2021年1月29日金曜日

誇りを持つⅡ

  民主党政権の時、尖閣列島に中国船が現れて日本の領海に入ってきても日本は何もすることができなかった。日本の海上自衛隊は姿を見せてはならないと政府からのお達しがあったのだ。こんな政府であの近くの漁民たちの生活を守ることはできないだろう。それでは今はどうなっているのだろうか。自衛艦は出ていかないが海上保安庁の巡視船が巡回して取り締まっている。ただし機関銃を向けられながら、日本の巡視船は放水銃で高度な水鉄砲が武器である。これでは就職する人がいなくても当たり前の話だ。日本政府は日本国民を守れない。

 そんなことに憤っていても何も進まないし何も解決しない。ただ前出の政府高官は戦後GHQに受けた日本国民の屈辱や深い悲しみを理解してはいない。というより日本国民として誇りを持っていない。この国をどうしたいのか、この国を愛していないのと問いたい。戦後民主主義などとあたかも日本には軍国主義ばかりで民主主義がなかったような口ぶりだが、その当時民主主義がアメリカにあったのか、フランスには、イギリスにはどうだったのか。いや彼らの国こそ民主主義はなかった。彼らの国の歴史を見てみればよい。彼らはアフリカへ行って人間狩りをし、人身売買をして国を豊かにしていった国だ。そのことから帝国主義という言葉が生まれたのではなかったか。

 第一次世界大戦の終結の時にパリ講和会議とかパリ条約が結ばれたが、日本も戦勝国としてそこに列席し、人種差別はやめようと提案したのは日本だった。会議に出たヨーロッパ諸国やアメリカは首を縦に振らなかったのだ。そんな野蛮な国に大東亜戦争で日本は破れてしまった。その主たる国アメリカによって日本が統治されたのは不幸中の不幸である。アメリカの検閲や言論の統制はすさまじく、今なおその後遺症が残っている。それは日本が二度と立ち上がれないようにするためのGHQの綿密に練られた政策であった。

  この大戦によってヨーロッパの帝国主義並びにアメリカは多くの植民地を失い、経済的にも疲弊していった。だから「憎き日本め」と思っていたからこそ東京裁判では「私たちはあなたたちに罰を与えてきたのだ」などと平気で口走る傲慢な裁判官もいた。そんな中で開かれた裁判に正義などあるはずもない。あの裁判で刑を受けた多くの日本人こそ真の愛国者である。なのにA級だのB級だのと犯罪者にしてしまう日本人に怒りを覚える。

 

2021年1月28日木曜日

誇りを持つ

 それぞれにみんな自意識を持っている。自意識過剰だと言われたりもする。その自意識こそが自尊感情であり誇りというものであろう。その誇りの根源となるのが自分の生い立ちとか家族史だったり、日本の先人の生きざまだったりする。自分の家族に誇りを持てないとか言う人もたまにはいたりする。それは不幸なことだがそんなことにいつまでもかかわりあってはいられない。自意識はいろいろな形でそれぞれが持つことであるけれど、どんな人にだって不満を持たないで生きてきた人はいないだろう。多かれ少なかれ不満を持っている。だから早めにそんな負の遺産は消化して、そうではない希望をもって生きた方が人生は得だ。

 誇りは素晴らしい祖国の歴史を知って生まれることが多々ある。日本の歴史はこの地球上で首都を一千年以上移動しないで持ち続けたのは4か国しかない。パリ・ローマ・イスタンブールに京都である。そして営々と文化的な所産も積み重ねている。中国は5千年の歴史というけれど、国としてできてはいない。中華人民共和国として独立したのは1949年だ。その時に台湾は含まれていたかというと含まれてはいない。台湾は中華民国である。蒋介石が共産党に敗れて逃げ帰ったのが台湾政府ということだ。韓国は日本が併合するまでは、清国・ロシア・日本の軍隊が入り込んでいて国の体をなしてはいなかった。それでも挑戦という国はあったらしいが、地目でいえば雑種地みたいなところ。当時はアメリカがフィリピンでスペインと戦っていて極東には目を向けることができなかったので、アメリカは日本に朝鮮の併合をお願いしていた。そのあとでアメリカが入ってくる魂胆であったのだろうが。地球上でも最貧民国であったから日本でも朝鮮併合には慎重だったらしく、犬養などは最も反対していたが、南下政策をとっているロシア陸軍との緩衝地帯になるということでしぶしぶ承知したという話もある。後に満州国という日本の傀儡国家を立ち上げたのもそのような理由からだと聞いている。

