2019年2月28日木曜日

『立派な年長』終了近い

『立派な年長』というのを企画したのは我ながら面白いと思っている。幼稚園生活のほぼ全ての行事が終わるころに、これから小学生となる年長が一人づつ何人かの仲間を連れて自分が立派な年長になったということを園長の前で証明してもらう。まず賞状をもらいにきた本人が自己紹介して、あとの仲間はその間は黙っている。応援に来た子は賞状をもらいに来た子の自己紹介が終わると、次々に『応援に来た○○です』と自己紹介をして応援が始まる。応援というのはその子のいいところをたくさん言うことだ。その間は賞状をもらう子は口をはさんではいけない。
どうも子どもの間では立派なという意味はかっこいいということと同義語のようで、『足が速くてカッコ良かったです』とか『跳び箱を8段飛べてかっこよかったです』などが多く、なかには『歌が上手でかっこ良かった』とか『劇のときに声が大きくてカッコ良かった』などが多くある。『歌がうまかった』とか『踊りがうまかった』などが出てくると、すかさず『では歌を聞かせてもらおう』とか『踊りを見せてください』とか子どもたちに言う。すると子どもたちは必死になって歌ったり踊ったりして私に見せてくれる。これが真剣そのものでやるからこちらも真剣に見て必ず評価をする。
年長全員の名前を書かなくてはならないから、座っているだけでも結構くたびれる。でも子どもたちの真剣さには負ける。なんといっても今を一生懸命だから素晴らしい。

2019年2月27日水曜日

年少の劇遊びが終わった

何とも言えない可愛い小さな子供が立ったり座ったり来るっと回ってみたりして、特設のステージで大好きなご両親の前でニコニコしながら披露している。うれしくて仕方がないようだ。あのかわいさを何と表現して良いのやら、まったく名状のしようがない。あんな可愛い子を毎日のようにニュースになっている虐待なんかできるものか。人間の心を持たない大人がいて、その大人が子育てをしているなんて、どこかの段階でやめさせなければなるまい。

2019年2月21日木曜日

隣の国

北朝鮮の核問題と拉致問題が日本にとってひっかかる問題であるが、これらは外交問題として二国間では絶対に解決できない問題であろう。だから隣の韓国や米国の軍事力に頼らなければならない。悲しくともそれが現実だろう。拉致問題を政府に解決を願っても現状では永久にできない。戦争でもしない限りかえってはこないだろう。米国にすり寄っていなければ何もできない日本だけれども、節操というものがあるだろう。もっともこの『節操』というのは日本にしかないようだ。政治の世界には『節操』などというものはない。だから中国でも韓国でも平気でうそをつく。そんな国とまともに付き合っている日本の方が『おかしな国』と世界には映るようだ。
日本近海には韓国や北朝鮮それに中国と好き放題に海洋資源を荒らされている。こんなことにどうして国会は問題にしないのか。勿論国の指標である統計も大切だが、国民の財産を他国に荒らされていることに目をつぶっている国会なんて一体どこの国の議員の集まりなのか。
韓国軍による照射問題について結論が出ていないが、日本の海自のセミナーに韓国が参加するという。日本は大人対応と言って悠然と構えているけれど、韓国と国交断絶ぐらいの覚悟を持って対応してもらわないと、国民の方が爆発してしまう。『遺憾に思う』の言葉は聞き飽きたし、どのように対処したのか日本人として誇りある結果を望みたいものだ。拉致問題は日本が強力な軍隊を持ち朝鮮沖に軍艦を並べると一気に解決する。トランプがやったことと同じことだが、誰でもその解決方法は知っているが国会がやろうとしない。議員の中に反日派がいては無理だ。

2019年2月20日水曜日

「立派な年長」始まる

年長の子供たちが4~5人のグループで元気のよい声で園長室のドアをたたく。『はいどうぞ』と言って入室を促すと、あらかじめ用意してある白線を越えて、私のそばまでやってくる。『もうちょっと後ろだよ』と言われるとぞろぞろと後戻りして線の位置につくと、賞状をもらう子がクラス名と名前を言って始まる。応援に来た子も大きな声で『応援に来た○○です』と言って早速仲間をほめたたえるのだが、それが何度か続くと、いうことがなくなってしまうようで声が徐々に小さくなっていく。
第一日目にこんなことがあった。私の前に出てくると緊張してしまうのか声が出ないでもじもじしている子がいた。劇遊びがあんなに上手にできたのに声が出ないなんておかしな話だというと、気合を入れ直すのか踊りを踊り始めた。せっかくのことだから最後まで見届けたが、踊りはみんなが好きなようで良く覚えている。
そんなことをしていると、もじもじしていた子が突然本当に突然大きな声で仲間の応援をしだした。勿論立派な賞状は受け取ることができたが、記念写真を撮るところで、もじもじしていた子に対してみんなが『よくやった』とたたえていた。声も出なかった子は嬉しそうに恥ずかしがっていたが良い光景だった。
『立派な年長』はまだまだ続くがこれからどんなドラマが待っているのか楽しみである。

2019年2月13日水曜日

幼稚園の生活発表会

年中と年長だけの発表会だけど、永遠の可能性を思わせるような躍動に溢れる発表会だった。何もこれは私のよく目ではない。あのような舞台を観るときには何処に視点を置いて観ればよいのかでも評価が変わる。当然幼稚園の劇遊びだから、演劇力などの採点はない。大きな採点と言えば『どんな気持ちで』というところに重点を置く。
そう思うと年中も年長も思い切り自分が感じたようにふるまっていたように思う。子どもたちの気概というか、わだかまりのない柔らかい、しかも力のある心情を思いきり舞台の上で発揮できたのではないかと思っている。あれだけ自分を出し切ることができた子どもたちに大きな拍手を送る。そうは簡単にできることではない。
発表会終了後に保育者全員で反省会を行うが、終了後にすぐに行うことが伝統になっているようだ。時間の設定や幕間の間の取り方など細かいところまで話し合う。矢張りやらなければならないのだろうな。
私の総合的な評価として、劇遊びだから振り付けやらセリフなど微に入り細に入り保育者の助言などが子どもの動きの中にちりばめられていることは言うまでもないことだが、それが見えなかった。これは素晴らしいと思う。子ども一人ひとりが主役であったということだ。皆さんお疲れ様でした。またありがとうございました。

生命力

  どろんこの中で体を横たえてけらけらと笑っている。何がおかしいのか、何が楽しいのかなんだかわからないけれど、腹を抱えて笑っている子もいる。泥の中からむっくりと起き上がって、子ども同士は顔を見合わせて笑っている。肩を震わせて笑っているから、きっと何か楽しいことを見つけたのかもしれ...