2022年8月31日水曜日

過去は大切

  過去を振り返れなければ今の自分はいない。個人の力なんて全く弱いものだ。いやそうではないかもしれない。強靭な肉体と精神力を持ち、その上機知に富んだ、人類愛に富んだ人間がいるかもしれない。あくまでも個人の感覚で話を進めるけれども、1代で大きく仕事をなした人や名誉ある仕事を成した人などは、すべて脇役や、影となって応援した人が必ずいる。本当はそういった人たちが表に出て称賛されるべきだろうけれど、世の中は目に見えた人しか認知しないから、世の中の評価というのはでたらめなところがある。

 私の知り合いに人々の相談に乗ってあげて親しまれている人がいた。勿論経済的に裕福ではなかったが、金銭面のことでも相談に乗ってあげていた。その原資はどうしたのかと言ったら、彼の友人の中からお金に余裕のありそうな人に相談をしてまかなうというやり方であった。、現在の大人社会の中では稀有な存在であったから、多くの人たちが相談に訪れていた。奥さんは大変苦労したのではないかと推察するけれど、案外そうでもなかった。その人からおなかがすいたとかいう話は聞いたことがなかったし、私は一緒に食事をしたこともなかった。相談に来るというだけでその人は満足していたようだ。金銭的な相談が多いけれどもどのような解決を試みていたのか私は知らない。その人は亡くられたけれども一生を通じて人生にどんな感想を持っていただろうか考えるところがある。

 「衣食足りて礼節を知る」という言葉は一見的を得ているようだけれど、あくまでも大人社会に通用する言葉だ。ルソーがエミールの中で言っていた言葉がある。「神の手から出た時には善であり、人間の手に委ねられると悪になる」こんな言葉が有名になって独り歩きされると悔しいけれど、非常に宗教的な言葉であることには間違いない。幼児期というのはルソーの言うように神の手から離れてまだ間もない時期だ。だから貧富の差もなければ,善悪も混とんとしているので精神的に自由だ。人間にとって人間らしからぬ時代であるだろう。他から見るといい時代に見えるけれども、彼らにとっては不自由なのではないかな。

 明日からは幼稚園が2学期として始まる。初等学部は2学期制だから夏休みもそこそこにして授業が始まっている。初等学部の子は素直で真面目によく人の話を聴く。だから一般的大人からするととても可愛いだろう。自習の時間などを参観したけれども、よくみんな教師がいるとかいないとかにかかわらずよく学習に打ち込んでいる。私などはよくサボっていたけれど。幼稚園はそんな評価はしない。よく元気に遊んでいるかが大切なポイントだ。仲良し友達は何人で来たかななどは社会性の大きな第一歩。

2022年8月29日月曜日

そろそろ始まる幼稚園

  始まると言っても暦の上だけの話だけれど、通常の夏休みに入ってからあおば台も第二幼稚園も度暦以外に休んだことがない。研修などがあるときには、普段保育援助を行っているあおば台で経験のある保育者に来ていただいている。多い時には20から40人ぐらいの数になるので、いつも3~4人ぐらいの保育者が保育専従人として張り付いている。幼稚園は文科省の管轄であるけれど、幼稚園そのものが教育機関から保育サービス機関になってしまったようだ。まるで事務などは保育園の様で、普通の保育者にはとてもできそうにない。これを一手に引き受けてやろうと言ってやり始めたのがパソナという会社で、政商である。もっとひどい言葉を使えば戦争請負人みたいな武器商人と同じ発想だ。小泉内閣の時だったか定かではないけれど、財務大臣をやった慶応の経済学の教授である。

 そんなことだとまったく知らずに、知る必要もないが子どもたちは無邪気に元気に遊んでいる。大人社会のことを無理矢理知らせる必要はあるまい。昔の童謡を聞く機会があって耳を澄ましていると、歌詞がとてもやさしさにあふれていて、その歌詞がまたやさしい曲に包まれてみんながみんな子守唄のように聞こえる。物がなくてお金がなくて貧しい生活をしていた時だったけれど、社会がやさしかった。一日三食をきちんと食べられなかった家庭も随分とあっただろうけれど、ひがむこともなく堂々と生きていた。食えない家庭も食える家庭の子もみんな平等で、だれも仲間外れなんかにはしなかった。そんなことをしたらご法度だったのだ。どこか無言のうちに私たちに教える社会があった。経済的には今と比べ物にならないけれど、人のやさしさは昔の方が今とは比べものにならないほど温かかった。

