2022年11月29日火曜日

今日は創立記念日

  以前は今日の創立記念日は休日となっていましたが、土日が休みで、祝日が増えて、その上冬休み、春休み、夏休みがあったのでは、しょっちゅう休みになってしまうので、幼稚園も学校も来る日が無くなってしまいます。それで、せめて自由になる創立記念日を休みにせずに普通の日としたわけです。私も例にもれず学校がある日よりも休みの方が大好きだったのですが、社会に立ってからいつの日にか休みの日が嫌いになってしまいました。社会に立ってからというのは、何しろ日雇い土方をしていたもので「土方殺すにゃ刃物はいらね~雨の10日も降ればよい」なんて言われていましたから、普段の日には休むなんてもったいないことができなかったわけです。幼稚園も小学校も子どもたちが「楽しい」と言ってくれることが、私にとっては最高の幸せではないかと思います。

2022年11月28日月曜日

今更なんで

  今更なんでGHQなんか持ち出すのだと言われるかもしれないが、日本が戦争に負けてGHQが米国好みに日本を作り変えてしまったことが悔しくてならない。これは国際法違反だ。敗戦国だから何にも言えないというけれど、それなら国際法だなんてきれいごとはやめた方がいい。東京裁判も国際法にのっとって裁判が開かれたと言っているけれど、義務教育の社会の教科書にも東京裁判は戦犯をさばく裁判だったとあるけれど、実はそうではないだろう。戦勝国の日本への仕返しである。戦争なのだから正義も不正義もないのだ。だからもうつべこべ言うなと言われればそれに従うしかないのか。ウクライナを見ればわかるではないか。心情的に、大きな国より小さな国が頑張っている様子を見れば、どうしてもウクライナをかばってしまう。厳冬の時期に電気を止めてしまって、生活インフラを遮断してしまうというのは戦争だからありうるわけだ。いかにすれば戦争に勝てるかと考えていれば、インフラの遮断など考えられることだ。ただ原子力発電所の破壊はしないだろう。それは自国への被害が及ぶことだし、当事国でない国へも被害を及ぼすことになる。

 日本人から愛国心を無くすのにはどうすればよいか、ということが米国占領軍の至上命令であった。日本国憲法も教育基本法も法律によって弱体化させるというのが狙いである。それに強烈に反対したのが日本共産党であった。「占領軍が作った憲法である」と国会でも強烈に猛烈に反対していた。共産党は言っていることは正しいけれど、やることは全く違ったことをやる。何故反対をしていたかというと、占領軍は米国でソビエトコミンテルンとは相いれなかったからだ。日本のためではなく、世界同時革命を企んでいたことに邪魔だったからだ。

 吉田茂がマッカーサーのイエスマンであったから日本はいまだに独立できないでいる。今9条を無くそうと言ったら米国は何というだろうか。国民の意思でやるなら憲法を停止した後でやった方がすっきりする。日本に軍備を強要しているのは米国だろう。日本が自前ではできなくされたのも米国である。これから日本は米国の紐付きの軍備増強に踏み切るだろうが、みんな米国の差し金だ。私たちの税金は米国に吸われていく。今でもかつての宗主国と言われている植民地政策で大国だったところは、その国から税金のようなものをとっている。アフリカに植民地をたくさん持っていたフランスがそうだ。アフリカの内戦ではフランスの武器が出回っている。フランスで作った武器で殺し合いをやっているのだ。日本はこれからどうすればよいのか。政治も政治家もだらしがないから、これからの人たちに頑張ってもらわないとこの国が無くなってしまう。

2022年11月21日月曜日

初等学部のフェスティバル

  エキサイトフェスティバルとなっているけれど、エキサイティングだ。子どもたちの顔が輝いている。私が初等学部に行くと、みんなにこにこして挨拶をしに来てくれる。生き生きしさが伝わってきて、楽しんでいるなとわかる気がする。

