2022年8月3日水曜日

3年生同窓会

  あおば台幼稚園には卒園してから小学校1年生はちょうど5月病と言われる「ちょっとくたびれた」という時期に1年生の集いをやる。3年生の同窓会は、私の話を聞いてくれるのはこの時期までなので3年生の同窓会という形でやっている。そして6年生になると幼稚園の運動会に「お手伝い」としての集まりがある。その時は6年生と昼食を共にする。卒園してから小学生の間に3回の集まりがあるわけだ。子どもたちが率先して幼稚園に集まってきてくれるというわけではなく、わしたちが子どもたちを離さないといった方が正確だろう。

 それでも子どもたちにもそれなりの思い出があって、当時の担任に思いのたけを話してくれる。まず幼稚園に来たら、当時の担任以外の保育者が用意してくれたかき氷を食べる。その時に年長の時の仲間が集まって話し込んだりしている。それがすむと広いホールに集まって園長の話を聞く。コロナの関係で3年振りにやることになったが、その動機というのが何のことはない。夏の計画を作る保育者がいつもの通りに作ってしまって「3年生の同窓会を入れてしまいました」と悪気もなく伝えてきたので、「やってみようか」ということになって、そのあとにコロナ対策を万全にしましょうということになった。

 3年生にもなると園長の話もよく聞いてくれる。かき氷を食べた後なので少しざわついていたけれども話し始めると一斉に私の方を見て体を動かさずにしっかりと聞いてくれる。中にはいちいち頷いてくれる子もいて嬉しくなる。そのあとで各クラスに入って担任と一緒に話をする。そしてゲームをしたりして楽しんで解散となるけれど、これがなかなか帰らない。担任も離したくはないようだ。帰り際に「今度新しい子が来るからここのロッカーの隣を開けといて」と先生が言ったので、「その隣が僕だったのできれいにしておいたら先生が何度も褒めてくれた」。と言った子がいた。胸の中が爆発するような喜びを当時の担任に伝えることができてよかったなと思う。

 遠いところでは仙台から来た子がいた。遠くへ引っ越してしまった子もいるけれどこうしてきてくれるのには感謝しかない。かつて幼稚園の運動会の時に、九州四国から来てくれた子がいた。その時は6年生になっているから、親同士も知り合いで連絡しあって泊りがけで来たようだ。何をかいわんやで胸が詰まる。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...