても外へは出てはだめだなんて。「私は生きているのか?」と問いただしたくなる。私にとっては半分は死んでいるのと同じではないか。吸引する酸素の量と血液検査で私の体の良し悪しがわかるらしい。患者にはそれだけの知見がないから言われるままになるしかない。いわば俎板の鯉だ。

 人生悪いことばかりではない。先日来ていただいた哲学の先生に多分出会うことがなかったら「正義」についての話は生涯悶々として終ってしまっただろう。入退院を繰り返していたという事よりも私の人生で大きな衝撃であったことは間違いがない。「正義」という名詞が悪しき権力者の使い方によっては、固有名詞となって醜い武器となり民衆を苦しめることになる。「正義は武器となるからね」という答え。さすがソクラテス。喉の奥に挟まった小骨が取れて私にとっての大きな問題が解けた。こんな有難いことはない。「正義」その言葉に潜むもの。なぜこんな言葉に操られていたのだと思うと、苦笑いしか出てこない。この歳になって本当にありがたい。

 いろいろなことを思い返している。地球誕生の時はどうだったのだろうか。今の太陽と同じように真っ赤に燃えていたのだろう。いや太陽は燃えているのではない。核融合とか核分裂を繰り返してあのようなエネルギーを放出しているのだ。それがあと40億年も続くと言われている。地球に目をやれば、どこからか水が来て、藻類とかシダ類が繁栄して生命は水のから生まれたと言われている。その前に微生物やらバクテリアなどが生まれ、驚いたことに微生物は自分が病気になると、その病気を撲滅するためにそれに必要な微生物を食べてしまって病気を治していたらしい。話が横にそれた。

 恐竜時代は6500万年前に終わってまだ人類は出てこない。人類が出てくるのは200万年前の旧石器時代からである。それから石器時代を経て有史時代となる。地球の歴史は46億年前にできたと言われているけれど、果たして確かなものなのだろうか。誰がどのように調べたのだろうか。その術がわかればもっと面白くなるのに。知識不足を嘆く。

  気の遠くなりそうな時代を経て現在があるのだが、現在に生きている人間はどうだ。たかだか100年にも満たない時代を汲々として生きている。人生100年などと言って希望を見出しているけれど、その後はどうなるのだ。人生を語るには生きてきただけの物語で十分だが、あまりにも瞬間に過ぎない。そして次の人たちに継承される。その繰り返しだ。その瞬間の歴史に何の意味があるのだろうか。

 金持ちも貧乏人も終わるときには平等になる。学生の時、頭がいいなんてもてはやされていても、多少その分野で足らないところがあっても、一体それは幸せを測る尺度になりうるのか。決してそのようなことはない。自分を生きたものだけが幸せになれる。子ども達に「自分を生きる」ことの大切さを伝えなければならない。思うが儘に書き綴って申し訳ない。

これで今年も終わり、どうぞ素晴らしい1年をお過ごしください。

 


2023年12月24日日曜日

嫌でも

  今度の総選挙では嫌でも野党に入れることにする。自民党には優秀な政治家が多いけれど、思い上がった派閥の政治が国を滅ぼすことになる。派閥で脱税集団になるなんて、この次の選挙にも出てくるのだろうけれど、国民の良識を示さなければだめだ。是非とも脱税した議員は選挙に立候補しないことを望む。自民党は惨敗し多分野党が政権を握ることになるだろうが、また国民の不幸が始まる。これは自民党の国民への裏切りの結果である。

 今の政権に未練はないけれどどの政党が政権を握った方がいいのか?果たして野党に国をまとめるだけの力があるのか?理想論ばかりで、現実にそぐわないのではないか

 先日理事でもあり哲学者でもある一ノ瀬先生が家に来てくれた。胸の内で悶々としていた問題「正義とは」何か。先生は何と答えるのか興味津々である。正面を向いて真剣に聞くつもりで多少緊張気味でもあったが、先生が答えるのに、意外とあっさりと答えてくれた。拍子抜けということもなかったが、その答えは「正義は武器だ!」ということで、すっかり納得してしまった。学者と話すのは楽しい。

2023年12月22日金曜日

がまんできる?

