2022年3月31日木曜日

春はもうすぐそこ

  教員たちは忙しい時間を過ごしている。3月4月は特に忙しいのではないか。私は教務の仕事というのがないから、それほど忙しさは感じないけれど、現場にいる教員は猫の手も借りたいくらいだろう。現場に来て見ていると、その忙しさがわかる。しかしそれも、子どもたちが3月の休みを終えてまた自分たちの部屋に戻ってくる楽しみや喜びがあるから、忙しさも気持ちが浮きだった喜びになって自分の意識の中に戻ってくる。いつも私は長い休みに入ると、園舎や校舎はただの倉庫でしかない。子どもたちがいてこそ幼稚園になったり学校になったりする。もったいない無用の倉庫が子どもたちによって生き返らせてもらえるのだ。待ち遠しい日がすぐそこまで来ている。幼稚園は子どもたちがギャーギャーと騒いでいればそれだけで幼稚園として生き返る。小学校では、あの大きな桜の木の下でみんなで写真をとったり、お弁当を食べたりしよう。ツリーハウスを作ってくれた保護者の皆さんに大感謝だ。

 ウクライナの件ではだれもがロシアの身勝手な一方的な攻撃で、だれが何といおうとロシアに非があるというだろう。私も最初のころはそう感じていたけれども、案外どっちもどっちでクリミアでは白系ロシア人がウクライナのネオナチのアゾク大隊とかドンパス大隊という白人至上主義の強者どもが殺戮を行っていたらしい。今ではウクライナの人々のお墓が沢山あるらしいけれども、同じところにウクライナ人の殺戮にあった白系ロシア人のお墓がいたるところにあるという。ウクライナの軍隊は強いらしく、キエフを落とせないのはロシア軍の士気の弱さにあって、戦いはウクライナ兵の方が勝つのではないかまで言われている。またロシアの銀行を停止したとあるが、数ある銀行の中で2行だけは営業を停止しないで海外の銀行ともつながっている。それはドイツの国内の燃料となるガスの決済のためにその銀行は生きているわけだが、経済封鎖したと言っても抜け穴は沢山あって何をやっているのか凡人には理解できないことがありすぎる。

 言えることは、今回のロシアの侵攻で、はっきりとした国連の無用の長物を、今後どのように解体していくのかが問題だ。それと国と国との条約もいとも簡単に破棄されてしまうという現実、約束事も平気で反故にして無差別の人殺しをする。そんな社会はどうしてできるのだ。大和民族には縄文の昔から自ら進んで戦争はしない。第二次世界戦争(日本では大東亜戦争)もよくよく文献を調べてみると、米国で大統領以下戦争を創り出した人がいる。東京裁判では日本側に裏切り者がいて、(名前は明らかになっている)日本にあった偉人伝の本はすべて焚書となった。偉人の話ができなくなったのだ。そして日本人は蛮族だということを吹き込んだのだ。現代では沖縄にある米国の兵隊が好き放題していて、それらを日本政府が隠し通していた。何年もの間の米国の兵隊の悪事を公表してこなかったばかりかそれらの資料を紛失してしまったとうそぶいている。それが日本政府だ。これからどうすればいい?。

2022年3月20日日曜日

卒園式が終わった

  学校法人塚原学園の卒業式あるいは卒園式が無事に終わった。初等中等学部の卒業式には参加はしたけれどただ座っているだけだったから現象を見ているだけだった。とわいえたまに子どもたちには会いに行って話を交わしたことはある。普段から屈託のない笑顔で迎えてくれる子どもたちだったから、卒業式もそのまま平行移動して心豊かなものであった。少ない教師の数、少ない生徒の数で精いっぱいの心を込めて式が展開されて行った。教師の努力に改めて心から感謝したい。派手さわなくひっそりと一生懸命やっている学校だが、小学校という言ってみれば発達段階の中で特に大切な時代を子育ての質で勝負したい。来年度から私が校長として子どもたちと関わっていく。

 幼稚園の卒園式は私が卒園証書を手渡す。だから私の正面にきて子どもたちは私からの証書を受け取る。私の前に来ると、きりっとした目で私を見る。何と純粋な透き通った眼なのか。すべての子どもたちのそういった目に出会うことになるが、私は何度もひるんでしまう。途中で名前を読むときにたじろいでしまう時がある。「卒園おめでとう」なんて言うけれど、こんな寂しいことってあるか。それが通常の社交辞令だから自然にそう言ってしまうけれども、本当のところはそうではなくて、何かほかに言うことがあるはずだ。何か物足りないので、あれやこれやと考えるけれど出てこない。哲学的に考えるとどうなのか。話す機会があったら東大教授だった哲学の権威一ノ瀬先生に聞いてみよう。 

