日本の教育に足らないのが「論理的思考」「創造的思考」「批判的思考」であると言われている。いずれも非認知能力に位置しているものである。認知能力も非認知能力も高い水準で持っている人もいるにはいるだろうが、いちいちそんなことを考えて学習したりしていると何も頭の中に入らないのではないか。フーバー研究所の西教授は「そんなこと考えなくていい。ゲームがしたければゲームをすればよい。マークシートに追われている受験生よりよほどよい」と言っている。確かに社会というのは学校の成績で何とかできるほど甘くはないし、もっともっと間口の広いものだ。東大出て官僚になり腹黒い政治家に使われて、知らず内に自分も腹黒い仲間になって、黒い金を多少持っていたって何になるか。何のために勉強してきたのか、これで一生が終わりだなんて少し悲しくはないか。楽しく生きて、幸せになることが学校の役目であるのだろうが、大手の学習塾に踊らされて、学校のランク付けに加担するような売国の思想はもうよそう。周りにいる人が幸せにならなければ何にもならないではないか。
幼稚園では、運動会があるので園庭を駆け回る子供たちをよく目にする。そこで少し気になることを発見した。思い切り駆けるということを怖がる子がいる。コロナで外で元気よく遊ぶことができなかったのだろうか。生きるということは、体力をつけたり、危険物にとっさに身をよけるとか、仲間と元気に会話して楽しむというのも入っている。危険なコロナに防御することだけではない。保護者にしてみれば大変なこともあるだろうけれど、貧弱な子にだけはしたくないものだ。コロナもあと少しの我慢だろうから、保護者の皆さんも頑張ってあと少し!。