2022年8月21日日曜日

きょうは第二幼稚園

  昨日はちょうど夕涼み会が終了と同じ時間に雨が降ってきた。最初パラパラだったけれど、徐々に本降りとなった。タイムリーに終えることになったことはとてもよかった。家族を一緒にお呼びしてやれれば一番良かったのだろうけれど、心残りはそれだけだ。

 今日は第二幼稚園で夕涼み会。あおば台も第二幼稚園もおやじクラブのお父さん達が駐車場係を率先してやってくれて、その恩恵をみんなで授かっている。年少が始まりでちっちゃな体に浴衣などを着て、まるでお人形さんの着せ替えのような姿で可愛い。そのちっちゃな体で親を先導して親の手を握って引っ張り斜めになっている。ちょこちょこと歩いている姿が何とも言えない新鮮さがある。年少さんがかき氷を食べたり先生たちが作ったゲームを楽しんだら次は年中さんが来る。

 年中と年少では何が違うのかと言うと、まず行動パターンが変わる。仲間とのおしゃべりが多くなって争いごとが多くなる。日本語がかなり良く理解できる。子犬みたいな子猫みたいなパンダの子どもみたいな愛くるしさがある。幼稚園にいる間はそれずっと続く。何とも言えない幼児教育の素晴らしさよ!。これを聖職とか天職と言わずに何と呼ぶことが正しいだろうか。私は図らずもこの職業に恵まれたが、だからこそこの天使たちを裏切ることができない。愛くるしい子ども達と一緒にいられることは最高の喜びである。これからこの世界にいられることはそれほど長くはないだろうが、とても素晴らしい世界に生きてきた。

 あおば台ではなかったけれど、第二では年中ののど自慢があった。少し時間があったからと担任の保育者が言っていたが、常に子ども達の気持ちに沿っていこうとする姿が気持ちがいい。とても元気よく歌えたけれどもバラバラで私は耳が悪いものだから音が一つになって聞こえる。しかし元気があることが一番!。

 今日最後の年長さんの塊が幼稚園に登園してきた。女性の若い保育者は全員が浴衣に着替える。職員室には男性は私だけだが私がいることなどお構いなしで、鏡などを取り出して懸命に鏡とにらめっこをして、自分の顔の角度を調査している。そのうちなかなか決まらないのかいら立っている様子も見える。女性のことをいろいろ書くとセクハラだとか言われるからやめるけれど、女性は大変だな。子どもたちがクラスへ入ると担任から今日のお楽しみを聞いて幼稚園紙幣を持って外に飛び出していく。食べるものはかき氷だけであとは保育者が作ったゲームを楽しんでいる。のど自慢大会があり、影絵があってそのあとに花火を楽しんで夕涼み会は終わりになるけれど、こんな事でも子供たちははしゃぎすぎるほど楽しいのだ。今度はコロナの心配はあるけれど夫婦で来ていただいて、コロナは自己責任ということで開催しようと思う。協力していただきたい。その点初等学部は何の心配もいらないのが強みだな。

2022年8月20日土曜日

夕涼み会

  子どもたち全員が出てきてやるのには保護者の方で抵抗を示すので、時差通園にしてやることにしたけれど、子どもにとっては保護者と一緒に手をつないで歩くだけでこの上ない喜びだから、何をやるなんて言うことはあまり関係がない。年少さんに挨拶したら親の方の顔だけ見て私の方は無視という感じだった。少し寂しいな。でも親あっての幼稚園だからある程度のことはこらえないといけない。年少・年中と終わり年長さんの時間になると、まったくガラッと変わって、保育者は全員が浴衣を着て外に出て踊りもする。踊りのようなふりもする。音楽だけでも雰囲気がある。食べ物を出さないから雰囲気が盛り上がらないこともあるけれど、今日は暑くもないしころあいとしてはとても良かった。雨の降る前に花火は終わらせないと。

