2019年10月3日木曜日

無償化Ⅱ

それはどんなほころびだろう。
例えば政府は無償化は働く母親にとって救いの水だろうぐらいに思っているのだろうが、政府の思惑は国民総生産を上げる統計上の数字を動かすことなのだろう。国力を上げることは政治家にとって気持ちの良いことだし、大いに胸を張れるからだ。

家庭で子育てを許されなくなって、みんな外へ出て賃金を得ることを奨励している。子どもには1号2号という呼び名が与えられ、1号は専業主婦か母親の所得が著しく少ない家庭で、2号は共働き家庭ということになっている。共働きであれば家庭の収入は多くなると考えられるが、実際には1号家庭より2号家庭の方が補助率が高い。そのうえボールビィの3歳児までは親のそばで子供が育てられるべきであるというWHOへの報告書を、勝手にそれは神話に過ぎない(3歳児神話)といった声を声高らかに叫ぶ者もあらわれてきて、家庭の外へ出て賃金を得ようとする母親が増えてきた。
根底には子育てを楽しめない夫婦が多い。ということも言えるだろう。子育ては母親一人でやるには荷が重すぎるし、精神的にも肉体的にも苦痛になってくることが多い。だから幼稚園や保育所という施設がある。施設というのはあくまでも子育ての補助的な役割を担うもので、それがメインになっては本末転倒な話だ。父親の理解が重要だ。

国は認定こども園をあたか保育所施設として扱っている節がある。それならそれで幼稚園というのをやめてしまって幼児教育はすべて保育所に移行させればよい。認定こども園というのはそもそも4つの施設からなっていて、私のところは幼稚園型の認定こども園だが、当初理解したものと全く違っている。認定こども園がスタートした後に国の子供子育て会議というのが設置され、そこで子供を11時間保育するなども決められた。

保育の質を落とさずに改革が進んでいるというのが一般的な言い方だが、やっていることと言っていることに矛盾がある。11時間も保育を続けていく施設に無理がないなどということはない。保育者をたくさん入れてその上早番遅番などを決めて運営上はできないことはないが、幼稚園でやっている担任制はできなくなる。
しかも保育の質などは保護者はあまり気にしてないようで、長く預かってくれるかどうかということで幼稚園選びをするようになってしまっている。それで質の低下を招かないようになどということは空念仏であろう。一番の不幸な犠牲者は子供である。これは公が行う虐待であることに間違いはない。

私たちが久保田浩先生や杉原一昭先生から学んできた幼児保育と発達理解は素晴らしいものであった。私は学んできたものを極上のものであると信じているし、現実に幼稚園にきて私たちに手ほどきをしてくれたことを死ぬまで大切にしていきたいと思っている。だからあくまでも子供のためになる子供の幸せを願った保育を続けていく。これが私の恩師に向ける姿勢である。

能登半島

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