  自民党安倍派の思い上がった不祥事。最大派閥で誰もそれに鉄槌を加えることができないでいる。野党は吠えているだけで無力である。その上まだ政党助成金をもらおうとしている。この上ない不作法である。国民からの税金で政党助成金というのができているが、これは格企業から集める政治資金を廃止しようというものであったが、いつの間にか企業献金も受け、政党助成金も受け取るという、法律を作る立法府の者が法律破りをしていたのでは話にならないどころか泥棒に追い銭である。このような国にしてしまったのは、国民の責任と言われれば言葉を失うが、このような事態でも解散もできない今の政権には何も望むことができない。

 国民は怒らなければならない。こんな国でいいわけない。少なくとも法律を破った議員には公民権停止ぐらいの罰則を与えなければまた問題をおこす。ここは検察や裁判所が頑張らなければならない。国民を幸せにするのが議員の役目であって、おのれの損得や利益のために動くなどとはもっての外である。一昔前の右翼がいたなら天誅(天に変わって罰するもの)に遭っていてもおかしくない。それがのうのうと国民の前に出て謝罪するのでもなく、頬かむりして逃げ出そうとしている。高級市民どころか最低の人種が国会議員になってしまっている。なんとも許せない。

 だからと言って誰に政権を渡すことができるのか?立憲民主党の綱領って見たことか読んだことがありますか。あの党には国は任せられない。日本にはアイデンテティがないことがこのような不幸を生む。もとはと言えば吉田茂がサインした米国との地位不平等協定から起因している。悔しいことだ。

2023年12月17日日曜日

お願いがある

  私の法人には、つくば市と土浦市に幼稚園があり、あおば台幼稚園に隣接して企業内保育所と言って内閣府管轄の12名定員の小さな保育所がある。この保育所は先生たちが結婚して子どもが保育所に入れないときのための受け皿として作ったものだ。すでにその実績はある。それに土浦市と旧千代田町の境の都和中の先に青葉台初等学部という小学校がある。この小学校は、小中連携の学校として創ったものだが、文科省もそのようなことを考えていて、その名称が決まらないということで小学校と中学校を別々に作ることになった。現在は教育学校という名称になったようだ。我が青葉台中等学部は定員を満たすことができなかったので、現在では中学校は募集をしていないが、生徒と教師が集まればいつでも再開できる。そうなればまたまた夢は膨らむ。

 幼小中という教育機関の法人であるが、この理事会の人でもこの法人を引き継いで現場と共に管理運営をしてやろうではないかという人が現れない。話し合いを持ったことはあるけれど、私が辞めた後の考え方が非常に甘くてプランニングが全くずさん。この仕事は副業として、片手間でできるような仕事ではない。そう思っていたらとても腹立だしいことだ。だから責任ある引継ができないでいる。何よりも現在の職場にいる人を尊重して運営しなければ簡単に組織は崩壊する。人の心というものがあるのだから、無造作な金銭のやり取りだけでは済まないものがある。

 47年も学校会計から、幼稚園の教育方針や小学校の教育方針まで一人で全部行ってきたのので、急に私が辞めると言っても引き継げる人はいない。だからしばらくの間は私が一緒にやらなければならない。そうでなければ空中分解してしまうだろう。それでも平気でいられる人もいるだろうが、私はそうはいかない。

 そこで私の代わりに専門でやれる人はいないか募集したい。法人の経済状況はうまくいっているので、借金漬けで首が回らないなどの心配は全くない。是非とも人柄の良い人にお願いしたいものだ。自薦他薦どちらでも情熱があればできます。本日はお願いまで。

2023年12月11日月曜日

思うように

  それほど長い命を生きられるわけではない。歴史に名をはせた立派な人でさえなくなっているではないか。私ごときが命乞いをするなんてもってのほか。もっともっと長生きしてほしい人がいるのではないか。もっとフランクに命を終えたいものだ。今も一生懸命に生きている人もいるけれど、一生懸命は自分の意見を通すことではなく、まわりと上手に調和をとることだ。それができなければ一生懸命は集団を破壊してしまう。小さな集団社会でも同じことで、それが人とのかかわりの中で最も重要なことなのだ。それが理解できなければ、いま一度振り返って自分が一番楽しかったのはどんな時なのかを振り返ってみたらいい。

 私は幼稚園や小学校を守らなければならない。そして今以上に社会貢献できる体制を整え、後進に道を譲らなければならない使命がある。誰に忖度する必要があるだろうか。自分の生き方を生きていこうと思う。その後軌道修正してくれるのは後輩に任せようと思う。社会的な価値観が多くの分野で変わってくるから、これからの人は大変だと思う。

 幼稚園や小学校に通っている子どもたちに、社会を教えることが大変難しくなっている。社会規範となるべき大人たちの不祥事には目を覆いたくなる。こんな中で社会での目標を伝えなければならないのは、あるいは示唆を与えなければならないのは困難なことでもあるけれど、一度立ち止まって周囲を見渡しじっくり考えてほしい。子どもがどうしたいのかが一番大切なことであります。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...