   少し雨が降ってきた。雨降りの予報でもあったのだろうか。子どもたちの歌は急遽ホールでやることになって、年長だけの親子だからフロアーも余裕があってとても良かった。雨の心配したり、外の場合には音が流れるので聞きにくいこともあるけれどもホールの中だとその心配はない。大隊子どもたちの歌というのは決まっているけれど、一人がステージに立つと芋づる式に大勢の子がステージに上がっていく。だからすぐに窮屈な状態になるけれどもそれでも楽しい。親子で暗くなるまで一緒にいられるという、今までにない環境の変化を十分に楽しんでいるようだ。暑くはない。むしろ肌寒いくらいの陽気だ。

 コロナによって人と人の距離が広がっていってしまって、こんなことで健全な幼児教育ができるのだろうか。私はできるだけ人と人の距離をとらないようにできる限りの幼児教育をしていきたいので、保護者にも協力をしてもらいたい。コロナにかかったらどうするのと言われれば二の句はないけれど、命をとられるというのではすべてを辞めるしかないけれど、負け犬になってはならない。できる限りのことをしなければならない。そう思っている。

 明日は第二の夕涼み会だ。

2022年8月19日金曜日

ハルノートの正体が分かった

  ハルは当時の国務長官で日本に宣戦布告した張本人であるが、大部分の日本人は真珠湾を攻撃したのが日本の米国への挑戦であると信じている。実はハル国務長官が日本の野村・来栖大使に渡した通称ハルノートこそが米国が日本に行った宣戦布告である。それ以前にも米国は義勇軍を使って蒋介石軍に援軍を送っている。隠れて対日戦争をしていた。

 そしてハルノートの文面を考えた男が当時のルーズベルトの側近、現在のIMF国際通貨基金を設立するという輝かしい経歴を持ったハリーホワイトという男。しかし彼は大量の服毒自殺によって終わりを告げることになる。それはベノナ文書というコミンテルンを暴く秘密文書によってあからさまになった。当然ハルもピストル自殺をしている。コミンテルンというのはレーニンが「資本主義同士を戦わせなければならない」と言ったのが世界同時革命の基本であるから、ハルもホワイトも米国の愛国者ではなくソ連のスパイであったから、米国の裏切り者である。何とベノナ文書によると米国政府の中に349名のソ連スパイが紛れ込んでいたという。そのうちの100名が実名で明かされている。日本にも朝日新聞の元記者で尾崎穂積というソ連スパイがいた。「鬼畜米英」などというひどい言葉は尾崎が考案したもので、自分の正体を隠すためのもので巧妙である。米国も日本もソ連のスパイに踊らされていたにすぎない。しかしその仲間たちが日本の占領軍としてGHQに入り込んで、日本の教育改革や憲法を作ったとなると恐ろしくもとんでもない話である。

 日本の政治家は特に政権中枢の自民党に多いけれど、コミンテルンの一派は彼らの秘書を使って徐々に本丸を攻略しようとしている。統一教会は勝共連合などと言って、自民党に入り込んでいるけれどコミンテルンと言われている。林外務大臣は中国のハニートラップにおぼれているとか、マネートラップに遭遇しているのは確かなことだと、巷間うわさが絶えない者を外交のトップにしている総理の神経が分からないし、それを咎める自民党の有志もいない。国民は確認する術がないのだから、国の要職にあるものは反日的噂は自ら払拭する必要があるのは当たり前のことである。

 現在コミンテルンが継承されているのは中国であるから十分に注意しなければならないが、日本の企業は何千と中国に行っている。そのうち追剥にあったようになって、すべての財産を没収されるだろう。彼らが覇権を唱えている間は仲良くなんてできない。日本の安全保障の局長が中国へ行って両国の安定的対話の継続を話してきたという。中国の思う壺である。尖閣列島を脅かすようなことをするなと言ったらどうなのか。台湾問題があるのにこんな時に行ったらだめではないのか。コミンテルンに気を付けなければいつの間にか戦争ということになるぞ。

