年少さんの運動会ごっこ。まっすぐに走れないで斜めに走っている。コーンのところを回るようにラインカーで印をつけてあるけれども、そこのところへ来るとエンドレスで回っている子もいるし、コーンは通り越して直接ゴールへ急ぐ子もいる。どんな形でも一生懸命がいい。みんなで集まろうと園庭に並び始めると、何人かの子がまっすぐクラスの方に駆け出して行ったので、そのあとを保育者が追っていく。そして聞いてみる「みんなどうしたの?」子どもが応える「おなかがすいたのでお弁当でも食べようかなと思って」だって。それが真顔で言っているというのが面白いではないか。そんなことを堂々と言えるのは心に何のわだかまりがないからで、とてもいい状況ではないか。そんな子どもたちを見て、胸いっぱいの幸せ感に包まれた。
昨日初等学部で役員会があった。たまたま時間が空いたので、途中からであったけれど、私も同席させていただいた。たぶん話の内容は2学期の行事について話し合われたのではないかと推測している。耳が悪いものだから、率先して話の中に入っていけないのがもどかしいけれど、保護者の真摯な態度に頭が下がる。まったくありがたい。その帰りに低学年の女子たちが学校のロータリーのところで無邪気に遊んでいる姿を見て、世の大人たちが絶対に守らなければならない子どもたちの姿ではないかと、神妙に感じた瞬間である。大人社会の政治家も経済人たちも、今ある姿はこうした子どもたちからの借り物である。言ってみれば子どもたちからの借金で成り立っているのだ。だから子どもたちを大切にしない政府や経済では、長続きするはずがない。
内村鑑三が書いた「代表的日本人」を読んだ。最初に出てくる西郷隆盛の話だけれど、彼は聖人に近いというか、天が遣わした聖人なのではないかと思う。彼に「敬天愛人」を言わせしめたのも聖人の業である。彼の姿はどう見ても太人だし豪傑であるけれども、情に脆く、人の心にきめ細かく対応できる何とも大きな人だ。私など何回生き返っても西郷隆盛のような人物には到底なれない。日本人にこのような人がいたというだけで誇りだ。心は広く、人に対する愛情は深く底なしである。今度はもう少し落ち着いて西郷隆盛を書いてみよう。