2019年10月8日火曜日

これからの子供たちの育ち

日本の母親が殆ど外へ出て働くとなると、多分戦後の日本より多くの母親が働きに出ることになるだろう。私の生まれたところは農村のど真ん中だったから、どこの家でも夫婦や祖父祖母と言った手のあるものはみんな田んぼや畑に働きに出ていった。農家の人たちは仕事があったからいいけれど、サラリーマンの主婦だと仕事が殆どなかった。だからそのような家庭では学校から帰ると必ず母親がいた。何処でも経済的に貧しい家庭ばかりだったけれど、子どもたちは生き生きとしていた。服装にしたって継ぎはぎだらけの粗末なものであったけれども心豊かな生活であった。
農家の子供たちは祖父母が出迎えてくれるから、殆どの子供は祖父母になついていて、家族の話でも祖父母の話が多かった。あるテレビ番組で、海外で働くお父さんに会いに行く小学生を映しだしていたが、とても良い番組で親子の絆をしっかりとつなぎとめるものであったが、これはなにも海外でなくてもよい。
戦後働く者はみんな忙しかったが、農家の家では働いている姿を直接見せることができたから、親に対する感謝の念が自然にわき出していた。

これから親子の絆はどうなるのだろう。

幼稚園などでは一昔前は入園希望者に必ず「保育理念」なるものを聞かれたものだから、園内研修やら園外に出て研修を積んだものだった。だから自然に他園との切磋琢磨ができたものであったが、今はどうだろうか。子ども集めの手法が何よりも先に出て、建学の精神や理念などは隅の方に追いやられてしまっている感がする。保護者も理念などどうでもよく、とにかく園児を長く預かってくれる園を探すようになってしまった。国も幼児教育等何も考えていない。長く預かる園に補助金を多く出すなど、また新2号の子どもたちを作るなどしながら、今風のポピュリズムに走っている。その結果子どもたちの内面はどのように腐っていくのだろうか。すべとは言わないけれど、かなりすさんだ子供が増えるだろう。最初に述べたように、幼児期に必要なのは経済的に裕福なことではなく、家庭のぬくもりによって非認知能力が伸びていくものだ。

保育の質を高めながら、政府の子供子育てを遂行していくなんて至難の業である。保育の質を保護者が求めなくなった社会では、金銭欲だけが輝きを増す。そんな世の中で子供たちが幸せにはなれない。今の政府のやり方に憤懣やるせないのは私ばかりではあるまいと思う。そうあってほしい。

能登半島

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