  私はよく「幸せ」について話をする。幼稚園の保護者には「何のために子どもたちを幼稚園や小学校などに通わせたりするのだろうか」と質問したりする。「偉くなるために」とか「金持ちになるために」とかいう答えは絶対に返ってはこない。そんな抽象的な返答は苦手なのだろうけれど、とっさに質問されて戸惑いもあるのだろうが、真実の答えは「幸せになるために」だろう。子どもを「幸せ」にするにはあれやこれやの手段は必要ない。「お母さんが幸せになることだ」と言っている。子どもたちの普段の「幸せ」というのは何だろう。幼稚園児には幸せの概念が分からないから言葉では説明できない。それではどのような状態を言うのであろうか。幼稚園にきて「嬉しい」とか「楽しい」と実感することである。と、あおば台の保育者とは話し合っている。小学校ぐらいの年齢になると、「幸せ」という言葉は具体的には理解できなくとも「幸せ」という言葉に多くの事象がくっついてくる。そして「幸せ」を理解できる。そして多くの喜びに出会うとき人は至福となる。子どもたちが生きている今の瞬間が「幸せ」への第一歩なのだから無駄にはできない。

2022年11月17日木曜日

戦後の憲法は誰が作ったのか

  日本の国の歴史は、日本中の人が同じ認識でいれば間違いであろうとそれは正しい歴史になってしまうのか。おかしいと思うけれど、歴史などどうでもよいと思っている人たちには全く関係のない話だ。私は当時の権力者たちに「恥を知れ!」と言いたくなるような資料を手にした。これは米国のフーバー研究所に今まで眠っていたものだ。それを掘り起こして私たちの目に触れさせてくれたのが西鋭夫先生と言うスタンフォード大学の教授だ。原文の英文によるものまで見せてくれたのでこれは本物だと思う。まさかこのようなものだから偽物なんてことはないだろうと完璧に信じて話をするけれど、日本の憲法は一体誰が作ったのかと言うことだが日本の国民の誰かが作ったと言うのなら、これほどまでに憤慨することもない。一度は国民の手に渡されて憲法作成委員会なるものが準備されて、松本烝治という憲法学者を中心にことが運ばれていたらしいけれど、草案をマッカーサーのところへ持って行ったところ、マッカーサーは激怒したとある。マッカサーは明治憲法を悪の法典と見下していたから天皇の条項が気に入らなかった。秘書役のホイットニーというGHQの民生局長にマッカーサー草案なるものを見せ、これに沿った草案を持ってくるよう言い渡した。日本国憲法のGHQ草案である。そのGHQ草案は昭和21年2月13日に複写して吉田茂、松本烝治、白洲次郎に手渡す。

 この時の外務大臣は吉田茂で、絶大なる権力を持つマッカーサーに惹かれて行ったようなところがあって、憲法草案の時にも反対意見も出していないし、自分の回顧録の中でもあの憲法は提案したのはマッカーサーでありそれに対し幣原男爵は熱意を持ってそれに応じたとしている。戦勝国は敗戦国の歴史と文化に対して敬意を持って接しなければならない。と言うのはハーグ条約だか日本の武士道だか西洋の騎士道に出てきそうな言葉だが、米国マッカーサーという統治者にはそのかけらもない。以下はGHQ戦勝国の独壇場であるやりとりを書きます。

 ホイットニー准将は説明を続ける。今やあなた方は憲法草案の内容を熟知したのですから、私としてはこれまで通り、互いに手の内を全て見せ合うことを望んでおります。マッカーサー元帥がこの憲法に込めた精神と彼自身の希望を説明させてください。近頃各政党がそれぞれ公表している憲法草案は国民の間でも改正が必要であると言う意思の表れであると理解されておられます。国民が憲法改正を勝ち取るのを確実にすることが、元帥の決意なのです。

 天皇を戦犯として軍事裁判にかけよ、と他国からの圧力は高まって来ています。あなた方はご存知かどうかは知りませんが、マッカーサー元帥はこの圧力から天皇を守る決意をされております。元帥はこれまで天皇を擁護して参りました。なぜなら、元帥は天皇を守ることが正義だと考えておられ、今後も力の及ぶ限りそうされるでしょう。しかし皆さん元帥といえども神のように万能ではありません。しかし、元帥は日本がこの新憲法を受け入れるなら、天皇に誰も手が出せないようにするために全力で尽力されるでしょう。新憲法を容認すれば、日本が連合軍の占領から独立する日もずっと早くなります。それは、連合軍が要求している基本的自由が日本国民に与えられたと見られるからです。

