私は小学校もやっている。発達心理は、自他意識が固まってくる大体10歳ぐらいまでは本格的にやったが、少年心理とか青年心理など複雑なものもある。中途半端な勉強だから小学校では通用しない。子どもたちはかわいいけれど、大きくなった子どもたちとの付き合い方がわからない。小中学校では私は教育者だとは思わない。それだけの力量がないということを私は知っているから。小中学校という義務教育にかかわらず教師というのは子供たちの発達に沿った全人格的なものに責任を持たなければならないだろうと私は思うけれども、そんな教師は皆無だろう。
保護者の多くは、人格的なことよりもまずは認知能力を高め教科のペーパテストの結果だけに翻弄されている。だから子供同士のいざこざがあっても結果だけを見てその原因や心の経過などに関心を持たない。だから子供を見誤る。身内に誤解されたまま生活を続けることは、子どもにとってとても辛いことだ。こんなことでは子供の自立は望めない。人間として、自分の頭で考える人間として育たないし生きていけない。
子どもの幸せを考えない親はいないというけれど、やっていることは真逆なことばかりを追求している。政府のやっている「親子引き離し政策」の子育ての考え方は間違っているといっても、保護者は我先にと働きに出かける。他人の家庭の経済状況など知る由もないけれど、戦後生まれで私たちは畑のさつまいもを失敬して生のまま食べたりしながら、その瞬間でも生き生きとして自分が生きていた。ある程度の経済力は必要だが、子どもの育ちを代償として支払わなければならないほどの経済力は今は必要ではないのではないか。そんな家庭の状況を政府が作っておいて、保育の質を高めるなどと逆立ちしたって無理な話だ。本来それを追求するのは保護者であるはずなのに、保護者は全く無頓着で、ただひたすらにわが子を長時間預かってくれる施設を探す。こんな世の中絶対おかしい。