2022年10月10日月曜日

休みが多い

   休みが多いと思います。まだ小中学校へ通っていたころだったら飛び上がるほど嬉しかったのに。なぜそんなに学校が嫌いだったのだろうか。学校へ行くことはただ仲間に会える喜びだけで通っていたようなものだ。それでも父親と同級生だった教頭先生がいて、その先生がよく可愛がってくれたのでその先生だけには会いたいと思っていたので嫌々ながらも学校へ行っていた。教頭先生は昼食の時間になると、私を職員室に呼び出して教頭先生の机の前に座って将棋をさしたものだ。その先生が、次の時間は私が勝つと私の好きな授業をやることにしようなんて言うものだから、職員室はたくさんのクラスの応援の仲間でくろだかりだった。運良く私が勝つと、クラスのいじめっ子が「体育にろ!」と言うものだから、わざと「算数」と答えたら、放課後に待ち伏せされて殴られたことがあった。勉強することが何よりも嫌いだったと言うこともなかったけれど、なぜか先生の威圧的な態度がたまらなく我慢がならなかったのだ。勉強もしないでこのままバカになってしまうことも嫌だったので、好きな科目は私なりには一生懸命に頑張っていたつもりだった。天外伺朗(育の完全自由化の著者)さんが言うように「子供達が完全な自由を獲得するのには、この上ない試練を通過しなければならない」とあるように自由を得ることは与えられるものではないから。誰もがそうだと思うけれど、この頃から漠然とわかっていたような気がする。 

 先日連休があったばかりなのにまた休みだ。みんな働きすぎだから、この程度の休みはちょうどいいのかもしれないが、私のように子ども達と一緒にいるのが仕事だと言う者には、長い休みがしょっちゅうだと休みが飽きてしまう。  

 もう一度学校の授業の話に戻ろう。天外伺朗さんが言っていた。どんな授業であろうと画一的な授業ではその恩恵に預かるのは一部のものだけである。と。それはその通りだと思う。文科省の人だってそう思っている人がたくさんいてもこのシステムを打破できる人はいない。サドベリーバレーへ視察に行った人もいる。そのあとで日本の「ゆとり教育」が始まったけれども、うまく国民に伝わることがなかった。納得できる教育の本は世に反乱しているが、理想でも何でも実現してみようと言う人が現れてくれることを乞い願いたい。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...