2018年9月3日月曜日

初等中等学部現況報告

先日我が校田んぼも稲穂をつけそれなりに田んぼらしくなって、周囲の田んぼの稲穂にも多少の劣等感を持ちながらもどこか胸を張っていたものだったが、何ともう稲刈りを終えてしまったところがちらほらと見える。大器晩成型などとうそぶいていても、ただ近くの田んぼよりも田植えの時期が3週間ほど遅かっただけの話だ。稲刈りをし、脱穀をして、精米して食べられるようになれば同じ米としておいしそうなご飯に変身するはずだ。学校で取れた米はすべて学校給食となる。もっともよく計算をしてみると、自作の米を食べるより買って食べた方が安上がりだ。しかし学校には教育的見地というのがあって、米作りが子どもたちに及ぼす影響などをしっかりと考慮し、精査してこれからのことを考えたい。思い浮かぶのは田植え前の田んぼで『泥んこ祭り』をして、生徒も教師も真っ黒になって楽しんでいる姿がある。

先日の土曜日に中学生向けの学校説明会があった。幼稚園から中学までの保護者との付き合いがある。親は子どもの成長とともに喜んだり悲しんだりする。喜びばかりならいいけれど、人生の中でそんな都合のよい話はない。要は自分の欲求が深ければ深い悲しみに襲われたりするが、それが成就した場合にはとてつもない大きな喜びに変わる。こう考えてみると自分の人生は喜怒哀楽とともにある。いかにこれを苦しみの少ない喜びに満ちた人生にするかは欲求との相関関係にある。一つ言えることは、子どもへの過大な要求を突きつけないことだ。普通であればよいというのなら、うちの子は全員が普通以上の能力を持っているし、キャリアを言うならばどの子も人にやさしいではないか。社会に出てこれ以上の人間力はない。また優しさがないと、どんなに優秀な学力を持っていても大成することはない。これは人間社会の鉄則である。

能登半島

   能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...