2023年12月30日土曜日

今年ももう終わり

  あっという間の一年であった。何があっという間だったのかと問われたら、病院に三回も入院したからだ。自覚症状もないのに入院するなんて納得がいかなかった。「主治医がそう言っているのだから」では納得のしようがないではないか。しかも家に帰っても外へは出てはだめだなんて。「私は生きているのか?」と問いただしたくなる。私にとっては半分は死んでいるのと同じではないか。吸引する酸素の量と血液検査で私の体の良し悪しがわかるらしい。患者にはそれだけの知見がないから言われるままになるしかない。いわば俎板の鯉だ。

 人生悪いことばかりではない。先日来ていただいた哲学の先生に多分出会うことがなかったら「正義」についての話は生涯悶々として終ってしまっただろう。入退院を繰り返していたという事よりも私の人生で大きな衝撃であったことは間違いがない。「正義」という名詞が悪しき権力者の使い方によっては、固有名詞となって醜い武器となり民衆を苦しめることになる。「正義は武器となるからね」という答え。さすがソクラテス。喉の奥に挟まった小骨が取れて私にとっての大きな問題が解けた。こんな有難いことはない。「正義」その言葉に潜むもの。なぜこんな言葉に操られていたのだと思うと、苦笑いしか出てこない。この歳になって本当にありがたい。

 いろいろなことを思い返している。地球誕生の時はどうだったのだろうか。今の太陽と同じように真っ赤に燃えていたのだろう。いや太陽は燃えているのではない。核融合とか核分裂を繰り返してあのようなエネルギーを放出しているのだ。それがあと40億年も続くと言われている。地球に目をやれば、どこからか水が来て、藻類とかシダ類が繁栄して生命は水のから生まれたと言われている。その前に微生物やらバクテリアなどが生まれ、驚いたことに微生物は自分が病気になると、その病気を撲滅するためにそれに必要な微生物を食べてしまって病気を治していたらしい。話が横にそれた。

 恐竜時代は6500万年前に終わってまだ人類は出てこない。人類が出てくるのは200万年前の旧石器時代からである。それから石器時代を経て有史時代となる。地球の歴史は46億年前にできたと言われているけれど、果たして確かなものなのだろうか。誰がどのように調べたのだろうか。その術がわかればもっと面白くなるのに。知識不足を嘆く。

  気の遠くなりそうな時代を経て現在があるのだが、現在に生きている人間はどうだ。たかだか100年にも満たない時代を汲々として生きている。人生100年などと言って希望を見出しているけれど、その後はどうなるのだ。人生を語るには生きてきただけの物語で十分だが、あまりにも瞬間に過ぎない。そして次の人たちに継承される。その繰り返しだ。その瞬間の歴史に何の意味があるのだろうか。

 金持ちも貧乏人も終わるときには平等になる。学生の時、頭がいいなんてもてはやされていても、多少その分野で足らないところがあっても、一体それは幸せを測る尺度になりうるのか。決してそのようなことはない。自分を生きたものだけが幸せになれる。子ども達に「自分を生きる」ことの大切さを伝えなければならない。思うが儘に書き綴って申し訳ない。

これで今年も終わり、どうぞ素晴らしい1年をお過ごしください。

 


能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...