2022年8月16日火曜日

終戦記念日

  昨日は終戦記念日である。自虐史観に染まった国民は先の大戦が日本の侵略から始まったという米国のプロパガンダの言うとおりに何の疑いもなく日本悪者として受け入れているものが沢山いることだろう。では米国に流れ込んできた欧州各国の人々はどうなのか。大航海時代にアフリカ大陸で人間狩りを行ったのはどこの国の人々なのか。東洋の貧しい国から人さらいをして、奴隷として人身売買をしたのはどこの国の人なのか。多くの一次資料の中から日本からもスペイン・ポルトガルと言った国の人が人さらいをしているではないか。それは他国への侵略と言わないで何というのだろうか。それが中世・近大と続いていた。日本が真珠湾を攻撃したのは1941年12月8日であるが、その年の11月26日に米国国務長官ハルは戦争回避のために努力してきた日本側の態度を踏みにじった。日本側の野村・来栖両大使に対して絶対に受託不可能な要求を突き付けてきたのだ。これがハルノートである。傲慢無礼な日本国に対しての宣戦布告の挑戦状である。戦後GHQによる東京裁判でも明らかになった「ハルノート」について、ある裁判官がそれを読み「戦力を持たない小国であっても受託できるものではない」と呟いたほどのものだ。戦争に突入する前にも日本は、米国の戦力や経済状況や国民の意識などを調査研究をしていたがどれも勝ち戦にはつながらなかった。それでもなお闘わなければならなかった止むにやまれずという松下村塾的な考え方があったのだろう。当時のハワイ艦隊は米国一であったし世界に誇る海軍力であったことは自他ともに認めるものであった。そのような艦隊基地を日本艦隊は1時間余りの攻撃で再起不能にしてしまった。日本の勇気と技術をほめたたえたい。米国はだまし討ちだとか不意打ちだとか言って、「卑怯な日本」を合言葉にして、国民を鼓舞し戦争に挑んだが、それは違う。その半年も前に米国は日本が戦争を仕掛けてくるのはハワイであるから十分に注意するように、という海軍省からの通達を出している。ハワイの将官は信じられなかったのである。私は戦争を美化する気持ちなどさらさらない。闘わざるを得なかった当時の責任者の苦悩と、戦後戦犯として処刑された軍人と民間人に終戦記念日に静かに合掌したいのである。

 この日、終戦日特集なのか街に出てインタビュアーがマイクを持って、若い人たちに「戦争をどう思いますか」とマイクを向けている。亡くなった家族の方に「どんなお気持ちですか」と聞いているようなものだ。戦争を好んでやるものなどいない。いかにすれば戦争を無くすことができるかという疑問を投げて、そこで討論できればよい。

2022年8月12日金曜日

知らなかった

  幼児教育行政は平成27年に「認定こども園」というシステムが出来上がってから、保育者も保護者も幼児教育に関する行政システムに戸惑いながらも随分と様変わりしてしまった。大きく変わってしまったのが「預かり保育」に関する考え方である。保護者は今まで通りというよりは1号2号という振り分けによって預かり時間を選定できる。簡単にいうと1号認定は共働きではない家庭であり、2号認定は共働きの家庭である。3号認定というのもあって、3歳児未満で共働きの幼児を抱えている家庭である。

 なぜこんな複雑に色分けした家庭環境を行政が作ったのかというと、家庭にこもっている母親を外に出して働いてもらいたいという政府のパラダイムシフトparadigmshiftである。本来このような大変革をもたらす事業なら、真に子供のためになるものでなければならないと私は思っている。この制度の預かりに関する考え方に関しては私は納得できない。働く家庭にあっては子どもを長く幼児施設に預かってもらうのは都合のいいことだけれども、長年子どもを見てきたものとしては手放しで喜べないものがある。最初に預かり保育が登場したころには、預かりの子どもたちは得意そうに「今日は預かりなの!」と元気良く保育者や仲間に宣伝していたこともあったけれども、それも慣れっこになってくると誰にも話さなくなる。預かりの子はみんなが一緒に帰るのではなく、各家庭の状況によって変えるから、帰り時間はばらばらである。そうなると最後の頃になると取り残された子どもたちは憔悴しきって言葉にも張りが無くなって、少し可哀そうな気がする。政府としてはGDPも増えることだし働けるものは全員働いた方がいいのだろうけれど、そうではなく家庭の中で親が子どもの帰りを待つようであっても十分に生活ができる政策を考えるべきだろう。ちょっと私の考えは古いのだろうか。

