2021年9月6日月曜日

歴史を学ぶことは自分のルーツを知ること

  今更戦後のどさくさを穿り出して何になる。何にもならないかもしれない。しかし知ることの満足感は得られる。大学には多くの研究者がいるけれど、一冊の本も書かないで何かに向かって研究を続けている研究職の人が大勢いる。何の発表もできなかったらさぞや空しいだろうと思うけれど、やっているときには大いにやりがいを感じているはずだ。自己満足にすぎないけれど。結果として物をつかむというものだけではない。無量のものがある。

 日本を占領した米国GHQは、占領当時に日本国民を米国民を普通の大人としたら、日本人は12歳の子どもであると評した。何と思われようが日本人は純粋で文化の高い国民であることは確かだ。占領した連合軍は東京裁判を見てもわかるように、非常に野蛮極まりない政策を日本に押し付けた。プレスコードやラジオコードの様に連合軍の悪いことは報道してはならぬということに象徴されるように、国内では盗み強盗などありとあらゆる犯罪を犯している。それも記事にしてはならぬというコード付きだ。自分たちの犯罪には目をつぶり戦争犯罪者という国際的にも初めての用語を使い多くの日本人を苦しめた。いわゆる米国の復讐劇である。

 極めつけのものがある。東京裁判中に突然通訳の音声が消えてしまったという、それは日本側弁護人のブレイクニ―弁護士の弁論が始まると同時に通訳の音声が切れてしまったのである。この間の議論はいったいどんなものだったのか。国民には知らされないまま37年が経過した昭和58年、講談社が企画制作したドキュメンタリー映画「東京裁判」が公開されたときである。これは私も観た。ブレイクニー弁護人が熱弁をふるっている様子が熱く響いた。

 「国家の行為である戦争の個人責任を問うのは法律的に誤りである。なぜならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人による戦争行為という新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである。(中略)真珠湾攻撃でキッド提督が無くなったことが殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名をあげることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名も、我々は承知している。我々は殺人を意識していたか。してはいまい。我々もそう思う。それは我々の戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科で、いかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる!その人たちが裁いている!」これが打ち切られた通訳の内容だ。真珠湾攻撃が戦争犯罪なら、原爆投下も戦争犯罪のはずだろう!という真っ当な正論であった。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...