2020年9月28日月曜日

コロナと幼稚園行事

  東京の幼稚園ではいまだ開園されないで、非常事態宣言に近いままであるところが多いと聞く。毎日多くの感染者がいたのではそれもやむを得ないだろう。私の友人のところでも密を避けるために隔週登園とか、学年別登園とか時差登園とかしながら工夫をしているそうだ。子どもたちもストレスがたまるだろうが、保育者も疲れるだろうと察するに余りある。もう4か月もそうしているのだから、次の方法を考えているだけでくたびれてしまうだろう。

 この際同調圧力に負けないで独自のやり方でやらないと、幼稚園に通う家族が疲弊してしまうだろうと思う。同調圧力の裏側に潜んでいるのが「赤信号みんなで渡れば怖くない」みたいな心理が働いているのだろう。「みんなと一緒」でないと安心できないのだろうが、責任は個人が負うことになることを肝に銘じておかなければならない。誰もその時は同情しても責任を分担したりはしない。それがまさしく個を確立することでもある。

 剛腕強引なトランプ大統領が、過去10年間日本円にして100億円近い所得税を支払っていなかったというのが明るみに出た。最高裁判事を共和党よりだという人を選んだり、日本では考えられないことが起きている。それでも大統領選挙ではトランプ大統領は接戦であると言われている。日本ではこれだけの醜聞が出てしまえば完全にアウトだろう。絶対当選しないと言われていたトランプだけど、蓋を開けてみれば大統領になって好き放題やっている。それができるというのも強い信念があるからだろう。今回の選挙では完全に世論は反トランプに傾いているようだが、アメリカの民族性がよくわからない。

 運動会について様々な意見をいただいたが、不測の事態に物事を決断する時には、必ず賛成ばかりではないことは十分に理解しているつもりだ。それならどうすればよいのかと言って投げだすことはできない。公立の小学校のように、中止というような決断をしてしまえば問題は表には出てこないだろう。

 緊急事態宣言があっても、あおば台は休園するということは1日もなかった。地方を見ない中央集権のような判断で、国民が右往左往させられることに我慢がならなかった。その間の子どもたちのフラストレーション(欲求不満)をどのように解決するのか、積もったストレスは、脳にも体調にも変化をきたす。子どもたちの成長に大変な負の結果をもたらすものだ。学者も同じ意見であったが、東京にいる学者は徐々にそのトーンは低下してしまって、「政治家は教育者ではないからな」でぷつんと切れてしまった。

 まず運動会を、コロナ騒動の中で決行するという決断に至ったのは、「何のためにやるのか」という疑問を解消するために職員間で話し合ったことである。コロナ騒動以来、子どもたちの中でも大人社会の同調圧力が浸透しているかのようで、毎日の生活に粘りがなくすぐにあきらめてしまうような傾向がみられた。子どもたちの意識の中に疲れが見られているというのが保育者の意識にあった。ここで運動会を辞めてしまう選択肢はなくなる。

 だから運動会をやることについては、「まず全員が参加できるようにしたい」これが最初の共通理解。通常通りにやると園長が言っていたけれども、これでは保護者の理解を得ることはできない。何事もなければ通常通りにやれることが一番良いことは分かっているけれども、それで国が定めた三密を避けた上でやるということに決定したが、それではどうする?。保護者の意見を吸い上げて、足して2で割るような近似値はとることができない。祖父母の参加はよいけれども、小学生はだめなのはなぜか。

 祖父母というのは現在の保護者を育ててくれた人だ。それこそ皆さんが大変だったように祖父母も子育てに悩み苦労してきたのかもしれない。そして今は孫に無償の愛を提供している。そのうえ、祖父母は普通にいれば孫よりも先に旅立つことは自然の理だ。子どもたちにはまだ悠久の時間がある。家族で話し合ってくれたらいい。小学校低学年の子を留守番させるのは心配であるという意見もある。そのために時間を短縮させているつもりだ。留守番ができるかどうかは「初めてのお使い」のようなものだ。できたら滅茶苦茶ほめてやったら、子どもにとっては大きなジャンプとなるだろう。

 私の考え方には賛否両論ある。どちらにもいい顔するのは難しい。どうしたいのかは保護者が決めて、責任は自己責任でお願いしたい。しかしここでは正常性バイアスは通用しない。

生命力

  どろんこの中で体を横たえてけらけらと笑っている。何がおかしいのか、何が楽しいのかなんだかわからないけれど、腹を抱えて笑っている子もいる。泥の中からむっくりと起き上がって、子ども同士は顔を見合わせて笑っている。肩を震わせて笑っているから、きっと何か楽しいことを見つけたのかもしれ...