 「預かり保育」が定着してから今まであった夏休みというのが、非常に短くなった。だからと言って労働基準法に違反しているわけではないが、研修する機会が取りにくくなった。プロの仕事人であるからスキルアップは大切なことで、あちこちから研修の誘いが来るけれど、率先してこんなことを知りたいとかいう余裕がなくなってきた。私自身引っ張っていく力が無くなってきたのかもしれない。ところで昨日の「山の日」というのはいつごろ決まって休みになったの?。誰もいないのでびっくりした。

2022年8月9日火曜日

危機

  「今そこにある危機」という映画を観たことがある。これは映画であるから娯楽向きに創られていることは言うまでもない。しかし現実にあるのではないかと身震いしたことがある。我々の知らないところで、彼らは秘密裏に事を進めていく。彼らとは政府関係者とか、武器商人とか多国籍企業とかで、私たちが普段から付き合いのない得体のしれない大企業のことだ。密に戦争を企んでいる企業もある。戦争当事者には正義や道徳などというものはない。だからそんなものを盾に説教しても全くの無駄である。

 ウクライナに侵攻したプーチンを見てみるがいい。彼は鉄仮面の様でどんな感情も受け入れないという無慈悲の様そうである。あの人に道徳はない。平気で人を殺せるのだ。中国は台湾に攻め込まないだろうという希望的観測でもいいけれど、準備は必要だろう。相手はミサイルを撃ち込んでくる。発射したところを的確につかんで応戦できる体制を作らなければならない。憲法が許していないなどと言っていたのでは小田原評定のようになってしまって、気が付いたら周りは焼け野原なんてことになってしまう。

 専制政治というのは国民のために政治を行わない。自分の周りのためにだけ機能するようにしているだけだ。日本は民主政治だから彼らのような国にはならないのが全く持って救いである。しかし自民党が傲り高い政治を行うとすぐさま専制政治になってしまうからよく国民の目で監視をしなければならない。今回の閣僚人事にしても一応は総理一任となっているけれど、留任になった党役員などを見てみると、総理が決めたのではなく麻生さんが決めたのもある。総理は決められない弱い政治家だから、よくよく注意してみていかなければならない。

2022年8月8日月曜日

必ずあると思う

  中国軍の侵攻は必ずあるのか。そう聞かれたら「必ずある」と答えてそれに私たちは備えなければならない。平和を得たければいつでも戦争の準備を怠ってはならない。これは古代ギリシアや古代ローマで言われ続けてきたことだ。ユーラシア大陸の国々の人と私たち島国の民とは考え方が違うけれど、日本人はのんびりしすぎるのではないか。後でだれかのせいにするようなことはやめて、大きな声を出して訴えなければならないだろう。子どもたちの顔を見てどうすればよいのかよく考えなければならない。

2022年8月5日金曜日

中国が攻めてきた

  そんなバカなと思う人もいるだろうけれど、台湾を封鎖してそれと同じことをしているけれど、日本政府は「強く抗議した」と言っている。台湾に近い日本の経済水域で実弾訓練をしていてミサイルも9発飛んできたという。日本の領海とか領土とかいうのではないから静観していてもよいと思うけれど、中国がそのまま台湾に攻め込んだら日本は一体どうするつもりだ。防衛大臣を筆頭に現在の状況や最悪の状況の時の話し合いをしているのだろうな。憲法でとか法律がどうだとか言っている暇はない。その間に沖縄に入り込んだらどうする。沖縄では中国シンパというのがいて沖縄に中国人街を作るというのが沖縄のプロジェクトとしてあるから心配だ。沖縄の左翼は現知事を含めて中国の今回の演習を「一歩間違えれば大変なことになる」と政府に向けて苦言を呈しているような感がある。けれどもそうではないだろう。中国に「危ないからやめろ!」というのが筋だ。もっと面白くないのが広島の平和公園にある「二度と過ちは起こしません」というくだり。あの平和公園ができてから、広島市民はずっと手を合わせてそれを読んでいる。一般市民を犠牲にしてはならないというのが軍人の掟であるのにもかかわらず米国は日本人せん滅を計った。米国人による又は日本人左翼による責任の転嫁である。米国向けに「もうこんなことをしてはいけないよ」と書くべきだろう。

