2023年9月12日火曜日

余計な事

  自分勝手なことを書いていて、私は余計なお節介をしているのかというような反省に似た気持ちがある。面白くないことを面白くないように生きたのでは先人の戒めを守っていない。高杉晋作は「面白くない世の中を面白く」と言って日々を楽しんでいたらしい。万葉の歌人大伴旅人は「今代(このよ)にし楽しくあらば来生(こむよ)には虫に鳥にも吾は成りなむ」とか「生まるれば遂にも死ぬるものにあれば今生なる間は楽しくあらな」とうたっている。死を覚悟しているのではなく人生を達観している生き方なのだろう。素晴らしい人たちだ。

 これからの日本人は、特に我慢のできない人が増えるだろう。ワールドラグビーなどを観ていると、まだまだ大丈夫かという気にもなるけれど、出場できる人たちはほんの一握の人たちで、ギフテッドなる人種である。大多数の日本人が我慢できることに慣れなければならないだろう。そうでなければ何一つ達成できなくなってしまう。レジリエンスというイギリスで流行った言葉がある。学校では無理だから各家庭ではこれを実践しなければ立派なというか、普通の人間に育たない。

 なぜなのか。福利という生活に浸りすぎてしまっている。責任をとるという当たり前のことができない。幼稚園でも、ちょっとしたケガなんかでもご両親が幼稚園に抗議に来る。命にかかわることでもないのに、子ども時代に命にかかわらないケガはいくらしてもよい。大人になってから大きなけがや大病をスルーできる可能性が高くなる。そういっても、そんなことを言っては悪魔のように見る保護者が多い。「もう勝手にしろ―!」と言いたくなる。それが両親の役目だと大きな勘違いをしているのが普通だ。政治は中国だけではなく大衆にも忖度している。そして問題解決にはすぐに金だ。そして国民もそれを要求する。こんな国、良くなるはずがない。とんでもない政治家がいるけれど、少しの間度外視してほしい。必ず天罰が下る。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...