2020年12月18日金曜日

久遠返せば 2

  世の中は正論ばかりでは息が詰まって多くの人たちからの賛同は得られないが、あまりにも正論から離れてしまっている自分勝手な言い訳は問題が残るだろう。奈良県のサッカー全国大会の出場が決まった山辺高校の飲酒問題などは問答無用だと思うが、高校の校長の裁量ではなく県の教育委員会の考え方を聞きたい。これが私立高の野球部だと甲子園はいけないだろうと思うが、何よりも学校も担任も責任者を不問にしているところに教育性はない。組織として行えば組織の中の責任として誰かが責任を取らなければならないはずなのに、大人のまねをしてみたくなる年頃だからそれはそれとして笑って見過ごしてもよいと思っているけれども、その行為についてはきちんと罰を受けなければなるまい。公立だから生ぬるい。矜持なる心があってもよさそうなものだ。そう言われる。これは後になって問題が起こることは必然。

 総理の周りには軽量級の閣僚しかいないようだ。8人で夕食会をやったということが何人ならよくて何人以上はだめなどということが議論されていることがばかばかしい。国の総理がそのようなことにかかわらなくても、周り者がしっかりと対処できればそれで済むことなのに、閣僚が総理をかばっているような発言をするから火に油を注ぐ様なことになる。国の方針としてウイルス感染を最小にするために多くのスローガンを立てているけれども、どれをとっても完璧ではない。国民の一人一人が自覚しないとうまくいかない。これが戦時中で米国の飛行機から焼夷弾が落とされていれば全員が安全な所へ退避する。個々の命を守ろうとする意識が低い。敵の正体がわからないというのも一因だ。

 初等学部で餅つきがあるというので久しぶりに学校へ行ってみた。風が強くて冷たいという状況だったけれど、身体を前かがみにして子どもたちのクラスに行ったが、子どもたちは「寒い」とか「冷たい」などとは言わない。幼稚園でも素足で泥遊びをしている子がいて「冷たくないか?」と聞いても相手にしてくれない。そのような神経が休んでいるのかもしれない。真っ赤な手をしているのだからきっと冷たいだろうと思うのだが、子どもたちは意にかえさない。自分も小さいころには近所のおばさんたちに「寒くないの?」とかよく言われたけれど、夢中になってやることがあるときには「寒い」とか「冷たい」などと言ってはいられない。そんなことを言って遊びを中断されることの方が辛い。

 高学年の子どもたちと食事を一緒にしたけれども、なんとも味気ないというか一つのテーブルに二人というように決まっていて、お話をしてはいけません音楽をかけますというようになっている。その音楽とやらも今風のというか、まったく聞いたこともない殺風景な音楽で、私には合わない。コロナの影響だけども、まったく学校の中の子どもたちという気がしない。多少の規則を破って、伸び伸びとしたいつもの子どもたちと会いたかった。大切なお子様を預かっているのだから、そんな無責任なことを言ってはいけないと叱られそうだ。


能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...