2022年12月8日木曜日

餅つき

  お父さんやお母さんのお手伝いをいただきながら、毎年恒例の餅つき大会が無事に終了した。第二幼稚園は一昨日に行ったが朝から怪しい雲行きで、それに冷たい小雨のようなものが吹き付けてくる。そんな中で保護者は愚痴も言わずに黙々と所定の位置について、自分の仕事をこなしていく。私の指先は凍ってしまってポケットから外に出すのが嫌だった。子どもたちは大人が沢山来ているのでとても大喜びではしゃぎまわっている。いよいよ「いただきま~す」の時間になって、年少のクラスへ行って「おいしいですか」とか「可愛いね~」と手を広げて言ったら、なぜかそれが受けて子どもたちはひっくり返って笑っている。楽しい時間をいつまでもどうぞ。

 あおば台は今日が餅つきの日で、昨日も今日もとても清々しい天気に恵まれて、とても空気がおいしい気がする。お手伝いのお父さんもお母さんも手際よく動いてくださり、第二の保護者同様に頭の下がる思いである。子どものためとはいえよく動いてくださるので、保育者たちの良いお手本になるのではないかと思っている。餅つきの場合前日からのお手伝いとなるので、保護者と保育者が一体となって仕上げないとうまくはいかないので、まったく感謝に絶えないというところです。

 所で保育者の働き方改革の中に「行事の見直し」というのが盛んに言われている。「盛んにいわれる」ということは保育者にとってそれが大きな負担となっているということの証左なのかと理解しているが、同時に「行事は子どもの発達を促す」ことも事実である。保育者の個を労るという気持ちも大切なことだが、私たちには課せられた使命があることも肝に銘じておかなければならない。それは精神論でいうのではなく、生きている糧としてその人が人として輝くからである。

 今日は日米開戦の日である。米国は日本の宣戦布告が数時間送れたということで、今もって「だまし討ち」だの「卑怯だ」と、のたまわっているけれど、宣戦布告などは米国がベトナムへ侵攻したときやアフガンに入った時、イラクを攻め入った時に行われたのか。1941年12月8日の、日本の当時の野村大使とのやり取りの中で、米国が仕込んだことではないか。その前に米国は日本の暗号文をすべてと言っていいほど解読していたではないか。日本は侍の時代から、合戦をするときに己の姓名を相手に分かるように大声で知らしめてから刀を抜く、という言い伝えがある。もう日本に対して「卑怯者呼ばわり」はやめた方が良い。米国自身の恥部をさらけ出すことになるから。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...