2023年9月20日水曜日

19日初等学部

  19日初等学部で夏休みの自由研究の作品について、一人一人の生徒と向き合い、子どもと一緒に評価を行った。子どもたちは一年生から6年生まで漏れなく礼儀正しくて、まじめに勉強してきたようだ。工作などもあったし、セミのふ化等をテーマにした独自の研究もあった。画用紙いっぱいにセミの抜け殻をのりで張り付けてあって、それを上手に壊さないように持ち運ぶのに神経が磨り減るような思いがした。エジソンの卵みたいな子もいて、見事な工作物を作ってきた。ペットボトルの水ロケットを作ってきた子もいる。水圧を学ぶのにはまだ先の話だけれど、パスカルの原理に到達するのはこれが貴重な体験になるだろう。

 自分で作ってきたものに一生懸命になって説明する姿に感動した。小学生で、こんなに夢中になって相手を引き込むようなプレゼンができるのかと思うと、初等学部を敬遠してきた保護者は一体子どもに何を求めているのかと、その答えを聞きたくなる。思いやりがあり、勉強もみんなで工夫して行うことができる。いざこざがあると年齢に関係なく仲裁に入ったり「やめろよ!」と言うことができる。その上子どもたちに何が必要なのだろうか。とにかく抱きしめてもあまりある子どもたちなのだ。

 処理水について。韓国や中国は汚染水と言っていわれなき悪口を並べ立てているけれど、日本政府は1リットル当たり1500ベクレルという自然に溶け込むレベルまで下げて海洋に放出することを決めました。そこで中国では、陽江原発で約112兆ベクレルを放出しているが、自国民にも近隣諸国への通告もされていない。韓国も2019年に釜山近郊で日本海に面した古里原発が91兆ベクレル、月城原発が31兆ベクレルを海に放出しています。日本政府はこれらのことを分かっていながら、国際社会にアナウンスしないのは何故なのか。近隣諸国に忖度することが自国民に背く行為で、国民はますます卑屈になってしまう。日本国政府はもっと国民を大切に扱わなければだめだ。

2023年9月12日火曜日

余計な事

  自分勝手なことを書いていて、私は余計なお節介をしているのかというような反省に似た気持ちがある。面白くないことを面白くないように生きたのでは先人の戒めを守っていない。高杉晋作は「面白くない世の中を面白く」と言って日々を楽しんでいたらしい。万葉の歌人大伴旅人は「今代(このよ)にし楽しくあらば来生(こむよ)には虫に鳥にも吾は成りなむ」とか「生まるれば遂にも死ぬるものにあれば今生なる間は楽しくあらな」とうたっている。死を覚悟しているのではなく人生を達観している生き方なのだろう。素晴らしい人たちだ。

 これからの日本人は、特に我慢のできない人が増えるだろう。ワールドラグビーなどを観ていると、まだまだ大丈夫かという気にもなるけれど、出場できる人たちはほんの一握の人たちで、ギフテッドなる人種である。大多数の日本人が我慢できることに慣れなければならないだろう。そうでなければ何一つ達成できなくなってしまう。レジリエンスというイギリスで流行った言葉がある。学校では無理だから各家庭ではこれを実践しなければ立派なというか、普通の人間に育たない。

 なぜなのか。福利という生活に浸りすぎてしまっている。責任をとるという当たり前のことができない。幼稚園でも、ちょっとしたケガなんかでもご両親が幼稚園に抗議に来る。命にかかわることでもないのに、子ども時代に命にかかわらないケガはいくらしてもよい。大人になってから大きなけがや大病をスルーできる可能性が高くなる。そういっても、そんなことを言っては悪魔のように見る保護者が多い。「もう勝手にしろ―!」と言いたくなる。それが両親の役目だと大きな勘違いをしているのが普通だ。政治は中国だけではなく大衆にも忖度している。そして問題解決にはすぐに金だ。そして国民もそれを要求する。こんな国、良くなるはずがない。とんでもない政治家がいるけれど、少しの間度外視してほしい。必ず天罰が下る。

2023年9月5日火曜日

処理水のこと

  ウランは猛毒だと聞く。だからそれを汚染水と言ってしまった農水大臣は、大臣としての器が国民に対して十分に作用するとは思わない。日本の国のマスコミもあまり取り合わない方がいいのに、中国を利するだけの事ぐらいはわかりそうなものだ。中国の後押しをする輩が結構いる。なぜそれなら国際機関に提訴して、原発を持っている国の冷却水の放出先の水を調べないのか。中国韓国の放流先を調べたら、すごい数字が出てくるのではないか。科学者たちがそう言っている。中国や韓国の科学者たちはこの議論に加わろうとしないではないか。それに中国が最大の輸出国だからというのは、漁業関係者の戦略ミスである。中国異存は危険が多いということは何度も言われていたのに、目先の利益を追ってこのようなことになったのではないか。戦略ミスはどの会社でもあることだけれど、そのたびに国が保障するなら、それは社会主義国家になってしまう。中国の大きな不動産会社でも目下倒産寸前にあるではないか。

 中国に進出している企業は何万社もあると聞いている。台湾有事の際は米軍が出ていくと言っているけれど、米軍はどれだけ本気で台湾を守ろうとしているのかわからない。そんなとき中国進出企業はどうするのか。政府に泣きついてもどうにもならないから、自己責任で処理しなければならない。そのリスクは必ずあると覚悟しなければならない。日本と韓国は、ロシア、中国、北朝鮮に囲まれているのだから、こんな政情不安な時に地雷を敷き詰めてある国に出ていかなくてもよさそうに。