 いよいよ「ありがとうの会」が終わりに近づいて、ステ-ジの上に並んでいる保育者がフロアーに降りてくると卒園児が二列に並んで私たちを待っている。その間を「さよなら」「元気でいてね」とか言いながら歩いて職員室に入るのだけど、私たちがフロアーに降りた瞬間から、涙をいっぱい溜めている子とか、泣いている子がいる。感じる感性の強い子が沢山いる。両園ともに素晴らしい卒園式であった。こんなことを私は二日も続けてやったのだから、身も心もクタクタだ。ありがとう子どもたち、ありがとう保護者の皆さん、ありがとう教職員の皆さん。

2022年3月18日金曜日

卒業式のシーズン

 初等中等学部の卒業式は終わった。青葉台は人数が少ない。けれども卒業式はとても良かった。教師たちの子どもへの思い入れが溢れているような心に響く卒業式であった。古くからいる一人の女性教師が言っていた。中学生でもこんなに素直な子供らしい子どもは青葉台だけではないか――と。私もそう思う。卒業時に私にまでコメントをくれる中学生なんかいない。私は理事長としか初等中等学部にはいかないから、それほど子どもたちとのかかわりはない。にもかかわらず相手にしてくれたのにはうれしかった。幼稚園から中学校卒業まで何と12年間私と一緒にいるなんて、ありがたくて涙が出てくる。幼稚園の3歳児からいる子だから、まだ頭が重くて駆け足なんか斜めに走っているときだ。ご両親が良く私を見捨てずにそばにいてくれたことに心から感謝したい。いろんなことがあったから喜びもひとしおである。

 幼稚園では明日が第二でその次があおば台の卒園式である。幼稚園にはしょっちゅう行っていたから子どもたちの顔も名前も一致する。特に卒園間近な年長さんたちとは立派な年長の賞状のやり取りなどしていたから、付き合いも深い。外で年長の遊びをじっと目で追いながら時間を過ごしていると、卒園する女の子から色紙の裏に書いた手紙をもらった。「えんちょうせんせいだいすき いちねんせいになってもわすれないよ」とかいうのを2通ももらった。今年もコロナ禍で思うような保育ができなくて、子どもたちには大変申し訳なく思っているけれど、あっという間に卒園だ。悔しくても時は無常に流れて行ってしまう。寂しいのと悔しいのとこもごもだ。元気で楽しい人生を送ってほしい。 

2022年3月10日木曜日

もうそろそろ卒園式

  幼稚園が終わって帰りのバスが出た頃に4人の年長の女の子が園長室に遊びに来た。何をするのが目的でという事もなく、ただ部屋に遊びに来て、あるものを物色していて、あれやこれやと問いただす。まったく仕事ができない。それで何も聞かないで煩くしないという約束をしたけれども、すぐにそんなことはお構いなしだ。テーブルの上にあった小学校の教科書を見つけて「これは何?」と聞き、次にまた「これは何?」聞いてくる。6年生の算数の教科書だから、しかも比例のところで四則計算ができないと理解することはできないのに、何度も聞いてくるので「明日小学校から1年生の本を借りてくるから、明日また来てください」と言って分かってもらった。でも明日はこないだろう。可愛い顔してしつこいのだから。そうはいっても離れたくないな。

 ウクライナのことをしばらくフォーカスしているけれど、ロシアと中国は今は蜜月状態だから、この様子を見て中国が台湾に入るというのも考えられる。平和な日本だからそんなことはあるまいと思っていると、尖閣や沖縄に手を伸ばしてくるのが必然で、それが大国の横暴なのだ。中国は現にフィリピンのすぐ隣に埋め立てをして軍事基地を造成してしまったではないか。しかも国際法違反だと無力な国が騒いでいるけれども、当の中国は馬耳東風で一向に気にしていない。それがまかり通っているではないか。今ロシアを止められるのはNATOか米国なのに、ロシアに核を使うと言って恫喝させられて、手も足も出せなければ、核を持っている国が戦おうとしなければ収まらない。この騒ぎが収まった後はどうなるのだ。ウクライナはロシアのいけにえになるだけか。国際法なんて当てにならないし、覚書や同盟なんて言うのも当てにならない。ロシアは平和な国だったウクライナを踏みにじっている。台湾に中国が入ったら米国はどうするのか、日本はどうするのか。よく考えておかなければならないことだろう。