 ウクライナ戦争で著名な日本人いわく。「どうせ勝てっこないのだから白旗を上げてロシアに許してもらった方が良い」。「何の罪もないウクライナ人が殺されてしまうのは忍びないではないか」と言っている。この人は人間にとってもっと大切なものを喪失している。テレビで見た限りの話だが、家も家族も失ってしまったが私はここに残る。と言っていたおばあちゃんがここは私の祖国だからと唇をかみしめていた。

 私の父親はラバウルで終戦を迎えた。私は子ども心に「父ちゃんは人を殺したことがある?」と聞いてみた。父親はありったけの声で「馬鹿者!」と叫んでいた。とっさに大変なことを聞いてしまったと思い、それがトラウマになって二度と戦争の話を自分から聞き出すことができなかった。終戦間近に父親が駐屯していたところへ敵機が飛んできて爆弾を落としていった。その前に厚さ2mもある防空壕を作ってあったので、部下をその中に入れて自分も最後だかどうだかわからないけれど、その防空壕に退避した。そこへ敵の爆弾が直撃したらしく、厚さ2mもある防空壕が貫通してしまったというのを聞いたことがある。父親はそれをづっと抱えながら私が20の時に死んでいった。

 父親は言っていた。米国人は神とともにいるから死を恐れないという。日本人は神がどうのという軍人は誰一人いない。天皇陛下のためにというのもあれは嘘だ。ただ愛する祖国のためにとか、愛する者のために自分が犠牲になることはいとはないと感じていた。そんなことを言っていた。米軍は中国の演習のすぐそばまで行っているだろうが、日本の偵察軍はどうしているのだろうか。

2022年8月3日水曜日

3年生同窓会

  あおば台幼稚園には卒園してから小学校1年生はちょうど5月病と言われる「ちょっとくたびれた」という時期に1年生の集いをやる。3年生の同窓会は、私の話を聞いてくれるのはこの時期までなので3年生の同窓会という形でやっている。そして6年生になると幼稚園の運動会に「お手伝い」としての集まりがある。その時は6年生と昼食を共にする。卒園してから小学生の間に3回の集まりがあるわけだ。子どもたちが率先して幼稚園に集まってきてくれるというわけではなく、わしたちが子どもたちを離さないといった方が正確だろう。

 それでも子どもたちにもそれなりの思い出があって、当時の担任に思いのたけを話してくれる。まず幼稚園に来たら、当時の担任以外の保育者が用意してくれたかき氷を食べる。その時に年長の時の仲間が集まって話し込んだりしている。それがすむと広いホールに集まって園長の話を聞く。コロナの関係で3年振りにやることになったが、その動機というのが何のことはない。夏の計画を作る保育者がいつもの通りに作ってしまって「3年生の同窓会を入れてしまいました」と悪気もなく伝えてきたので、「やってみようか」ということになって、そのあとにコロナ対策を万全にしましょうということになった。

 3年生にもなると園長の話もよく聞いてくれる。かき氷を食べた後なので少しざわついていたけれども話し始めると一斉に私の方を見て体を動かさずにしっかりと聞いてくれる。中にはいちいち頷いてくれる子もいて嬉しくなる。そのあとで各クラスに入って担任と一緒に話をする。そしてゲームをしたりして楽しんで解散となるけれど、これがなかなか帰らない。担任も離したくはないようだ。帰り際に「今度新しい子が来るからここのロッカーの隣を開けといて」と先生が言ったので、「その隣が僕だったのできれいにしておいたら先生が何度も褒めてくれた」。と言った子がいた。胸の中が爆発するような喜びを当時の担任に伝えることができてよかったなと思う。

 遠いところでは仙台から来た子がいた。遠くへ引っ越してしまった子もいるけれどこうしてきてくれるのには感謝しかない。かつて幼稚園の運動会の時に、九州四国から来てくれた子がいた。その時は6年生になっているから、親同士も知り合いで連絡しあって泊りがけで来たようだ。何をかいわんやで胸が詰まる。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...