2023年9月3日日曜日

コロナの傷跡

   コロナが終わったのかどうかはわからないが、10月からのコロナ患者は国からの補助が出ないそうだ。コロナ終息宣言を出してからでもいいのではないかと思う。まだこの地域でもコロナにかかったなどの話をよく耳にする。忘れた頃のコロナは少し無関心になるから、質が悪いと感じる。通り過ぎたと感じる人が多くなったとはいえ、この3年間のコロナの居座った時間は子供たちの成長に大きな影を落としている。子のコロナの発生源は中国であるということがはっきりと言われていたが、WHOの事務局長(エチオピアのロドリゲス?とか言っていた)は中国まで行ってそれを否定した。中国マネーに黙らせられた。と言われている。その後いくつかの証拠が出ているけれど、うやむやになっている。原電の水処理なんかで中国が騒いでいるけれども、中国の世界に対して行っていることはやることがあくどい。日本は真実を言わないし抗議も生ぬるいので、中国は好き勝手に傲慢にふるまっている。意気地のない政府であるが、どのようにして次代を担う子ども達にバトンタッチをするのだろうか。

 携帯電話の普及で世の中はずいぶん便利になった。便利さだけを追い求めると、大切なものを失うことに鈍感になる。幼稚園の大きな存在意義は、子ども達が不特定多数の中で戯れることである。人のぬくもりの中で、人間の情感を知り、生の言葉によって感情の動きを察知するのである。人との関わり合いがなくなれば非認知能力は育たないだろう。いわゆる感性に磨きをかけることが不可能になる。簡単に学校を休ませたり、幼稚園を休ませたりすることは子ども達にとって、大きな損失である。

 地域の大人たちや、文科省も休ませることの子ども達への影響を議論しない。ただコロナは怖い、だから人との接触は控えた方がよい。何カ月も休ませた学校もあり、幼稚園もある。その期間の子ども達のコミニケーション能力はかなりのへこみがあるだろう。命を守ることが何よりも大切だと言われればもうその先はない。子どもの成長過程には何があるのかという議論があっても良かった。そうすればもっと冷静に子どものことを考えることができたのではないか。

 子ども庁というのが昨年できた。ここに「子どもまんなか」という標語があるけれど、これは日本私立幼稚園連合会の標語そのままである。子どもが中心にいるということであるけれど、考え方は大人中心であって、子どもは二の次である。幼稚園連合会も補助金をもらう関係があるからあまり強いことは言えない。文科省が作ってきた約束事をうのみにしている。その取り巻きにいる学者先生も御用学者が多い。こんなことで子どもの社会は明るくない。岸田総理が子ども手当などで「異次元の」ということを連発しているけれど、異次元でなくて現時点をよく踏みしめていただきたい。

 増税は考えていないと言いながら、すでに労働保険や、健康保険は値上がりしている。税金は源泉税ばかりではない。何か問題があると、すぐにお金をばらまく。創造的な政策を考えようとしない、官僚の程度が低くなってすべて金で解決しようとしている。これでは明るい未来を描くことは無理なのではないか。

 何日か前に「いつから日本は戦争のできる国になったのか」という本の紹介をしたけれど、私の携帯のニュースのところに同じような記事が載っていた。8月29日のことだったけれど、ちょうど園内研修の日だったから覚えている。午前中いっぱいでその記事は消されてしまっていた。

2023年9月1日金曜日

始まり

  今日から幼稚園では2学期の始まりである。急いで歩いたり、長い間立っていたりすることはできないけれど、子どもたちの前に出ると結構な時間話ができるような気がする。子どもたちと出会った瞬間から、すごいエネルギーをもらっている感じがして、おなかの底から湧き出してくるような力を感じる。まったく病気であることなど忘れていた。

 子どもたちの前に出て「おはようございま~す」と大きな声で言うと、こだまのように「おはようございま~す」と、子どもたちのありったけの声が返ってくる。「元気か~!」と言うと「元気~!」と返ってくる。こんなやり取りができるというのは幸せでないとできない。そもそもこのような言葉が浮かんでこない。みんなの声や満面の顔に生命の息吹が溢れている。こんな子供たちの中にいられるのは幸せな役得だ。こんな世界にあとどのくらいいられるのだろうか。

 満三歳児という年齢の子どもたちが幼稚園の別枠で登園している。この子たちは3歳児クラスに入っているのだけれど、少し前からいる3歳児に対しても、だれに対してでも全くの遠慮がない。傍若無人とはこのことだろうが、それを全くの抵抗を示さない子どもたちの包容力というか、生命力には感嘆する。これからまだまだ暑い日が続くでしょうが、熱中症に気を付けて運動会をクリアしたいと考えています。

 初等学部は2学期制なので8月24日から通常の授業に入っている。私の提案した自由研究について、全員の子が提出してくれた。19日にはこれらの研究について一人ひとりと面談をし、個々の研究について話し合いをしたいと思っている。あまり時間をかけることはできないけれど楽しみである。しかしながら、幼稚園でも初等学部でも見られる現象だけれど、コロナ騒ぎで失った3年間は子どもたちの成長に大きな負を負わせたことに間違いはない。今度はこのことについて書いてみようと思う。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...