2020年5月18日月曜日

恐れながら!

100年前のスペイン風邪についての話も出てきたところだが、あれもやはりウイルスだったんだろうと推察している。第一次世界大戦の真っただ中であったし、ウイルスの研究は全く新しい分野で、なぜこんなに風邪ぐらいで死んでしまう人が多いのだろうと不思議がっていただろう。特に研究者の間では昼夜を問わず、寝食を忘れて疫病と戦っていたに違いない。しかしウイルスの発見は50年前ぐらいでなかったか?。
世界では日本の感染者数と死亡者数があまりにも少ないので、それが真実なのかという風に疑って報道されていることもあるようだ。それについてしっかりとした日本側の反論がないけれども、まさか日本が事実をごまかして報道しているなどのことはあるまい。そうなれば日本の医療機関の優秀さが光る一面でもある。とにかく医療機関にはご苦労様と大きな声で感謝したい。

幼稚園ではクラスごとの登園することにして、今日で2週目になる。子どもたちが園にきて園庭にパーと広がっていくと、急に殺風景な砂漠のようなところに花が咲いたようになる。オアシスを作っているのは子どもたちそのものなのだという実感がする。中には「遊び方忘れちゃった」とか「やっと年長になれたね」とか言いながら久しぶりに会えた仲間と頬笑んでいる。また水道のところへ行って、手に石鹸をたくさんつけて、指の間を丁寧にごしごしとやっている子もいる。休みの間に、かなりお母さんに特訓されたのかなと思う。ほほえましい出来事でもある。

茨城県はここのところ感染者も0を続けているので、もう少し緩めてもいいのではないかと思う。戦時中ならいくらでも閉じこもっていられるけれど、外へ出ても爆弾が落ちてくるわけでもないし、コロナが危ないといっても具体的な敵の姿が見えないのが厄介だ。
私は、今週中に県内で感染者ゼロであれば幼稚園は通常通り開始することにします。バスも出しますし、給食も始めます。バススタッフは1週間は教師が努めます。また給食手伝いにしても1週間は教師が努めます。ただウイルスというのは簡単に変異して違った形で存続するようなので、しばらくの間は安全宣言は出ないでしょう。気を緩めてはならないとか、第2波が怖いとか悲観的な話が多いけれども、また安全などはないと言われたらどうすればいいのでしょうか。他人の責任にしないで自分の身は自分で守るしかないでしょう。一生懸命に私たちを守ってくれている人がいるのだから、悲観的にならずに前を向いて生きていきましょう。

能登半島

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