 元帥は、私がこの草案を日本政府と政党に提示するように命じられました。その採用について皆さんが審議した後、望むなら、この憲法は元帥の完全な指示を受けた憲法として国民に提示しても良いとまで断言しているのです。もちろん元帥はこれをあなた方に押し付けてはおりません。ですが、元帥は、この憲法に明記されている民主主義の原則を国民に提示するべきだと決意されておられます。あなた方の自主的な行動によってこの新憲法を国民に示すことを願っておられます。もし、自主的にできないのなら、元帥自らが公示することになるでしょう。そうなると皆さんのメンツは丸潰れです。元帥はこの新憲法によって、敗戦国日本が世界の諸国に対して、恒久平和を目指す道徳的指導者になり得る機会を与えておられるのです。

 あなた方がこの草案を受け入れて、政治的に進歩的、革新的となること、すなわち急速に左傾化することで、あなた方の地位と権威は減衰により保証されます。今までのように極右のままだと、あなた方の政治生命は終わります。この憲法草案を受け入れることが、反動的な国体護持派とみなされているあなた方が生き残る唯一の望みであると言う現実を忘れないでください。はっきりと断言しますが、草案を受け入れれば、あなた方の権力が延命いたします。受け入れなければ、あなた方の政治生命は速やかに終焉を迎えます。元帥は、日本国民がこの憲法草案、もしくは、私たちが望む諸原則が反映されていない他の憲法を選ぶ自由もあるべきだと考えておられます。(註*選ぶ自由など最初から皆無)

 かなりの量を書ききれないでいる。これは外務大臣官邸で話し合われたGHQの要人と日本側の要人の会話のメモである。吉田茂やその他の人も参加しているが、吉田はこの時からマッカーサーの付き人のようなことをしていて、GHQ草案も幣原総理に戦争放棄の項目など責任をなすりつけており、マッカーサーのイエスマンになることによってマッカーサーから総理になるお墨付きをいただいたようだ。なにしろ占領軍の力は絶大であるから日本の国会などどうにでもなる勢いであったから。白洲次郎のことも「マッカーサを叱った男」なんて格好の良いことを書かれていたけれど、白洲は吉田の犬のようである存在だからそんなことは絶対にできるわけがない。

2022年11月10日木曜日

コロナ疲れ

  もう3年近く海外へ出ていない。1カ月間のどこかに空いている日があるだろうとカレンダーとにらめっこをしながら、この日なら大丈夫だろうという日を探した。勝手に日付を決めて、それから病院へ行く日があって、とりあえず医者の意見も聞いておこうということで病院へ行ってみたら、医者曰く「いかない方がいい」「飛行機の中の空気は薄い」ということであった。これだけ言われただけで、私はこれからずっと飛行機には乗れないかと思うと悔しくてならない。挙句の果てにネットでお願いした航空券は、間に入っている業者が返金できないという。踏んだり蹴ったりとはこのことなのか。現在この業者と話し合いをしている。

 大きな小学校の敷地の中にスケボーやボルタリングのコートを作ろうかと考えている。今日その図面を私の友人の息子さんが届けに来てくれた。最近の公園なんかでもスケボーや自転車のBMXなんかができる施設を作っているらしい。同じように作るならオリンピック仕様でなければ面白くないだろう。あれだけ広いのだから氷のスケート場もできるのではないか。勿論本物の氷では施設が大変だから簡易のものを使う。勿論この施設は有料である。いろんな人の話を聴いてみよう。

 日本の憲法の制定に関するGHQの1946年2月のメモがスタンフォード大学フーバ研究所に眠っていた。その研究所にうずもれて研究している西鋭夫先生がこのほどこの憲法にかかわる疑惑をすべて解消して、最終決着としたいという思いで発表したものがある。有料だが私はそれを買って読ませていただいた。読んでいると腹が立ってきて何度もプットアウトした資料を投げつけたくなる衝動にかられた。日本の教科書の嘘が白日の下にさらされることになったが、これを謝罪する者はいない。私は当時の社会科の教師に嘘つかれたという空しい気持ちが残った。そればかりか日本の戦後の歴史についても真実はもっとひどいものだ。英文で書かれているそのままのものを資料としてある。英語を普通に話せないとこれからはうまくいかないよ。少しずつこの欄で紹介することにする。

