2022年8月16日火曜日

終戦記念日

  昨日は終戦記念日である。自虐史観に染まった国民は先の大戦が日本の侵略から始まったという米国のプロパガンダの言うとおりに何の疑いもなく日本悪者として受け入れているものが沢山いることだろう。では米国に流れ込んできた欧州各国の人々はどうなのか。大航海時代にアフリカ大陸で人間狩りを行ったのはどこの国の人々なのか。東洋の貧しい国から人さらいをして、奴隷として人身売買をしたのはどこの国の人なのか。多くの一次資料の中から日本からもスペイン・ポルトガルと言った国の人が人さらいをしているではないか。それは他国への侵略と言わないで何というのだろうか。それが中世・近大と続いていた。日本が真珠湾を攻撃したのは1941年12月8日であるが、その年の11月26日に米国国務長官ハルは戦争回避のために努力してきた日本側の態度を踏みにじった。日本側の野村・来栖両大使に対して絶対に受託不可能な要求を突き付けてきたのだ。これがハルノートである。傲慢無礼な日本国に対しての宣戦布告の挑戦状である。戦後GHQによる東京裁判でも明らかになった「ハルノート」について、ある裁判官がそれを読み「戦力を持たない小国であっても受託できるものではない」と呟いたほどのものだ。戦争に突入する前にも日本は、米国の戦力や経済状況や国民の意識などを調査研究をしていたがどれも勝ち戦にはつながらなかった。それでもなお闘わなければならなかった止むにやまれずという松下村塾的な考え方があったのだろう。当時のハワイ艦隊は米国一であったし世界に誇る海軍力であったことは自他ともに認めるものであった。そのような艦隊基地を日本艦隊は1時間余りの攻撃で再起不能にしてしまった。日本の勇気と技術をほめたたえたい。米国はだまし討ちだとか不意打ちだとか言って、「卑怯な日本」を合言葉にして、国民を鼓舞し戦争に挑んだが、それは違う。その半年も前に米国は日本が戦争を仕掛けてくるのはハワイであるから十分に注意するように、という海軍省からの通達を出している。ハワイの将官は信じられなかったのである。私は戦争を美化する気持ちなどさらさらない。闘わざるを得なかった当時の責任者の苦悩と、戦後戦犯として処刑された軍人と民間人に終戦記念日に静かに合掌したいのである。

 この日、終戦日特集なのか街に出てインタビュアーがマイクを持って、若い人たちに「戦争をどう思いますか」とマイクを向けている。亡くなった家族の方に「どんなお気持ちですか」と聞いているようなものだ。戦争を好んでやるものなどいない。いかにすれば戦争を無くすことができるかという疑問を投げて、そこで討論できればよい。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...