人生の勝利者とは
人生百歳時代とか、長寿が人生の勝利者だとか、長生きすることを盛んに讃えている様子がある。70になってあと30年はきついと思うがいかがだろうか。80になってあと20年というのもきつい。人それぞれの体力によってその感覚は違うであろうが、年齢の長短ではなくて、いかに意識的に満足できる人生を送ってきたかどうかであろう。
病気の種類にもよるだろうが、私ぐらいの年齢になると、延命装置を付けますかということをきかれる。私は即座に拒否したが、あれは何のために着けるのか、あとに残されたものに大きな負担をかけるだけではないのか。意識のない物体を生き永らえさせておくなんて、それで平均寿命が延びたなんて言うことは、まやかしではないか。
それでなくとも医療費は高額だ。なるべく残されたものに迷惑をかけないで、後悔せず潔く散ることを、腹の奥底にどしっともっていないと、死んでからも多くの人の世話にならなければならない。もうさんざん多くの人の世話になり、迷惑をかけてきたのに、これ以上 は負担をかけるようなことはしたくない。
私は幼児教育については、学会で発表するまでに仲間によって引き上げられてきた。しかも筑波大から出ていったのだから驚きだ。そのテーマは「握力と生活意欲の関係」だ。あの頃は、あおば台の年長だけでちょうど100名いたので、区切りが良く案外時間をかけずに調査することができた。故杉原先生(恩師、元筑波大教授)のおかげで、勉強嫌いな私でも一点集中することができて、もちろん側についていてくれた院生もいたけれど、最後までやり遂げることができた。発達理解の大元は幼児期であるということも完ぺきに理解できた。心理学では多くのジャンルに分かれているけれど、人の心のありようは幼児期からの積み重ねである。
今日もまた病院へ行って検査である。鳥の糞や羽などが宙を舞っているらしくて、私にはよく見えないけれど、医者はそう言っている。私はその見えない敵に怯えて毎日外へ出られずじっと家の中にこもっている。「医者の言うことをきけ」という人がいるから今のうちはそうしているけれど、こんな事いつまでも続くはずがない。私は元気だと思っているのだから。鳥の糞なんかに負けていられない。
最初に戻って「人生の勝利者とは」。私は人生を振り返り後悔をしない人。楽しさでニヤニヤできる人ではないかと思っている。子ども達の中へ入って一緒にゲラゲラと笑ったりすることができなくなってしまったのが寂しいけれど、やり残したものはない。新しく楽しさを生み出せるような体力も気力も知恵もなくなってきている。保育者は常に楽しさの追求ができなくては自分を苦しめてしまう。