2019年8月30日金曜日

幼稚園が変わっていく

平成27年度から認定こども園が本格的に運営されるようになった。当初の県の説明によると、幼稚園の園児数激減による幼稚園救済措置のようなニュアンスが強く、幼稚園連合会もいち早くこれに便乗した。しかしながら蓋を開けてみると実はそうではなかった。茨城県では私もこれの旗振り役みたいなことをしてしまったが、みんなに任せればよかったとなかば後悔している。

まったくでたらめなことがある。当初は認定こども園というのは四つの運営方法があって、一つ目は幼保型認定こども園・二つ目は幼稚園型・三つめは保育園型・四つ目は地方自治体によるものとあった。私たちの選んだのは当然のことながら幼稚園型認定こども園であった。これは幼稚園の体制を主導として行われる保育形態である。これには何の不服があろうはずがない。しかし現実はそうではなかった。
しかし認定こども園が見切り発車されてから、国の「子供子育て会議」が開かれ、子供を預かる時間は11時間などと決定された。この会議に私の友人も参加していたが、そこで大人の労働時間は8時間とあるから、せめてそれと同じかそれよりも低く抑えるべきだと主張したが、官僚の作った作文に押し切られてしまったようだ。ちなみにこの会議の議長は埼玉県にある保育者養成校でもある大学の学長経験者である。大学では心理の講義をしていたそうだ。幼児心理は知っていても子供に愛を持たないようで、聴講する気にもなれない。
その結果私たちは裏切られた結果になってしまったが、認定こども園のおかげで幼稚園存続が容易になった園のあることも事実で一概に全く失敗であったとは言い切れない。しかし幼稚園型とか保育園型とか認定こども園の種類について聞かれることは全くない。認定こども園はすべて認定こども園に統一されているようで幼稚園としての面影がない。
文科省も頑張っているようだが、幼稚園の保育所化が進んでいることは認識しているだろう。幼稚園は1872年学制発布と同時期にに幼稚園はできた。正式だかどうかはわからないが最初にできたのはお茶の水大学付属として認知されたのが初めてである。その反面保育所は戦後のどさくさで児童保護のために1947年にできたものだ。幼稚園は教育基本法の第1条「学校とは」の中に第一番目に幼稚園が出てくる。幼稚園教育要領があって、幼稚園はこうあるべきだというのがあるけれども、保育所には指針として方向を示してあるが教育的文言はなく安全第一で建設現場に掲げてある標語みたいなものである。
私が危惧しているのは幼稚園救済措置でできたものだと思っていた認定こども園が実はそうではなく専業主婦たちを外に出して働かせる手段であったことである。これはまさしく親と子供が一緒にいる時間を短縮し、労働者として賃金を得ることによって多少なりとも国民総生産を上昇させようとしているものだ。それは国力として国際的には認知されるから、政治家には都合の良い話だろう。しかしそれは近視眼的である。幼児期に親との愛着の時間が少なかった子どもと十分にその時間を与えてもらった子供の将来についての結果の報告がある。それは文科省も厚生労働省も知っているはずだ。この親子切り離し政策がもたらす将来的悪影響は底が知れない。

認定こども園ができてから、保護者の働き方の色分けが鮮明になった。いわゆる1号認定・2号認定・3号認定というものである。3号認定は3歳児未満で親が共働きか片親。1号2号は週にどのくらい働いているかで決まる。共働きの場合には問題なく2号認定である。また専業主婦は1号認定である。
この認定は10月より施行される保育料無償化による便宜上の色分けである。働いている保護者に手厚く預かり保育などの保育料などが無償あるいは大きく軽減される。だから今度は新2号ができるようになった。
こんなことを行政側でいとも簡単に制度を作っているけれども、現場は混乱しっぱなしである。まず私が言いたいのはこの制度ができて2号新2号でも預かり保育は保護者の権利ではないということである。権利が生じると片方では義務が生じるけれど、あおば台幼稚園は建学の精神として「子供中心主義の保育」を掲げてきた。この保育理念を大切に幼稚園運営をいままで続けてきたので、それに支障が出てくることがあれば何か方法を考えなければならないと思っている。だから行政の決定を義務とは思っていない。大切なことは目の前の子どもがこれで幸せなのかということだ。

思い返せば幼稚園運営が苦しくなって認定こども園ができこれに救われた園も多くあったことは素直に認めざるを得ないが、幼稚園に相談もなく幼稚園行政の独走によって預かり保育などの時間の延長などそこに働く保育者に過酷な労働を強いることになった。それでなくとも保育者特に幼稚園教諭は、幼稚園に早く出てきて昼休みもなく働きずくめである。薄給の上過酷な労働であるが故に保育者になろうという学生が激減している。そうなると行政は通常の給料に処遇改善という名目で補助金を出すことになった。それでも一般企業と比べると少ないということで処遇改善Ⅱというのができた。お金を出せば解決できるという思いはこの社会の習わしでもあるけれども、我々には使命というのがある。

能登半島

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