 私は父親がこっそり持ち帰ってきた日本刀を持っていたので、見たり触ったりしたことはあるが、振り回したりしたことはない。もっとも小さいころだから重くて持てなかった。ライフルもピストルも触ったことがない。だからトリガーを引くなんてことなどできない。自衛隊の経験者にしか中国が入ってきたら立ち向かえないのではないか。これは考え過ぎではない。子どもの前に出て手を広げて中国の兵隊を止めることができるのか。私は戦えない。だから政治が意気地ないと困るのだ。しっかりとした準備が必要なのに、日本の経済人は中国へ出て行って、仮想敵国の懐を温めているではないか。何ということだ!。今回の岸田政権の姿勢では、イラクがクエートに入っていった時の湾岸戦争の時ような無様な日本の姿になる。

 私が一人吠え続けたってなにも変わりはしないだろうけれども、この惨劇を黙ってみていられないのだ。愚痴に近いけれども私は吠え続ける。

2022年3月8日火曜日

大国の身勝手

  大国というのは国連の安全保障に関する常任理事国で5か国である。この5か国は国連決議を拒否する拒否権というのを持っている。しかしこの5か国の間でいつでも拒否権というのを持ち出しているけれど、守られたことはない。イラク侵攻の時にはロシア、中国、フランスが反対。賛成は英国と米国でイラクの核をつぶしに行くと言いながら何も出てこなかった。今のロシアも世界を相手に平気で嘘をついている。これが世界の政治なのだ。国連を主体に世界が回っているということはないのに、常に日本の政治家は国連を口に出す。主体性がないのだ。それならば何を信じて政治家は国際政治にかかわっていけばいいのか。それなりに力のない国は簡単につぶされてしまうのだ。悔しいけれどそれが現実だ。

 ウクライナとロシアには米国と英国が中に入ってミンスク合意というのがあった。それはどのようなものかというと、親ロシア派が多いクリミア半島についてウクライナが自治を認めるということらしい。ところがそれをウクライナが反故にしたということで、突如ロシア艦隊がクリミア半島を囲んで、クリミア半島を自分の領土にしてしまったのだ。2014年ごろのころだ。ウクライナはそれ以前社会主義が崩壊しソビエトから離れて独立したときには、核弾頭を少なくとも1500発も持っていて世界第3位の軍事国家になったが、米国ロシア、英国の説得によって核を放棄しその代わりウクライナはロシアや英国や米国が守るという約束であった。しかし現実はどうか。米国や英国が隣でギャギャーと騒いでいるけれども軍隊を出してウクライナを守らないではないか。どこか日本と似ていないか。日本はすぐにお金を出すというのが国際的に定着しているので、オリンピックでもバッハ会長がしょっちゅう日本に来ていた。あれはたかりの構図であった。隣の韓国もロシアも米国もみんなたかりである。米国が日本を守ると言っているが本当なのか。米国は日本と戦ってあんな強い国と二度と戦いたくはないと、3年8カ月の大東亜戦争であったにもかかわらず日本国民の意識の転換を図って7年も日本に居座り続けて、国民の骨の髄までしゃぶっていったではないか。そんな国が日本を守るとは思えない。日本に基地を置いて不平等協定を無理押ししている米国について、真の兄貴分とはどうしても思えない。では日本の将来はどうなってしまうのか。子供たちの将来を考えるとこのままでは絶対にダメだろう。目先の幸せだけを求めていたら日本は不幸になる。子どもたちを危険に晒してはだめだ。

 沖縄の知事までやっていた翁長さんは中国と結託して、沖縄を中国風にしようとした。中国へ行ってハニートラップだかマネートラップに陥ってしまったのだろう。自民党にいてあれだけ簡単にひっくり返るなんて普通の沙汰ではない。そうなると中国は沖縄も狙っているということだから、かなりの人が沖縄にプロパガンダとして定着している人がいる。基地問題をうまく利用してくるかもしれない。日本のマスコミは芸能人のスキャンダルばかり多く流しているけれど、そんな悠長なことではだめではないか。社会の明るい話題と国を守る強い意識を持ってやってほしい。

2022年3月4日金曜日

立派な年長

  あおば台では恒例の年長最後の園長との対話「立派な年長」のセレモニーが終了した。第二はコロナ陽性者が出たというので普通通りの保育時間が持てなくなったので、コロナが収まってからということにした。

