2021年9月10日金曜日

ネジを巻きなおして

  伸びきったばねをいくら元に戻しても、元のように弾力のある反発力のあるばねに戻ることはない。それは原料である元の素材が劣化してしまっているからだろう。もう一度錆をとって、元の素材に新品なものを加えないと、弾力のある強いばねにならない。復元力のある強いばねに戻りたい。あちこちが痛んできて、病院に通っているし、医者の友達も知り合いもいるけれど、異口同音に「加齢による」という言葉を使う。言われてしまうと意識するし、本当にそうなのかなと半信半疑ながら、自分は年寄りなのかと思わなければならない。同期の仲間たちと会うと、互いに強がりを言って慰めあっている。これが情けない年寄りの姿なのだろう。

 だがなぜか幼稚園にいる子たちと一緒に過ごしていると、自分が年寄りだなんて思ったこともなく、ふざけあったりしている。挨拶するのに言葉に思いきりアクセントをつけながら楽しく、半ば怒鳴っているような元気にあふれた笑顔で挨拶する。気力は子どもたちからもらっていることは確かだ。小学校へ行っても低学年の子どもたちが、私の前にきてぴょこんとお辞儀をして、挨拶している様子などを見ていると、ニヤニヤしてしまう。身体を新しく丈夫なばねにしながら、子どもたちと一緒にいたい。この子たちと一緒にいたい、何とか守ってやりたいと思うのは、だれでも当たり前の感情だろう。

 小学校を作ったときの情熱を考えてみると、まだまだ道半ばでそのエネルギーは残っているはずだ。あの時のばねをもう一度取り戻さなければ「年寄」で終わってしまうのではないか。周りには応援者もいるし、同じような理念を持っている人たちも沢山いる。この学校を誇りを持って語れるようにしなければならないだろう。私が責任を果たすということはそのようなことだろう。

 私が東京裁判のことを書いていると、その情報はどこからなのかと聞いてきた人がいた。そんなことが書かれている本もないから、具体的な情報はスタンフォード大学のフーバー研究所からの資料で、そこで40年にわたる研究をしている、西鋭夫(としお)教授からの情報を、あまりにも興味があったので買ったものだ。極秘資料が多くセピア色に染まった古い用紙に、大きなハンコで「極秘」と押されているものもある。また東条英機の東京裁判での供述書も100ページにわたって書かれているものもある。それととんでもないことに、「中支阿片制度実施要領」などもある。東京裁判の資料がなぜフーバー研究所にあるのか。詳細な経緯はまだはっきりしないが、東京裁判で事務総局をしていたジョージ・W・ハンリ―大佐から資料が提供されたと言われている。日本政府がアヘンを売りさばいていたのだ。これは日本政府に尋ねてもイエスとは言わないだろうが、これには固有名詞もある。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...