2021年4月27日火曜日

息もつかずに

  息もつかずに走りすぎた。だからと言ってゆっくりと休もうという気持ちにはなれない。ゆっくり休むということがどのようなことを言うのかわからない。休むというよりは転機となった今までの足跡を反省を交えながらゆっくりと検証していってみたい。ちょっと待てよ、そんな時間はないので思いついたことを書いてみよう。

「徒然草」を書いた吉田兼好は心に留まった日常の出来事を書き留めたものが徒然草になったらしい。徒然なるがままに書いたのだろう。彼の場合は日本で初のジャーナリストとも言われているから、その文筆の鮮やかさは凡人の比ではないだろうな。

 ともあれコロナワクチンの分配が遅すぎる。ワクチンの入手だうまく行かないのを見越して大臣を河野太郎に押し付けたのではないだろうけれど、うがった見方もしたくなる。なんといっても責任を取る人の顔が見えないから。インドの新型が猛威を振るっているけれども日本では要注意株に指定されていない。1日に何万人も死んでいるのに日本では水際対策をしているというだけで指定していない。人が死ぬというのに決断をして指示を出せる責任を取る人がいないのか。大臣が指定すればそれに従うのに、進言する勇気のある者もいないのか。このところ官僚が嘘を平気でつくから信頼が置けないけれど、政治家が嘘をつくのは今日に始まったことではないけれども、しっかりとした高潔な人が出てきてもよさそうだ。

 自民党が国政選挙で3連敗した。いずれも補欠選挙であるけれど、広島・長野・北海道の選挙区である。当然のことながらマイクを向けられると「国民の声を真摯に受け止め、反省するところはしっかりと反省し、次の選挙では頑張っていきたい」とぬけぬけと負けた時の同じセリフを言っている。私は政権は自民党が取らないと日本の国は沈没するか破壊してしまうと思っているから、自民党に頑張っていただきたいが大物がいないみんな小づくりだ。小泉政権の時には財務大臣がインチキだったけれども本当に自民党を壊してしまった。日本を壊したのではないから許せる範囲だ。阿部政権はアドバルン疲れで結局何をしたのか見えない。アベノミクスなどと言って3本の矢にたとえデフレ脱却をスローガンにしたが何も変わってはいない。菅政権ではもっと分かりにくい。阿部政権の嘘つき閣僚や官僚の負の遺産があってそれを引きずっていくのは大変なことだが、責任を取ろうとしない投げ出し体質は残っている。何とかならないのか自民党。

2021年4月26日月曜日

書きたいことが沢山ある

  東京では3回目の非常事態宣言となった。非常事態というのは読んで字のごとくであって、そう簡単にしょっちゅうあったのでは困るし、オオカミに食べられた少年のようになってしまう。だからあまり緊張感がない。慣れっこになってしまう非常事態宣言ではあまり期待は持てない。コロナのワクチンにしても2回打つという話は聞いているけれど、なぜ2回なのか、2回打てばもう必要ないのかなどアナウンスが不親切である。もしかしたら私たちが人体実験に利用されているのか疑ってしまう。世界的に必要なワクチンである。莫大な資金が必要であるから小さな国や貧困が激しい国などはワクチンを国で買うなどのことは大変難しいだろう。先進国などはいち早く連携をとってワクチンを確保している。中国でワクチンが余っていると聞くがマッチポンプみたいな話だ。オリンピックと同じように、これも政治家がらみで大きな金が動いているのだろう。なぜオリンピックをやらなければならないのか誰もが不審に思っているはずだ。無観客の話が出ているくらいだから観客のためだとは思えない。それならアスリートの為なのかというならば、それだけならば今年中にオリンピックをやらなくても来年に延ばしてもいいではないか。誰がどうしてもやらなければならなければならないと言っているのか、その糸を手繰っていくと世界的な経済マフィアに行きつくのではないか。世界がコロナに参っているときに、選手が可哀そうだなどの情けは不要だろう。

 



2021年4月23日金曜日

賑やかになった幼稚園

  年少さんも加わりとても賑やかになった幼稚園。コロナのことなど何かを感じて過ごしている子どもはいない。なるべくなら家庭にあってもコロナのことで子供を恐怖に陥れない方がよい。今子どもの脳の中に刷り込まれたものは、やがて大きくなって些細なことでも怯えるようになってしまう。慎重になるのは決して悪いことではないけれど、度を過ぎると臆病になって何でもないようなことにも手を出したがらなくなる。新しいことに憶病になると、物事を探求する力が弱くなる。