 アメリカは日本との戦いに参戦したころには、日本の10倍以上のGDPであった。そう考えてみると4年もの長い間良く日本は戦ったものだ。アメリカは日本に勝つには勝ったが、日本人の強さを身にしみて感じたようで、二度とこの国がアメリカに立ち向かうようなことはあってはならないと占領政策には、日本人の魂を抹殺することから始めた。まずマスコミにはプレスコードというものを押し付けた。それは日本の悪口はいくら書いても構わないが、占領軍の悪口は書いてはいけないというものだ。そのようなことが普段の生活に溶け込んでいくと、自虐的な国民が出来上がってしまう。そして占領軍は清廉潔白で正義の申し子みたいな風に映し出されてしまう。民家に押し込んで強盗などしても訴えることはできなかったのだ。そんな進駐軍が作った憲法や教科書で戦後の子どもたちは育ったのだ。それが今もなお続いている。情けないではないか。日本人としての誇りを奪い去ったのだ。

2021年1月25日月曜日

正しい日本の歴史

                                            私たちは大東亜戦争後に生まれてきて、あの戦争はどのようにして起きたのかも知らないし、戦後の日本の処理の仕方もわかっていない。歴史だから何年に何があったなどの事柄がわかっていれば、それだけで歴史を学んだことにはならないだろう。事柄の背景やエピソードなどがふんだんに知らしめることで、造詣が深くなる。そのような歴史の学びをしたいものだ。しかも薄っぺらなうわべだけのものではない、深層に眠っている真実を教えていただきたいものだ。戦後GHQに占領された日本は、日本国民の性格までもゆがめられて宣伝されてしまっているような気がしてならない。私は欧米人や、東南アジアの人々が日本国民を侮辱するような言葉を何度となく聞いたことがあるけれど納得がいかない。いつの間にか愛国心という言葉が死語になってしまった。日本人を大好きだとか、日本は素晴らしい国だなどというと「あなたは右翼か」と言われる。普通に「あなたがあなたの祖国を愛しているように、私は私の祖国を愛している」ということが自然にできない。

 これは戦後教育の刷り込みによって国を愛せない国民を作ってしまったのだ。GHQは日本を恐れ、二度と日本が自分たちに歯向かわせないように、日本人の魂を抜き取るにはどうしたらよいかということを占領政策の第一に挙げている。その結果が憲法制定である。GHQが主体になって憲法草案を作ったにもかかわらず、ときの日本政府要人を招いて「これはあなたたちの意思でできた憲法だ」ということを納得させてしまう。これは戦勝国のルール違反である。日本人は負けたのだから往生際の悪いふるまいはしないという暗黙の了解があって、GHQの言いなりになってしまった。日本人の美徳でもあるけれど、そのような日本人の精神を理解できるようなGHQではなかった。

 色々な書物を読んでかなり後から知ったことだけれども、大東亜戦争もGHQによって第二次世界大戦という名称に変えられてしまった。アジアの国々はタイ国と日本を除いては殆どの国が米国や欧州の植民地か属国となっていたのを、横暴な大国に向かってアジアを解放しようと叫んだのが「大東亜」戦争となったのだ。日本はポツダム宣言を受け入れて終戦を迎えたけれども、日本国民が負けたのではなく日本軍が負けたのだ。どこの戦争でも非戦闘員の国民を犠牲にすることはないのに、連合軍は非戦闘員を二発の原子爆弾で30万人も瞬時に殺戮した。フィリピン戦線での日本軍の悪行をこれでもかというほどに吹聴して、いかにも悪魔のような日本軍であるがごとくを宣伝したけれど、武士道の精神の日本人がそんなはずはあるまいと思っていたら、そのような宣伝はすべて米国の軍事費から出ていた。東南アジアの島へ行っても国へ行っても「日本の軍人さんにお世話になった」という話をよく聞く。同じように負けたドイツやイタリアは、日本のように国民の精神までも奪われてはいない。なぜなのか原爆を試しに落としてみたのも日本だが、彼ら白人の国家は「優性人種である白人がイエロウモンキーに負けるはずがない」。彼らの人種差別は根が深いのだ。宇宙人にでも痛めつけられないと目が覚めない。

2021年1月15日金曜日

幼小交流

  幼小交流で幼稚園の年長さんが初等学部へ行って小学生と交流してきた。小学校の低学年の子どもたちがミュージカルのような劇を見せてくれた。とても歌が上手だったと幼稚園の子どもたちが驚いていた。ここの歌の指導をしてくれる先生は、ドイツへ留学していた人で、若いころはヨーロッパを歌姫としてならした人だから、歌の指導にはそれなりのプロとしての自負心もある方だ。私にはとてもまねのできない声の出し方をするし、もとより声の質が違うこともあるけれども到底追いつけない人だ。

