2022年3月1日火曜日

私のカリキュラム構想

  一日の生活の中に核になるファミリアという生活主体があって、そのファミリアというのは子どもたちが選んだ子供たちのやりたい活動の小集団を言う。その周りを教科学習で囲んでいく。初等学部は教育基本法第1条の学校であるので、フリースクールのようなことはできないので、最小限決められた教科学習の時数を消化していかなくてはなりません。これは必須であります。折も折、教育委員会から保幼小の連携プログラムやスタートカリキュラムが送られてきた。これを見ると確かにみんな一律で、こんな教え方しかないのかと首をかしげたくなる。しかしそれならどのようなカリキュラムが良いのかと深く考えてみると、でこぼこな能力を無理に一律にするというところに問題があるなら、自然な形でそれぞれにもてる能力を自然な形で伸ばして上げられたらいいのではないか。大体の子は「あいうえお」も読めるし書ける。算数も一桁の加減算はできる。できる子は「またやるのかよ」ということになってその時間がもったいない。しかし子どもたちはもったいないなどとは思わないで言われるままに従う。なんでも「よく聞いていなさい」という魔術にかかっているから従順である。これを何とか打ち砕いていこうというのが初等学部の大きな根っこにあるわけだ。

 今日は年長さんの小学校との交流があるので小学校へ行ってきた。あの広い校庭の片隅で食事のためのシートを敷いて、隣にある大きな桜の木の下で食事をした。どの子の顔もニコニコとしていて見ていて清々しい。授業も参観してきたけれど、だれ一人としてふらついている子はいない。みんな一生懸命なのだ。ここで子どもたちの特異な能力を引き出してあげるのにはどうしたらいいのだろうか。どんな刺激を与えればいいのか、子どもたちを見ているとにわかにやる気がわいてくる。とにかく子供たちの質が良いから大切に育ててやらないと可哀そうだ。

 今日の読売に「人はみな心の中に裁判官を持っている。それは良心という、、、」ということをロシアの文豪トルストイが言ったそうだ。「核攻撃できる配備を済ませた」などと悪魔のようなことを言っている。そのロシアのプーチンは自分の味方になる陪審員をそろえて剛腕を振るって無罪を勝ち取る腹でいるらしいが、陪審員の多くは他国にいるようでうまくはいかないだろう。鉄仮面の下の顔は冷酷無比な顔をのぞかせている。こんな人が世界の強国のリーダーになっていたのではだめだ。

 あおば台関連でコロナ陽性者が出た。卒園式までにまだやらなければならないことがある。悔しいけれど何とかならないものか。ウクライナと同じくらい私も苦しい。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...