 子どもたちには気温などは関係なくしたいことをしているようだ。それほど暖かくもなく肌寒いようなときにでも水場を探して水と戯れる。「今日はもう3回も取り替えました」と言っていた保育者がいた。あおば台には滝のように上から水が流れてくる場所があるので、そこでもキャッキャッして楽しんでいる。初めてのお弁当というのもあった。お弁当を開けると自慢そうに「先生見て!」と言ってにこにこしている。この時期にお弁当の経験があることはいいことだ。毎日だと子供たちは嬉しいのだけれども保護者が参ってしまうようだ。母親とのつながりはお弁当の時にある。それぞれにどのような思いでお弁当のふたを開けるのだろうか。また幼稚園では園バスがあって帰りの時間になると、カバンの中に自分のものを入れるのが大変だ。担任だけではできないのでフリーの先生にお願いをして何人かでやる。1学期中は何かとクラスの中は忙しい。それがまた楽しいのが幼稚園というところではあるけれど。

 私も最近コロナのこともあってか年を取ってきたことを自覚するようになった。事業は続けられるところは続け、続けられないところは私が元気なうちに幕引きををしなければならないだろう。誰かが必ず継承していけるだろうという当てもない不確かな根拠で持って事業を拡大してしまったというのが大きな失敗である。よく考えてみると、人生失敗談の方がなんと多いものか。少し考えてみただけでも赤面するほどの失敗がある。その積み重ねが私の人生であるけれど。あれもこれもみんな成功談ばかりだなんていうのは、渋沢栄一ぐらいなものだ。

 

2021年4月13日火曜日

新しいお友達

  入園式が終わって今日から新しいお友達が来園している。広い園庭で手足をいっぱい伸ばして走り回るのもいい。あおば台には人口の川がある。早速水の中にダイブして遊んでいる子もいる。それは初めて幼稚園に来た子で、在園していた年中さんや年長さんはやらない。なぜ子どもは水の中が好きなのだろうか。もっとも昔から水と砂と太陽は子どものものだなどと言っていた人がいた。とても賑やかになって、幼稚園がまさに幼稚園らしくなってきた。子どもたちがここで好きなように自分の場所を見つけて、安心して自由に飛び回ってくれたらいい。それこそが幼稚園が幼稚園として発揮できることだから。

 年寄りにワクチンが回ってくるらしいけれど、まだ私のところへは何の便りもない。昨日から年寄りにというおふれだから、あと1か月ぐらいたたなければ現実化しないのだろう。このワクチンについてアストラゼネカという会社のワクチンは死者が出たという。他の2から3のメーカーも大丈夫なのだろうか。本来治験などというのは、何年間かの結果をもって製薬会社やそれに値する販売会社が世間に納得させてから販売するというのが一般的だが、今回はちょっと早すぎる。製薬会社を選定しているのもWHOだけれど、このWHOに資金を提供しているのがあのビル・ゲイツだ。

2021年4月7日水曜日

幼稚園が始まった

  入園式はまだやってないけれど、今日が始業日で卒園した年長さんを除いて全員が登園してきた。始業式を終了した後しばらくの間園庭を覗いていたり、砂場での子どもたちの会話を聞いていた。子どもたちの会話は明瞭には聞こえなかったけれども、言葉に力があるし雰囲気に熱を感じる。子どもの世界というか相対する会話に勢いがあって、たじろいだり否定的なものを感じることはない。いつでも前を向いていて強引なまでも積極的である。何といっても整然とはしていないがざわついているような中にあっても、永遠のエネルギーを感じることができることが素晴らしいではないか。

 ついこの前まで年中さんだった子たちが、しっかりと年長になるという意識をもってホールに並んで座っている様子を見ただけで彼らの思いが強く伝わってきた。この子たちのそういった意識がこの幼稚園を作ってきたのだということを強く感じる。また明日から幼稚園の生活が始まる。いろんなことを経験し、子どもたちの心に刻んで大人になるための糧にしてほしいものだ。

生命力

  どろんこの中で体を横たえてけらけらと笑っている。何がおかしいのか、何が楽しいのかなんだかわからないけれど、腹を抱えて笑っている子もいる。泥の中からむっくりと起き上がって、子ども同士は顔を見合わせて笑っている。肩を震わせて笑っているから、きっと何か楽しいことを見つけたのかもしれ...