2021年9月7日火曜日

終戦後の仕打ち

 幼稚園は自由登園であるけれど、大体半数ぐらいの子どもたちが来ている。弾んだ声が園庭いっぱいにこだましている。子どもの声には活気がある。コロナで疲れ切った顔をしている菅総理の顔もこの声を聴けばしゃきっとするのではないか。それに顔にアイロンがかかる。人との関わりの中で子供たちは成長するのだから、リモートなど普通ではない生活をしていると必ず弊害がある。しっかりとした普通の生活を早くさせたい。園バスが出ていないので、どうしても幼稚園には来れない家庭があるはずだ。心から申し訳ないと思う。動くことができない子どもたちと顔を見合わせていたら、いつか煮詰まってしまう。三密は育ちの敵だから、月曜日から園バスを出すので、あと少しの辛抱ですので頑張ってください。

 (昨日からの続き) 日本は戦争に負けた。負ける戦争はやるべきではないが、日本建国以来一度の戦争に負けたぐらいで、ずっと日本はアメリカの属国に成り下がってしまったのか。欧州の歴史を見るとしょっちゅう戦争をしている。英仏百年戦争などもあるし、ドイツの前身であるプロイセンなどの国の隣接国などは戦争がないくらいの時代の方が少ない。第一次世界大戦も欧州の隣国同士のいざこざから始まった。スペインやフランスなどは革命の名で国内戦争が絶えることがなかった。200年以上も戦争がなかった日本の江戸時代などは、地球上でも奇跡であろう。

 東京裁判では米国の野蛮さが露骨に出た。ブレイクニーのような公平な正義感溢れる青年も数多くいただろうに、裁判官や検事には失望した。判事の中でも英国に散々な目にあっていたインドのパール判事は、戦勝国の敗戦国への復讐であると言って、この裁判の判決には意味がないと言って席を立って本国へ帰ってしまった。しかしこの裁判は延々と2年9カ月も続けられた。

 秘密情報をGHQに密告した裏切り者の田中隆吉はその後どうしたのだろうか。同じA級戦犯であった児玉誉夫や笹川良平などに密告がばれてしまって、命を狙われるようになってしまった。そしてしばらくはGHQにあるホテルにかくまわれていた。自宅へ戻ってから彼は原因不明の病に侵され病死したとなっている。しかし同胞を売ったのは彼ばかりではない。アヘンで大儲けをした満州にわたった官僚や、なぜ吉田茂が総理になれたのか。なぜワシントン講和条約の時に日本は沖縄を米軍の基地としたまま日本へ返さなかったのか。そしてA級戦犯である岸信介が総理になって安保条約が結ばれたのか。時のGHQと密約があったとみるべきだろう。その後の佐藤総理が、核三原則などと言ってノーベル平和賞なんかもらっているけれども、日本人は日本に核がないなどと誰も信じてはいなかった。日本はずっとこの先米国の核の傘の下で、東京裁判のようなみじめな命令と服従の関係でいなければならないのか。私はこの先それほど長く生きられるとは思っていないが、日本の子どもたちに屈辱の時代は終わらせなければならないだろう。驚くような事実がフーバー研究所には埋まっていることだろう。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...