 毎年この時間は楽しい時間だ。今年も例年にもれず楽しい時間であった。特に子供たちの仲間を思う細やかな優しさには言葉を失ってしまう。私の前にきて賞状をもらう仲間の良いところを発表してもらうのだが、普段おしゃべりをしていても園長室にきて話をするのとは少し違うようで、大部分の子が緊張してしまって、中には言葉が出なくなってしまう子もいる。その反対にとても少数だが、この時とばかりに堰を切ったようにしゃべりだす子もいる。緊張して話ができなくなってしまった子にグループの女の子が近寄って行って「運動会の話があるよ」と声かけてやるが、なんとも無視されてしまってどうしていいものやら困ってしまって、同じようにその場でたたずんでしまう。無言のままで園長室の空気は流れていく。しばらくして私が「1回みんなで外へ出て話し合ったら」と言ったら5人の仲間が口をそろえて「ダメ―ッ!」と言う。みんなで力を合わせて何としても全員が同じように賞状をもらうという覚悟ができているようで、言葉にも気迫がこもっている。私も言葉を失うが、子どもたちは話ができなくなってしまった子の言葉を拾い集め「○○君は足が速いです」と言っています。と私に言ってくる。私にはまったくそのようには聞き取れなかったが、「そうか、それはすごい!」と言って5人の仲間と一緒に満足した。子どもたちの仲間を思いやる心はとても真摯なのだ。子どものやさしさには涙が出てくる。

 10日には一ノ瀬正樹東大名誉教授による「小学校って何するところ?」のオンラインによる講演会があります。私は先日幼稚園で受講させていただきましたが、この歳になって東大の教授による講演を聴講できるなんて夢にも思わなかったことだから、ぜひとも何度でもお聞きしたいと思っております。対面で受講できたことは感激です。心理や経済といったところの大学の先生の話はよく聞いたことはありますが、哲学となるといろいろな視点をもっていらした先生で感じ方が面白くて楽しいです。コロナがひと段落したら学園全体でご講演をお願いしたいと思います。

2022年3月1日火曜日

私のカリキュラム構想

  一日の生活の中に核になるファミリアという生活主体があって、そのファミリアというのは子どもたちが選んだ子供たちのやりたい活動の小集団を言う。その周りを教科学習で囲んでいく。初等学部は教育基本法第1条の学校であるので、フリースクールのようなことはできないので、最小限決められた教科学習の時数を消化していかなくてはなりません。これは必須であります。折も折、教育委員会から保幼小の連携プログラムやスタートカリキュラムが送られてきた。これを見ると確かにみんな一律で、こんな教え方しかないのかと首をかしげたくなる。しかしそれならどのようなカリキュラムが良いのかと深く考えてみると、でこぼこな能力を無理に一律にするというところに問題があるなら、自然な形でそれぞれにもてる能力を自然な形で伸ばして上げられたらいいのではないか。大体の子は「あいうえお」も読めるし書ける。算数も一桁の加減算はできる。できる子は「またやるのかよ」ということになってその時間がもったいない。しかし子どもたちはもったいないなどとは思わないで言われるままに従う。なんでも「よく聞いていなさい」という魔術にかかっているから従順である。これを何とか打ち砕いていこうというのが初等学部の大きな根っこにあるわけだ。

 今日は年長さんの小学校との交流があるので小学校へ行ってきた。あの広い校庭の片隅で食事のためのシートを敷いて、隣にある大きな桜の木の下で食事をした。どの子の顔もニコニコとしていて見ていて清々しい。授業も参観してきたけれど、だれ一人としてふらついている子はいない。みんな一生懸命なのだ。ここで子どもたちの特異な能力を引き出してあげるのにはどうしたらいいのだろうか。どんな刺激を与えればいいのか、子どもたちを見ているとにわかにやる気がわいてくる。とにかく子供たちの質が良いから大切に育ててやらないと可哀そうだ。

 今日の読売に「人はみな心の中に裁判官を持っている。それは良心という、、、」ということをロシアの文豪トルストイが言ったそうだ。「核攻撃できる配備を済ませた」などと悪魔のようなことを言っている。そのロシアのプーチンは自分の味方になる陪審員をそろえて剛腕を振るって無罪を勝ち取る腹でいるらしいが、陪審員の多くは他国にいるようでうまくはいかないだろう。鉄仮面の下の顔は冷酷無比な顔をのぞかせている。こんな人が世界の強国のリーダーになっていたのではだめだ。

 あおば台関連でコロナ陽性者が出た。卒園式までにまだやらなければならないことがある。悔しいけれど何とかならないものか。ウクライナと同じくらい私も苦しい。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...