2023年9月3日日曜日

コロナの傷跡

   コロナが終わったのかどうかはわからないが、10月からのコロナ患者は国からの補助が出ないそうだ。コロナ終息宣言を出してからでもいいのではないかと思う。まだこの地域でもコロナにかかったなどの話をよく耳にする。忘れた頃のコロナは少し無関心になるから、質が悪いと感じる。通り過ぎたと感じる人が多くなったとはいえ、この3年間のコロナの居座った時間は子供たちの成長に大きな影を落としている。子のコロナの発生源は中国であるということがはっきりと言われていたが、WHOの事務局長(エチオピアのロドリゲス?とか言っていた)は中国まで行ってそれを否定した。中国マネーに黙らせられた。と言われている。その後いくつかの証拠が出ているけれど、うやむやになっている。原電の水処理なんかで中国が騒いでいるけれども、中国の世界に対して行っていることはやることがあくどい。日本は真実を言わないし抗議も生ぬるいので、中国は好き勝手に傲慢にふるまっている。意気地のない政府であるが、どのようにして次代を担う子ども達にバトンタッチをするのだろうか。

 携帯電話の普及で世の中はずいぶん便利になった。便利さだけを追い求めると、大切なものを失うことに鈍感になる。幼稚園の大きな存在意義は、子ども達が不特定多数の中で戯れることである。人のぬくもりの中で、人間の情感を知り、生の言葉によって感情の動きを察知するのである。人との関わり合いがなくなれば非認知能力は育たないだろう。いわゆる感性に磨きをかけることが不可能になる。簡単に学校を休ませたり、幼稚園を休ませたりすることは子ども達にとって、大きな損失である。

 地域の大人たちや、文科省も休ませることの子ども達への影響を議論しない。ただコロナは怖い、だから人との接触は控えた方がよい。何カ月も休ませた学校もあり、幼稚園もある。その期間の子ども達のコミニケーション能力はかなりのへこみがあるだろう。命を守ることが何よりも大切だと言われればもうその先はない。子どもの成長過程には何があるのかという議論があっても良かった。そうすればもっと冷静に子どものことを考えることができたのではないか。

 子ども庁というのが昨年できた。ここに「子どもまんなか」という標語があるけれど、これは日本私立幼稚園連合会の標語そのままである。子どもが中心にいるということであるけれど、考え方は大人中心であって、子どもは二の次である。幼稚園連合会も補助金をもらう関係があるからあまり強いことは言えない。文科省が作ってきた約束事をうのみにしている。その取り巻きにいる学者先生も御用学者が多い。こんなことで子どもの社会は明るくない。岸田総理が子ども手当などで「異次元の」ということを連発しているけれど、異次元でなくて現時点をよく踏みしめていただきたい。

 増税は考えていないと言いながら、すでに労働保険や、健康保険は値上がりしている。税金は源泉税ばかりではない。何か問題があると、すぐにお金をばらまく。創造的な政策を考えようとしない、官僚の程度が低くなってすべて金で解決しようとしている。これでは明るい未来を描くことは無理なのではないか。

 何日か前に「いつから日本は戦争のできる国になったのか」という本の紹介をしたけれど、私の携帯のニュースのところに同じような記事が載っていた。8月29日のことだったけれど、ちょうど園内研修の日だったから覚えている。午前中いっぱいでその記事は消されてしまっていた。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...