 食事の時間が来ると小学生は親子丼、あおば台はおにぎりのお弁当、第二は給食を先生方に運んでもらったカレーである。三者三様の食事であったが小学校や幼稚園からフリーの先生が手伝いに来て混乱もなく楽しく食事ができた。予め小学生を交えたグループを作って食事についたので、子どもたちもにこやかに時間を楽しく過ごせた。小学校の先生たちにとっては、普段とは違った大人数であったので戸惑いもあったのではないかと思うけれども、てきぱきと動いていた。今回はうまく動けたので、食事後の時間に余裕があったので、校庭で遊ぶ時間が多かったような気がする。伸び伸びとあちこちに広がっている幼稚園の子どもたちと、それをやさしく見守っている小学生の姿がとても印象的であった。

 幼稚園では、3学期の活動の大きな一つである劇遊びの導入などで、忙しく動いているけれども、コロナが一向に収まりそうにないことが心配である。政府のコロナ対策は失敗したのであろう。そんなことを言ったら内閣総辞職か解散になってしまうから、なにもそれには触れようとしないけれども国民はそう思っている。安倍前総理の「重く受け止めている」とか「遺憾に思っている」などの嘘八百には全く聞き飽きているので、菅総理には決してそのような言葉を使わなくてもよい政治をやってもらいたい。今回のコロナではだれが総理をやってもうまくいかなかったろうから、だれかを責めることはしないけれども事後処理を誤ると国民は爆発する。そんな気がする。


2021年1月5日火曜日

明けましておめでとうございます

  コロナ一色だった20年が明けて本当におめでたいという年にしたいものだ。ワクチンは早ければ2月中には国民の手に届くというようなことを総理が話していたけれども、確定ではないから何とも言いようがない。一日も早くワクチンを打ってコロナ前の生活に戻りたいものだ。考えてみれば一昨年の12月には国際線の飛行機は自粛されていて、思うような観光地へは行けなかった。だからその時にはすでにコロナに対する注意が出ていたのだが、なんと長い間我々は自粛を強いられてきたものだ。と言ってはいけないのだろう。自分たちのことだからだれの責任でもない。コロナを出した国の無責任さに腹が立つ。

 変異種のコロナが猛威を振るっていて、英国では8日から英国全土で非常事態宣言が出される。イタリアやフランスなども遅かれ早かれそのようになるのだろう。どちらの国もこれといった産業もなくかつてのレガシーで国が成り立っているから大変な状況だろう。日本の国も都心部の一都三県に非常事態宣言が出されそうな雰囲気になってきた。野党などは遅きに失すると言っているが、ではどうすればよかったのか。ずっと非常事態宣言を継続して中小企業や零細企業、もっと言えば飲食業や旅館組合などの倒産を速めた方が良いのか。ギリギリのところで経済を回していかなければならない難しい舵取りである。このような状況をチャンスにして頑張っていこうなどのスローガンは聞き飽きたろうし、言われなくても経営者はとっくに分かっていることだ。傷口に塩を塗るようなことはやめて、このような国難に遭遇したら今こそ素晴らしい提案をしたらいかがかと思う。

 日本の国にはいろいろな分野で何とか諮問会議というのがあって、政治家ではなくその諮問会議のメンバーが国政を動かしている。だから日本の政治家は軽い。日本の経済を動かす財政諮問会議のメンバーには東大教授とか名の知れた経済学者が名を連ねている。彼らが言うには日本の財政はGDPの140%を超える債務は危機的な状況であると。専門的なそのエビデンスはよくわからないけれど、20年以上も言い続けているようだ。政府は何とか債務を減らすために緊縮財政をとってきた。しかし今はどうだろう。事実上の破綻としていた140%を超え240%である。いい放しの諮問会議に反論もなくまた言った人たちは反省もなく今の政府がある。こんなもので日本はうまくいくのか不思議だ。高橋是清のような人は出てこないだろうな。

 幼稚園は7日から始まる。小学校は8日からだ。みんな元気に出て来いよ。大人たちはコロナで疲れてしまっているけれど、みんなは未来に向かって力強く大地を踏み出そう!。幼稚園や学校の子どもたちは心配はいらないけれど、心配なのは大人たちだ。油断大敵でよろしくお願いしますよ。今年は素晴らしい年にみんなで力を合わせましょう!。

生命力

  どろんこの中で体を横たえてけらけらと笑っている。何がおかしいのか、何が楽しいのかなんだかわからないけれど、腹を抱えて笑っている子もいる。泥の中からむっくりと起き上がって、子ども同士は顔を見合わせて笑っている。肩を震わせて笑っているから、きっと何か楽しいことを見つけたのかもしれ...