2022年9月2日金曜日

幼児教育に思う

  私が幼児教育を担うようになってからはや46年になる。最初は何もわからなくて幼稚園の教員の後をくっついてうろうろしているだけで役に立つなんてことは殆どなかった。勿論普段の保育のある日でもまるでよそ者と同じである。もともと幼稚園に対する考え方に全く不遜な考え方を持っていたので、幼稚園を見くびっていたところがあった。ところが幼稚園の熱心な教員がいて私をあちこちの研修会に参加させるのに苦心していた。幼稚園は「若い男子のするような仕事ではない!」と何の根拠があったわけでもないのに息巻いていた。それが徐々に久保田浩先生を取り巻く男性保育者の洗脳を受けて、「私にもできる」という自信から「私がやらなければ」という使命感に変わっていった。そんな教育を元々受けていないにもかかわらず、幼児教育をムキになって学んできた彼らと肩を並べて話をしたり、議論をしたりするのにはとても体力のいることだった。そこで私はある先輩からの紹介で一度だけ面識のある筑波大学の杉原先生に知己を得ることができたことをきっかけに、図ずしくも杉原先生を筑波大に尋ね「日本一の幼稚園を作る」ということで発達理解を教授していただけるようにお願いをした。先生は快く引き受けてくださり、併せて地域の幼稚園の教員をも一緒にゼミの中に入れてくれることになった。以来先生が亡くなるまで、25年間の長きにわたってご教授いただいた。大学へ通って講義を受けたのは私の幼稚園の教員だけになってしまったけれど、私の幼稚園の教員ともども素晴らしい経験であった。何といっても超一流の教授に教えをいただいたということと、教授を紹介してくれた先輩に心から感謝したい。そして保育理論の理論武装は杉原先生をはじめとする院生の力を得ながら、現場の保育に関する「子どもへの責任」などは久保田先生から教えをいただいた。全部覚えていれば鬼に金棒だけれどそうもいかないのが、私たちの仕事だ。

 幼稚園の参観日などは地域の保護者も来るわけだから、たぶん私の同級生や知り合いが来るのではないかと戦々恐々としていた。合うことが嫌なのだ。まったく嫌な日で幼稚園の片隅で息を殺して隠れていたくらいだ。私のような素人が大切なお子様を預けてくれる保護者に顔を見せるなんて無礼であろうという認識からだ。そのような反動もあって幼児教育に傾倒していったことは確かだ。恥ずかしかったことが多すぎる。

 私は幼児教育の発達理解を中心に学んできたけれど、それに基づいて幼稚園生活を組み立ててきた。しかし現在は子どもの発達理解よりも、いかに長く預かってくれるかとか、保育料云々とかバスが家の近くまで来てくれるかなどが主に幼稚園選びのファクターになっているようで寂しい気がする。私たちの訴える力が乏しいこともあるのかもしれないが、20年も前には「どんな保育をしているのですか」と聞いてくるの保護者がほとんどの親の姿だった。保育料は国が出してくれるからあまり問題にならないようだ。幼児期の経験の積み重ねが確実にその先の発達に影響があることは絶対に確かなことだから、幼児期の生活は重要なのだから決しておろそかにしてはならないし甘く見てはならない。


能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...