春の陽射しの柔らかさは、幼児のさよならする手の柔らかさに似ている。私が出かけるときに、ちょうど2階への手すりのところで、何人かが固まって大きな声で何かわめきたてている。私の名前を呼んでいるのか、さよならを言っているのか、みんなで同時に声を上げるから何を言っているのかさっぱり分からない。それでも子どもたちは自分の想いが通ればそれで意思の疎通ができたと思っている。何を言っているのかが分からなくても、思い切って大きな声を張り上げることができるということは、伝達方法がよく分かっていることだ。もじもじしているのではなくて元気があってとてもよい。
能登半島
能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...
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能登半島でM7の巨大地震があるなんて夢想だにしなかった。正月に「昨日と同じ朝が来る」なんて不謹慎なことをかいてしまった。まさかそのあとで能登半島に大きな地震が来るなんて悔やみきれない。今日時点で死者数が202人となった。行方不明者がその200人を超えている。これからまだまだ...
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私の法人には、つくば市と土浦市に幼稚園があり、あおば台幼稚園に隣接して企業内保育所と言って内閣府管轄の12名定員の小さな保育所がある。この保育所は先生たちが結婚して子どもが保育所に入れないときのための受け皿として作ったものだ。すでにその実績はある。それに土浦市と旧千代田町の境...
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あっという間の一年であった。何があっという間だったのかと問われたら、病院に三回も入院したからだ。自覚症状もないのに入院するなんて納得がいかなかった。「主治医がそう言っているのだから」では納得のしようがないではないか。しかも家に帰っても外へは出てはだめだなんて。「私は生きている...