2021年9月2日木曜日

終戦後

 東京は焼け野原であって、所々で火の手が上がっている。それはGHQが来る前に重要文書を処分しなければならない役目があったからだ。それから2週間後に厚木基地にマッカーサーが降り立った。早速東京軍事裁判の準備に取り掛かるわけだが、ところがその前に全く裁判に使えるような資料が見つからない。それもそのはずで焼却処分してしまった後の祭りだ。進駐軍率いるアル・カポネをさばいたキーナン判事が顔を真っ赤にして怒ったそうだ。日本による証拠隠ぺい、証拠は隠されたと。終戦から2週間もあればどこの国でもやるようなことだ。ドイツの場合ニュールング裁判では、突然に連合軍が入ってきたので何もすることができなかったのと、大衆がナチスに反感を持っていたので戦争指導者には不利な証言しかなかった。しかし日本にも不忠義なものがいて、その人は戦争責任を問われ自分もA級戦犯として絞首刑にされるのではないかと内心穏やかでなかったものだから、キーナン主席判事のところへ「自分をA級戦犯にしなければ知っていることを全部話す」と持ち掛けた。その人の名は田中隆吉と言って満州にいた陸軍少将である。それと当時の外務省の資料である。当時の外務省を仕切っていたのは吉田茂である。ということで生き証人と、資料の証拠が出来上がった。
 12月8日の真珠湾攻撃で、米国に宣戦布告の電文を渡すのが一日遅れたと言ってアイゼンハワー大統領はそれを口実に「だまし討ち」されたと国民に訴えたことが功を奏し、米国民の日本やドイツへの宣戦布告への足掛かりとなった。その電文を渡すのを遅れたのが外務省の奥村勝蔵である。奥村勝蔵はのちに天皇陛下がマッカーサーに会いに行った時の日本側通訳として採用されている。「だまし討ち」の口実を作った奥村勝蔵がなぜここで採用されたのかこれも疑問である。その時の任命者は吉田茂である。奥村勝蔵は吉田茂にかなりの恩義を感じていたはずだ。
 なぜ燃やしてしまったはずの資料が外務省にあったのか。几帳面な官僚がいて、重要と思われる書類を書き写して自宅にしまっておいたというのがある。それをかき集めてサンタクロースの袋のようなものに5個あったという話だ。それをみんな日本のフーバー研究所支所に持って行って保管されたという。日本側の弁護士たちに渡さないでなぜ連合軍の検事や弁護士に渡したのか。なぜ日本の起訴された兵隊が不利になるような証言をしたり、資料を渡したりするのか。この時の外務大臣は吉田茂であることから、この後の総理になるのは吉田茂である。GHQも間違いなく介入したことだろう。日本の為ではなく保身のために動くという大物がいては日本国民は不幸である。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...