2022年11月8日火曜日

同窓会

  1年生と2年生の同窓会をした。初等学部のエキサイティングフェスが延期になったということで、その日の午後から予定されていた同窓会だ。最初に1・2年生がホールに集まって私と話をする。みんなの顔を見ながら学校である楽しいことや嫌なことなどをみんなの前で発表してくれる。その発表に共感持てるとなるとドーっ!と唸りのようなどよめきが起こる。なるほどな、みんな同じような感覚でいるのだ。女子から多く上がった声は「男子がうるさい」という苦情である。私はそれに答えなければならないので「それはね・今頃始まったことではなくて、先生が小学生のころからうるさかったよ」と言ったら「ほんとにしょうがないんだから」と言っていた。「みんなで何をやりたい!」と言ってみたら、声を合わせて「プレイバルーン」という声が上がった。これはあおば台でも第二でも同じである。楽しい一日であった。

 私はいま日本の憲法改正にまつわる真実を読んでいる。日本人の手によって書かれたということを戦後ずっと言い続けてきた政治家たちが、国民に向かって嘘を言ってきたわけだ。なんとなくうっすらとGHQの影が見えていたけれども、また日本のマスコミもなぜかそのことにはずっと押し黙ったままであった。プレスコードというのがあってGHQに断りがないと書けないことがあったから、当時のマスコミを恨んでもどうにもならない。憲法草案にはまったく日本人の手が入っていないというものだ。それに第9条がある限り日本は米国から独立はできないというのもその当時分かっていたことだった。マッカーサーもホイットニーも吉田茂や松本烝治(憲法学者)、白洲次郎の顔をどのような顔をしてみていたのだろうか。戦勝国の無礼な振る舞いだろう。

2022年11月4日金曜日

いろんなことがあるけれど

   この世の中どうなるかさっぱりわからない。権力思考の政治家どもがこの世の中を動かしていると思っていたら大間違いだろう。ウクライナのことも地球温暖化のことも政治家が動いていることではないことはわかっていることだろう。では一体誰がと言うと、案外個人的な人かもしれないけれど、個人がこの地球の経済を動かすような人がいるのか。考えられないようなことだけどそのような個人とか財団があるらしい。一部の大金持ちがあるいは小集団の経済人がこの地球のありようを左右していると言うことも考えられないことではない。ビルゲイツが武漢にある研究所を去った後にコロナウイルスが持ち上がったのも満更嘘ではないようだ。よく考えてみればクレダと言う少女が街頭で地球温暖化の話を訴えたところで、誰がいったいそれを真剣に受け止めて世界的な問題にしうることができようか。ウクライナへ侵攻したプーチンが世界経済を悪くしたことになっているが、その裏で豊かに栄えている企業や国が必ずある。ウクライナも正義とか悪の問題ではない。もともと政治には正義も悪もないからだ。ウクライナの惨状を見れば悪はロシアだと大声で叫びたくなるけれど、戦争は勝てば官軍である。日米の関係を思い返せば理解できるだろう。日本のやることは全て悪で米国が善であると戦後何十年も思わされてきたではないか。それには日教組という日本解体のプロパガンダが存在したことが大きな要因であるけれど。彼らは間違い無くコミンテルンの一翼をになっていたことに間違いがない。現実を見れば過去にあったことの善し悪しがわかるけれど、その当日は理解できないことだから仕方がないと言えば仕方のないことだけれど、いまだに同じ轍を踏みそうなものがいる。 

 邪悪な世界の政治経済が私の周りに付き纏っている。私自身に邪悪なものを呼び寄せる悪の悪戯があるからなのだろう。身を綺麗にして子供達に会わなければならない。これから子供達にどうしてあげれば良いものか。思案に行き詰まる。

2022年11月2日水曜日

突然のはがき

 突然のハガキが来た。それは卒園児の保護者からであった。その内容は今年の春に子供が亡くなったので年賀状の辞退である。私の女房はそれを知っていたので葬儀にも出席していたと言う。私は全く覚えていなくて、でもそのお姉ちゃんのことはなぜかよく覚えていて、快活で楽しい子であった。玄関に置かれてあるその葉書は瞬間でも、私のことを真っ暗な世界に陥れた。「なぜ」「何で」と思いながら悔しさで涙が止まらない。ご両親の無念さもあるだろうが、あのお姉ちゃんお弟がと思うと悔しくてならない。

 幼稚園の年少さんの運動会が終わったのでその原稿を描こうと思っていたけれど、その原稿も中途半端になってしまったけれど続きを書こうと言う気になれなかった。悔しさでいっぱいだ。そばにいられなくて残念だけど、そばにいても何もできないだろう無力の無念さである。





能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...